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暗闇の中でSpicaが照らす光を見た

進化するBUMP OF CHICKENと、普遍的なメッセージ

 
今年の2月11日、冷えた夜空にぽっかりと浮かぶ一等星を見つけた気がした。
その時は名前もわからないし、全貌も見えなかった。
わかるのは藤原基央さんがその声で、その心の熱さで、BUMP OF CHICKENの結成22年の記念日に(こんな歌が生まれたよ)と教えてくれたことと、その歌はひどく優しい、ということだった。

一度の弾き語りを聴いただけで歌詞を全て聞き取るのは無理だったが、最後のフレーズ
「いってきます」
という言葉は鮮烈に頭の中に残った。
実質のツアーファイナルの日(補足すると後に行われたマリンメッセ福岡のライブでもこの唄は披露されたが)、しかもライブの最後に
「いってきます」
という言葉を、あの日放ってくれたのだ。
それはまるで、BUMP OF CHICKENが23年目という未来へ向かう新たな扉を開けて、また一個勇気を出して新たな道を進んでいくよ、という意思表明のような気がした。

一等星のように凛と輝くあの唄は『Spica』という名前だった。
そして長らく断片的にしか姿を把握できなかったSpicaの全貌が明らかになったのは約9ヶ月後の11月14日の事だった。

あの時は藤原基央さん一人の弾き語りということもあって、真っ暗な夜空に孤独に静かに輝いているというイメージを持っていたのだが、さまざまな音が加わり、さらにはコーラスも加わることによって、Spicaは無数の星々に囲まれてきるかのような大きな変貌を遂げていた。
今回はそのSpicaについて、少しだけ語らせてほしい。
 
 
 
 

「伝えたい事 言えないまま 消えたらと思うと怖くなって」
「出来るだけ頑張るけど どうしていつまでも下手なんだろう」
という歌詞から伝わるように、臆病で繊細で不器用な”僕”。
わかるなぁ、そんな想い言葉に出せやしないけれど、どうしてこんなに上手くいかないんだろうな、ああこの”僕”はまるで私だ。
そう思った人が私を含めてどれ程いただろうか。
藤原基央さんが唄の中で描きだす人物は、私のような根がネガティヴな人間には毎度物凄くシンクロしてしまう感覚があるのだが、御多分に洩れずSpicaもそうだった。

その”僕”が
「手をとった時 その繋ぎ目が 僕の世界の真ん中になった」
「あぁ だから生きてきたのかって 思えるほどの事だった」
という救いを見つけるのである。
歌の中で”僕”か救済されることは、即ち私が救済されるかのような気持ちになる。
もちろん実際には救済されていないのだが、僕を通じて自分を映している聴き手にまで希望の光を照らしてくれるのだ。
 
 
 

「涙には意味があっても 言葉に直せない場合も多くて こぼれたら受け止めるよ
そうすれば何故か ちゃんと分かるから」
涙を流すほど心が震えているのに、いや、心が震えているからこそ言葉にならないことも多々ある。
そして言葉にできないままどこかに閉まってしまう想いも涙も、説明なんていらないから流しなよ、僕が受け止めるよ、と語りかけてくれる。
この歌詞を読むと、いつか藤原基央さんがこんな台詞を言っていたことを思い出す。

(僕らは泣いてもいいよって言えるバンドなんだから)

ああ、そうだ。
泣かないで、とは決して言わない彼らだから好きなんだ。
 
 
 
 
 

「終わりのない闇に飲まれたって 信じてくれるから立っていられる」
「描いた未来と どれほど違おうと 間違いじゃない 今 君がいる」
臆病で繊細で不器用な”僕”が君と出会ったことによって、これほどまでに強く逞しく前を見据えて立っているのだ。
“僕”と鏡合わせの自分を見つめている聴き手にとって、この強さは大きな勇気になる。
 
 

そして、クライマックスでは
「汚れても 醜く見えても 卑怯でも」
という百数十曲あるBUMPの歌史上でも相当なネガティブな言葉をあえて用いながらも
「強く抱きしめるよ」
と、全肯定してくれるのだ。

正直なところこのフレーズを聴いた時にほろほろと泣いてしまったし、泣いてしまった人はどれほどいるだろう、こんなのずるいよ、とも思った。

そして、このフレーズは
“僕”が
「汚れても 醜く見えても 卑怯でも」
君を強く抱きしめるのか、
“君”が
「汚れても 醜く見えても 卑怯でも」
僕が強く抱きしめてあげられるのか、
二通りの解釈の仕様があると感じたが、そのどちらでも素敵だと思った。
“僕”に感情移入していて”僕”の強さを見届けたからには前者であると思ったし、どんな僕でも君を抱きしめられるほどの強さを身につけたという解釈がしっくりくるけれど、
“君”がどんな君でもいい、僕なら強く抱きしめてあげられるよという解釈もまた僕の強さを表している。
何れにせよ、このフレーズは心の奥の底の底のほうに
(汚れていて、醜く見えて、卑怯な自分)
を隠していた自分あるいは多くの人々の胸に強く響いたのではないだろうか。
少なくとも私は、何度Spicaを聴いてもここで目頭が熱くなる。
 
 
 
 

Spicaの全貌を知って、何度も聴いて、何度も心に触れて、思ったことがある。

藤原基央さんの書く歌に救われたり勇気をもらったりするのは、胸の内にしまい込んでいた弱い自分と歌の主人公がシンクロニシティし、同じ”低さ”の視点でそっと寄り添ってくれて、尚且つ希望の見つけ方や勇気を出せるきっかけをまっすぐな光で
「見つけたよ、ここだよ、おいでよ」
と静かに照らしてくれるかのようだからだということを。

そしてそれは全く押し付けがましくもなく、ただ綺麗な言葉を並べるのではなく、弱さすら肯定し、愛し、弱さを抱える全ての人の心の奥にそっと寄り添い、心の内側から強く抱きしめてくれるかのようだということを。
 

そして、同時にあることを思い出していた。
BUMP OF CHICKEN のデビュー前の曲、20年以上昔の曲、
『BUMP OF CHICKENのテーマ』という歌があるのだが、この曲では
「あぁ 僕らは君をベッドから引きずり出して 手を繋ぐため 魔法をかけた へなちょこの4人組」
と歌っていた。
まさにこの唄も抱える孤独な心に身を重たくした自分を、ベッドから引きずり出して外の世界に手を繋がせてくれるかのようだなと。
そういう魔法をまたしてもかけられたなと。
そう思った。

活動23年目のBUMP OF CHICKENは今も尚、新たな道を邁進しているが、歌の根底にある伝えたい言葉は常に普遍的だ。
 
 
 
 

2月11日に伝えてくれた静かに光り輝いていたSpicaは、藤原基央さんによる
「いってきます」
という言葉によって締めくくられた。

長い時を経て新たな輝きを放ったSpica。
輝く一等星のようなこの唄を見つけ、この唄に勇気をもらった私たちが今度は言う番なのかもしれない。
「いってきます」
という、その言葉を。

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