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時のない音楽があるとして

松任谷由実『時のないホテル』から

かつてはわたしと同じように10代の女の子だった母親の部屋(つまり実家)はいま物置になってしまっていて、お盆に帰省したついでにちょっと物色してみると、ウォークマンとカセットテープを見つけた。カセット用のウォークマン。カセットの紙のスリーヴも白く擦れてボロボロになっていた。

古いランプのようにぼんやりとした暖かい灯りがともる回転ドアのなかに女の人がいた。赤いセーターとハットをきっちりと着こなし、スカーフを巻いて、ブラウンのジャケットをはおり、クラッチバックをたずさえて、どこか懐かしいようで、とても洗練されていた。

タイトルには、松任谷由実『時のないホテル』とあった。

わたしは生まれてはじめてカセットテープというものを手にした。調べてみると、それはユーミンが今から約40年前にレコードとカセット・テープで発表した九枚目のアルバムだった。CDがない時代というのにまず驚いて、そして、ユーミンがそんなにも昔から歌っていたということにも驚いた。母親の好きな歌手として小さい頃から耳にしていたユーミンのことを、多少は知っているつもりだったけど、このアルバムの曲はひとつも聴いたことがなかった。なんてたって40年前なのだ。

ウォークマンもカセットテープも動いた。音だってちゃんと出た。すごい。

それに、おもいのほかいい音だった。いまはもう携帯で聴くのがあたりまえで、中学生の頃はまだラジカセがちゃんと動いていたからCDを聴いたりもしたけど、カセットはさらにその一昔前なのだ。でも、音になんというか質量のようなものがあって、「ちゃんと聴いてる!」って感じがした。

A面とB面というふうになっていて、それも基本的には曲順通りにしか聴けないのも新鮮だった。好きな曲に飛ばせない、それがこんなにも不便だとは!

それでも、いつのまにかそれにも慣れた。アルバムを曲順通りに再生するのはひさしぶりだった。

『時のないホテル』をずっと聴いていた(というか、カセットテープはこれしか持ってなかったから、ふと聴きたくなってもこのアルバムをかけるしかなかった)。『時のないホテル』は曲ごとにストーリーがあって、その歌を歌っている(という設定の)人もそれぞれだった。たとえば1曲目“セシルの週末”では「運命の人と出会って変わっていく不良の女の子」だし、3曲目“Miss Lonely”は「戦争へ行ったきり帰ってこない人を50年も待ち続ける老婆」だし、7曲目“5cmの向う岸”は「背の高い女の子と、その5cmだけ身長が低い彼氏」だったりする。それぞれにちゃんと背景があって、ユーミンの書く、平易な言葉だけどぴったしな歌詞もあいまって、まるで9曲45分の短編集のようだった。

“セシルの週末”の〈そうよ下着は黒で/煙草は14から ちょっと待ってくれれば/なんだってくすねて来たわ〉とか、もう小説だ。それでいて、このアルバムの曲はどれも陰影の濃いものばかりで、ひとりにでいたいときに聴くのがよかった。わたしはページのなかに沈み込んでいくような気持ちになった。

通していっぱい聴いていたら『時のないホテル』はかなりお気に入りのアルバムになった。そして、ほかのアルバムも聴きたいからCDを借りてこようかな——というときに、ユーミンがサブスクリプションで全曲を解禁したのだった。

わたしの母親は『時のないホテル』より一つ前のアルバム『悲しいほどお天気』が、そのなかでも特に1曲目の“ジャコビニ彗星の日”が好きだという。わたしはそれをサブスクリプションで聴いた。“ジャコビニ彗星の日”はメロディーも、アレンジも、色あせたところがすこしもなくて、40年前の曲だということが信じられなかった。歌詞には〈72年 10月9日〉とあるのに。

もちろん『時のないホテル』だって配信されていた。聴いてみると、カセットテープで聴くのと同じ曲が流れているのだけど、ちゃんといまの曲のようにも聴こえるのだった。そういえば、カセットで『時のないホテル』を聴いていても「古いなあ」とは思ったことはなかった。

それは「新しい」とか「古い」とか、そういう基準からは外れたところにあるような気すらしていた。

ほかのアルバムも聴いてみた。

もしかしたら、『時のないホテル』を聴く前のわたしでも知っていた、ユーミンがいわゆる「国民的歌手」として広く認知されることになる名曲の数々は80年代、90年代といった時代と結びついてしまっているのかもしれない、そう思った。

そして、それ以前のユーミンがまだひとりのシンガーソングライターだったころの曲はむしろ、まるで「時のない」かのように、つかみどころがなくて、抽象的すぎるのかもしれないけど、だからこそ(すごく大きい言い方になってしまうけど)普遍的なのではないのだろうか。

これは論文でもなければ、大学のレポートでもないから、変な方向につっこむことはしないで、わたしは40年前のユーミンの曲を聴いて、波にもまれるような、不思議な心地になるだけだ。

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