1521 件掲載中 月間賞発表 毎月10日
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

青春時代を全て捧げた音楽は、唯一、すがることのできる場所だった

「夢」をくれた、サンボマスターの3人へ。

「あの時、サンボマスターのライブなんかに行かせなければよかった」

そんな言葉を母に言われたのは20歳になったばかりのある日。
その言葉は私からすると、どんな暴言よりもキツい言葉で、ショックのあまり気を失いそうになってしまった。

どうして、そんなことを言われなければならなかったのか。
「ただ、サンボマスターのライブに行っただけなのに…。」と、いう気持ちと
「自分でも気づいていた、痛いところをグサッと刺された」気持ちが、心の中でグルグル交わって、今にも吐きそうな状態になった20歳の私は、サンボマスターに青春時代と呼ばれる時間の全てを捧げて生きていた。

中学1年生のある日、私の「心」は変わってしまった。
クラスメイトの死がキッカケで、人の気持ちが分からなくなってしまった。
それが原因で、対人関係が上手く築けなくなり、
2年生になると、友達だと思っていた人達から悪口ばかりを言われる日々が続き、学校にもあまり行かなくなった。

地元を離れたい思いから、他県の高校を受験することを決め、入学と共に入寮もした。
ただ、私は器用じゃなかった。
今思い返せば、対人関係が苦手な奴が、団体行動をする寮に入寮するなんて、やぼな話だとは思う。
でも、当時の私には「逃げ道」がなくて、最後にすがる場所が、他県の「寮生活」ができる学校だった。
夢見た寮の生活も苦になり、1年生の秋ぐらいからまた学校に行けなくなってしまった。
そんなある日、「もうこんな人生は終わりにしてしまおう。今がチャンスだ」と思った瞬間があった。
でも、そう簡単に人生を終わらせられるほど甘くなくて、ちょっと多めに飲んでみた風邪薬の副作用の眠気と吐き気が、じんわりと身体を痛めつけただけの時があった。

退屈でなんにもない日々は続き、いつも通り学校をサボったある日、部屋でCDプレイヤーを聴いていた。
中に入っていたのは「サンボマスター 究極ベスト」だ。

夏に帰省をしたときになんとなくこのアルバムを借りていた。
小学生の時に電車男にハマった私は、サンボマスターの「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」が大好きで、「僕と君の全てをロックンロールと呼べ」のアルバムを借り、家でよく聴いていた。
だから、TSUTAYAで偶然見つけた、「好きな歌」を歌っているサンボマスターが出していた「知らないアルバム」を手にとっては、いつか寮で聴こうと決め、レンタルをすることにした。

先輩がいない部屋で一人、CDプレイヤーを回す。
DISC 2に入っている曲のほとんどが知らない曲だった。
「そういえば前、知らない曲ばっかだな…と思いながらとりあえず流して聴いてたんだっけ」なんて思いながら再生ボタンを押すと、画面に出た番号は6。
タイトルは「人はそれを情熱と呼ぶ」という曲だ。
4分17秒あったその曲を聞き終えたとき、私は「高校を辞める決断」をした。

この曲を聞き終えたあの瞬間から、母に「サンボマスターのライブになんか行かせなかったらよかった」と言われるような人生が始まった。

高校を1年で辞めて、府内の通信制高校に転校した私はとにかく毎日バイトをしていた。
朝はコンビニで3時間働いて、昼は学校に行き、夜は21時30まで飲食店でのアルバイト。
これも全部、サンボマスターのライブに行くためだった。

サンボマスターのライブを初めて見たのは2011年の12月29日のRADIO CRAZY。
初めて見たライブは、中学1年生の時に捨ててしまった感情を取り戻してくれるようなライブだった。
「このライブに行けば、私は私らしくいられるのかもしれない。この音楽なら私のことを肯定してくれるのかもしれない」と気付いたことが始まりで、私はサンボマスターのライブを「居場所」に決めた。

初めて県外のライブに行ったのは、高校2年生の冬。渋谷クラブクアトロで行われた
「ムーディナイト」がキッカケだった。
東名阪で行われているツアーで、唯一の「ムーディナイト」と題したツアーは魅力的以外の何物でもなくて、私は人生で初めて一人で夜行バスに乗って、朝6時の新宿に降り立った。
そして、その日のライブで、「I Love You」を初めて聴いたことがキッカケで全国のライブハウスに足を運ぶようになった。

なんでたくさんライブハウスに行こうと決めたのか…というと、答えはひとつしかない。
「たくさんライブハウスに行けば、いつか人生を変えてくれたあの曲を生で聴ける日がくるかもしれない」と思ったからだ。

18歳の2013年~20歳になった2015年は特にたくさんのライブに行った。
北は北海道から南は沖縄…なんて言葉があるように、北海道にだって沖縄にだって行った。
この二つは大阪からならLCCの飛行機で行けるため、とっても近くてお得な場所だ…と当時は思っていた。
友人と旅行に行くときに、土地の距離の感覚が違うのは、こうやって全国にたくさん足を運んだことが原因なのかもしれない…。

一番距離的に遠かったのは、13時間夜行バスに乗った熊本と、高すぎる新幹線代に涙した福島でのライブだろうか。
そういう風に、私の16歳~の人生は、サンボマスターと常に一緒だった。
どんな時だって音楽を聴き、どんな時だってライブのために生きていた。

私にとってのサンボマスターのつくる音楽は「生きがい」とか、そういったものではなかったと思う。
どんな言葉で表すことがピッタリなんだろう…と想い、頭の中に浮かんだ言葉は「唯一、すがることができる場所」だった。

私は自分のことがとにかく嫌いで、周りの人みたいに器用に物事をこなせない自分が大嫌いだった。
プライドも高く、誰よりも人の目ばかり気にして生きていたからこそ、些細なミスを起こしてしまう自分を認めることができなかった。
それに、感情だってあまり上手に表現ができなくて、人付き合いもロクにできなかった。

そんな私は、サンボマスターのライブに行けば、曲を聴いて「涙を流すこと」ができた。
好きな曲がセトリに入っていれば、本当にうれしかったし、唄とギターの山口さんのMCに心の底から感動を覚えることができた。

私が、私らしく生きることが許されている唯一の場所がサンボマスターの3人と、ファンのみんなが作るライブハウスの環境だった。
だから、何があっても手放すわけにはいかなかったし、なんとしてでもたくさん行かないといけなかった。
そのために、何十連勤も夜勤をしたり、ほぼ24時間ぐらいアルバイトをしたりもした。

「青春時代」とも呼べる時間の全てをサンボマスターの音楽に捧げてきた私は、
同世代の友人の誰よりもお金を稼ぎ、誰よりもお金を使っていた。

そして、あの日はやってきた。
母とお金のことに関して、些細なことから喧嘩になった。普段はお互いに言いたいことを言わない関係で、喧嘩をすることなんてほぼなかったのに、この日は違った。
母が何か言いたそうな顔をしてこっちを見ていたので「何かある?」と聞くと、
あの言葉を言われてしまった。

当時の私はとにかく悩んでいて、口で語れる夢ならたくさんあるのに、何もできない自分に葛藤を抱えていた。
それでも、サンボマスターのライブに行けば「その場にいる自分を肯定」することができたから、なんとか日々を生きることができていた。
でも、うすうす気づいていたことがある。
そろそろ、この環境から出て、ちゃんと自分のやりたいことを見つけなきゃいけない…と。

そうやって、悩みながらも「サンボマスターの音楽に肯定されることを求めて生きる日々」を送っていた22歳の秋、知り合いを病気で亡くしてしまった。
もっというと、同じ時期に自分の喉に腫瘍が見つかった。最終的には癌ではなかったが、
いつか人は死んでしまう…ということを実感させられた1年だった。

その時に、考えたことがある「私の人生ってなんだろう」と。
サンボマスターの音楽と共に、いや、サンボマスターの音楽にすがることでしか生きることができないこの日々を変えなきゃいけない…。そんなことをちゃんと思ったのは、初めてのことで、自分の中に生まれた新しい感情だった。

そして2017年の12月3日がやってきた。
この日はサンボマスターの初めての武道館ワンマンライブだった。
ライブが始まって3人が袖から出てくるだけで、何故だか涙が止まらなかった。
嬉し涙でもあったが、その涙はきっと「決断の涙」だったと思う。

「ここまで私の人生を肯定してくれていたサンボマスターにありがとう…という感謝を送りたい。
そして、ここからは自分で自分の人生を歩いていこう」
そう感じたのはライブが始まってすぐのことだった。

今まで、ただひたすらに見続けてきた3人の作るライブは暑苦しくて人間くさくて、でも悲しいことを感じてきた人の背中をそっと支えてくれるようなぬくもりがある空間。
この空間が作れるのは、サンボマスターだけだと思っている。
だから、私はこの空間が世界で一番好きな場所で、唯一の「居場所」だと思っていた。

いろんなことを感じた武道館のライブの終了後、私の気持ちは、今までの人生で一番スッキリしていた。

そんな日から約1年がたった今日、2018年の12月2日。
私は「サンボマスター ワンマンツアー2018~輝きだして走ってく~」の大阪に参戦をした。
武道館以来のワンマンライブで、ライブを見るのは約半年ぶりだった。
武道館のライブ終了後、「自分を信じて、生きていこう」と決めた私は、幼いころから好きだった書くことを仕事に選んだ。
それは、人生で2回目にできた「夢」で、1回目の夢は、初めてサンボマスターのワンマンライブに行った高校生の時に、あまりにも凄かったライブに影響をされてできた夢。

そうやってできた2回目の夢は、自分のことを「自分で」認めていく仕事で、自分から行動しないと何も始まらない夢だった。
だから、やりがいがあるし、正直言って、今の私の生活は悩むこともあるけど、とっても充実している。

「サンボマスターの音楽に頼らない」と決めてから約1年ぶりにみたワンマンライブ。
あまりのセットリストに気絶しそうになった。
今まで結構たくさんライブに行ったのに、初めて聴いた曲が3曲もあった(笑)

今までなら「ああ、もっとたくさん行けばよかった…」と悔しんだかもしれないが、
今は「これは、1年間頑張ったご褒美だな」と思えるようになっていた。
2時間30分のライブはあっという間で、「東京のファイナルに行きたいな…」と思う気持ちを抑えつつ、今こうして言葉を綴っている。

最後に、私がたくさんライブに行ったなかで、心の底から「幸せ」と感じられたことを書いておこうと思う。
まず一つ目は、2015年の11月7日のZepp札幌のライブで初めて「人はそれを情熱と呼ぶ」を聴くことができたこと。
あまりのうれしさに涙が止まらなくて、ずっと泣いている私を慰めてくれたのは、
サンボマスターのライブで知り合った、全国にいる「ライブ仲間」だった。
同じ音楽が好きなこと、たったひとつの繋がりのおかげでたくさんの人と出会うことができ、全国のいろんな場所で自分の名前を呼んでもらえたこと、これが2つ目に幸せだったこと。
そして3つ目は、今年の2月、今しか伝える日がない!と前日に行くことを決めた渋谷タワレコでのイベントで、山口さんに「情熱を聞いて、高校を辞める決断ができました」と伝えることができたこと。

長々と言葉を綴ってきた最後に、私がどうしても残しておきたかった言葉は、たったひとつだけ。

「私が、サンボマスターと生きた青春時代は、誰よりも幸せな時間だった。」ということ。

山口さん、近藤さん、木内さん、本当にありがとう。
これからもずっと、サンボマスターは私の世界で一番好きな、世界で一番カッコイイバンドです。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい