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祖父と夕日の歌

BUMP OF CHICKEN『サザンクロス』のこと

私はBUMP OF CHICKENの『サザンクロス』という曲に、祖父と夕日のイメージを持っている。

この曲はアルバム『RAY』に収録されている。
『RAY』は、私がBUMPの音楽を好きになり、よく聴くようになってから初めて出たオリジナルアルバムだ。うれしくて、電車の中や散歩道、自分の部屋で何回も聴いた。
 

ドゥーーン、という少し重い音が長めに鳴り響いて、この曲は始まる。
この音と共に、目を閉じて聴く私の中には、夕日の色と光がいっぱいに広がる。そして曲が終わるまで、橙色の光に包まれている感覚がある。

【その胸にしまった火に憧れた 飲み込まれて消されてしまいそうで
夕焼けみたいに温かくて 寂しくて強かった その火に】

冒頭の歌詞に、私はいつも祖父のことを思い浮かべた。私にとっての【胸にしまった火】を持つ人だった。
一見して、情熱の炎を燃やしているとわかる人ではなかった。
でも、ずっとそばにいると、体の中に強い意志が、太い針金のように通っているのを感じることができた。
寡黙で、真面目で、優しかった。

この曲に持っている夕日のイメージに引っ張られたのかもしれない、栗拾いの思い出が浮かんできた。橙色の光の中に、祖父におぶわれた私の姿が見える。確か小学校低学年くらいだった。
祖父の家の庭にはたくさん栗の木が植わっていて、秋になるとたくさんの実が生る。
ちょうどその時期に遊びに行った私は、栗拾いをしていた。イガをかぶったままの栗がそこら中に落ちていて、いつの間にか、足に棘が刺さっていた。
足を痛がる私を、祖父はおぶってくれた。
そしてすぐには家の中に戻らず、私をおぶったまま、栗の木の間をゆっくりと歩いて回った。
違う形で栗拾いの時間を続けるように。
晴れた空は濃い水色で、だんだん傾いて来た太陽が、橙色のくっきりした光で全てを照らしていた。
そばで、母と祖母が世間話を続けていた。
私も祖父も無言だったけれど、その時間にぎゅっとたくさんのものが詰まっている感じがして、時間がゆっくり動いているようだった。
やせ型の祖父の背中で、私は安心感のようなものを感じている。
当然のようにおぶってくれたことに、大切にされていると、無意識に感じ取っていた。

【言葉選んで 挙げ句間違えた よく晴れた日を未だに思い出す
目を伏せたらもう動けなくて 嫌われていない事 祈るばかり】

ここで、閉じた目の中は灰色の景色に変わる。
冬の、曇った日の色だ。
紫色のパーカーを着た私が車の外に立ち、後部座席に座った祖父と向かい合っている。窓を全開にした、車のドアを挟んで。
この時祖父は足が悪くなり始めていて、私の家に遊びに来てくれたけれど、家へは上がれなかった。思えばこの時が、祖父から会いに来てくれたのは最後だった。
私は高一くらいだった。
小学生の時のように“学校でこんな楽しいことがあったよ”とか、“こんな友達がいるよ”とか、“今はこんなことを頑張っているんだ”とか、堂々と祖父に話せるようなことは何も無い気がした。祖父でなくても、誰にもあまり会いたくなかった。
その日も母に、話して来るようせっつかれる形で、玄関の外へ出た。
うつむきがちで、あまり祖父の顔を見ないようにしている、不機嫌そうな私の白い顔が見える。当然会話も弾まなくて、この日一度も笑顔にならなかった祖父の、眉を少し下げた表情も。たぶん寂しくて会いに来てくれたのだろう。それがわかる表情だった。
その日の空みたいな、曇って重たい空気が、祖父との間に積もっていった、あの景色が見える。
 

『RAY』が発売される数ヶ月前に、祖父が他界した。
私は整理のつかない気持ちを抱えていた。その気持ちには“悲しい”も“寂しい”も当てはまらず、表面的には“イライラ”が一番近いのだけれど、その奥でいろんなものがあまりにも絡み合っていた。
何か感情の名前を付けようとすると、怒りに似た気持ちの悪い感覚がした。“触るな!安易な名前なんて付けるな!どんな言葉の中にだって収まりきらない大事なものだ!分類して片づけてしまおうとするな!”と、その気持ち達が叫んでいるようだった。
私はその気持ちをそのままにしておくことにした。“そのまま”にしておくのが、一番ぴったりな表現だと思った。

『サザンクロス』を聴きながら祖父のことが浮かんで来るのは、頭で祖父との記憶を辿るのとは、全く違う感覚がした。
祖父の他界後に思い出そうとしていた時はもっと、データを読んでいるような感じだった。“こういうことがあった”、“こういう人だった”。それを文字だけで読んでいるような、止まった絵を見ているような感じ。奥行きや立体感がない。
『サザンクロス』の中では、祖父のことが頭じゃなく自分の心の中から、するすると出て来る感じがした。色や感覚、温度、感情も一緒に。
実感みたいなものが、そこにはあった。祖父と過ごした時間や、祖父と私の間にあったものは、確かに存在したのだのだという実感が。
そしてそれらが自分の心から出て来た感覚のおかげで、心の中に祖父の場所があること、意識していない時でも在り続けていることを、確認できた気がした。

そうしたら、祖父とお別れしてからの名前の付かない気持ちが、すうっと胸の中から引いて、私の心の“祖父の場所”に収まった感じがした。
 

その後も『サザンクロス』を聴き続けていると、思い出にはない映像が出て来た。電車で聴いていた時だと思う。
祖父が幼い私と手をつないで、曲を聴いている私に背を向ける形で、夕日に向かって歩いて行く。
二人は一緒に居られることが嬉しい様子で、笑っている。時々顔を見合わせて、お互いを大切そうに見る。
手をつないでいるのが今の私じゃないことを、寂しいとは思わなかった。
心の中で、私は幼い私に呼びかけた。“今の私はここに居て、じいちゃんについて行けないから、あなたがついて行って一緒に居てあげてね”。
幼い私は振り向いて、頷いたはずだ。
あの時、私は本当に祖父を見送ることができたのだと思う。

【離れても側にいる 気でいるよ】

今の私は、心の中の一部になった祖父と、一緒に居る。
私の一部は、夕日に向かって歩いて行った祖父について行って、一緒に居る。

私はその形で、離れても祖父のそばに居る気でいるのだ。

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