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ロスジェネの心臓に刺さったゆとり世代の前歯の話

キュウソネコカミ「ギリ平成」に寄せて

中国の古典に「四十にして惑わず」と言う言葉がある。
40歳になって、道理を知り生き方に迷いが無くなる、と言う事らしい。

その不惑と呼ばれる年齢を迎えて、「全然そんな事ねぇな」と思う。
好きな事を夢中に追いかけていた20代の頃の方が、迷いが無かったように思える。
映画とゲームを愛するボンクラ学生だった私は、時間を重ねて、
大人になる事も、何者かになる事も無く、ただ子供で無いだけの
宙ぶらりんな存在になった。

昭和の終盤に生まれた私の世代は、小学生の頃に昭和の終わりを迎えた。
時代の変わり目の実感は乏しく、毎日のテレビがどれもこれも遠慮がちで、
街もよそよそしく静まり、退屈だったのを覚えている。

20代の前半、学生時代の終わり頃、西暦が2000年代に突入した。
ミレニアムの喧騒に紛れるように、就活に失敗した私は、
お祭り騒ぎから完全に切り離されていた。
後にロストジェネレーションと呼ばれる時代の始まりだった。

そして今、ロスジェネと呼ばれる私達の世代を、
ゆとりと呼ばれるアラサーの人々を育み、
翻弄し続けた時代「平成」が終わろうとしている。

そんな中、キュウソネコカミの「ギリ平成」なるアルバムを手にした。

キュウソネコカミは、大学の就活敗残者で結成された背景を持つバンドだ。
彼らの音源に出会ったのは3年ほど前、ラジオで楽曲を聞いたのが最初だった。
曲のテンションは感じたが、変わった名前の新しいコミックバンドかなぁと言うのが
正直な第一印象だった。

それから随分と時間が経って、フェスで彼らのライブを見る機会があった。

リハーサルから全力全開。客の上を歩き、転げ回り、全力で煽り、躍らせる。
「本気のリハ」と言っていたが、そんな事をやっているのは彼らだけだった。

破天荒にも思える全力のパフォーマンスを目の当たりにして、
「変わったバンド」と言うぼんやりした印象は、
「面白いバンド」と言う鮮明な輪郭を持った。

それまで、音楽は家でヘッドホンで聴くもの、と思っていた自分が、
本気で彼らのライブを見てみたい、と思うようになっていた。

それから半年後、40数年生きて来て初めてライブハウスに足を踏み入れた。
周りには、自分の半分くらいの年齢の人達が溢れている。
整理番号?ワンドリンク?幾つもの「?」に緊張を覚えながらも、
年甲斐もなく感じる胸の高鳴りで頭の中は早々にかき乱されていた。

オールスタンディングのフロア。
通勤電車以外では殆ど経験が無いほどに隣の人との距離が近い。
しかし、そこにいる人々の熱は電車のそれとは異なっていた。
皆、期待と羨望に瞳を輝かせてその時を待っている。

幕が開く。

皮膚をビリビリと刺激する音圧、腹を抉る様な重低音、
フロアを埋める人の熱、絶叫、そして笑顔。
全てが自分の人生の中で初めての事ばかりだった。

そしてライブの終盤、心臓を鷲掴みにされた。

観客の上を歩くヤマサキセイヤの姿を目の当たりにして、突然涙が溢れ出した。
なぜ泣いているのか分からない。自分の反応に混乱していた。

観客と呼応しながら、フロア全体に絶叫が響く。

「ヤーンキーこーわいー!!」

字面で言ったらこんな情けない文面も無い。
言っちゃなんだが、カッコ悪いと思うよ、言ってる事は。

しかし、自分の涙に混乱したその刹那、感じた。

窮鼠が猫を噛む刹那の輝きを。
無様だろうが何だろうが、必死の生き様を晒すそのカッコ良さを。

そして背中を押された気がした。
カッコ悪くても、必死で生きて行こうぜ、と。

思えば、私の人生カッコ悪い事が多かった。
スタートでズッコケて始まった社会人生活もどうにかこうにか過ごして来たけれど、
年下に追い越されることはしょっちゅうで、「頑張れ!」なんて言われ飽きてる。

そんな私の冷えた心臓が鷲掴みにされた。
人の上を転がりながら、倒れながら、時に這いつくばる様に進む姿に。
その必死な人間を支えるために差し伸べられた無数の必死な手に。

「変わったバンド」と言うぼやけた輪郭は
「面白いバンド」となって私を魅了し、それはいつしか
「カッコいいバンド」として、私の心臓に必殺の前歯を突き立てた。

ライブが終わると、色んな音が遠くに聞こえた。
子供の頃の眠りに落ちる間際の様な、そんな音の聞こえ方。
お腹の奥では重低音の余韻がまだ響いているようだった。

あの日、私の心臓に刻まれた必殺前歯の歯形は今も時折疼き出す。
私が臆病になった時、何かから逃げ出しそうになる時、
「カッコ悪くても、必死で生きようぜ!」と疼き出す。

あのライブから、随分と時間がたった。
あれ以来彼らの様々な音源に触れたが、不思議とライブとは異なる印象を受ける事が多い。
10以上も年の離れた私がシンパシーを感じるのも妙な話ではあるが、
彼らのアルバムを聴くといつも、友人に愚痴を聞いて貰ったような気持ちになる。
何も解決していないけれど、少し重荷を分け合えた様な心の軽さ、それを感じるのだ。

そして今、「ギリ平成」の歌詞カードを閉じて、
新たにライブへの疼きを感じている。

アルバムの(シークレットを除いて)最後を飾る「ギリ昭和」が
アルバム収録時点で未完成なのだ。
新年号が歌詞に登場するのだが、2018年12月時点では新年号は公表されていない。
2019年に新年号が公表されて初めて楽曲が完成するのだ。
何とも心憎い仕掛けではないか。

果たして新年号はどのような響きと語感をもっているのか?
ライブで叫ぶのに良い感じの音なのか?
大声で口にした時に上がる語感なのか?
そもそも、曲の音数と語数は合うのか?
新たな時代を迎えるのが、否応にも楽しみになってしまう。

こんな不思議な形で希望を抱けるとは思ってもみなかった。

さて、この楽曲の完成形を聴く為にも、
またライブハウスへ行くとしよう。
追い詰められたネズミの命の輝きを見に行こう。

そんな奇妙な疼きを抱えた不惑の私は、
DQNにもなれず、40代でも死なず、
カッコ悪くても、必死こいて生きて行くのだ。

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