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[ALEXANDROS]

私が私の人生を輝かせるために必要不可欠な音楽

私がこのバンドに出会ったのは友達に連れられていったとある野外フェスだった。8年前の私はロックはおろか、音楽にも興味のない人間だった。「なんなんだ、これは」、初めて彼らのステージを目にした時、まるで雷に撃たれたかのような衝撃を受けた。ライブハウスに足繁く通うようになって、大学に入れば軽音サークルに入って、バンドのマネージャーアシスタントをするようになり、音楽業界を始めとするエンタメ業界を目指して100社以上受けるまでに音楽にのめり込んでいった。全てはこのバンドに出会ったからだった。

だがしかし、どういうわけかこの二年、[ALEXANDROS]から離れてしまっていた。シングルは一枚も買わなくなっていた。厳密に言うと、CDショップに行って試聴機で聴いたには聴いたのだ。でも買わなかった。それは「普通にかっこいいな」と思ってしまったからだった。そしてその日私はその隣に展開されていた今飛ぶ鳥落とす勢いの某若手バンドの新譜を買って帰ったのだ。これは私にとって、大事件だった。そんなふうに思ってしまった自分がショックだった。[ALEXANDROS]は私に音楽を教えてくれた、バンドを教えてくれた、特別なアーティストだった。だからこそ、「普通にかっこいい」じゃ絶対にダメだった。誰にも敵わない特別にかっこいいバンドでいて貰わないと困るのだ、私が。

今から思うと、[ALEXANDROS]のせいではなく、自分自身に問題があった。心も歳を取るし、社会に出る前の、あの、多感な時期を過ぎてしまったからなのかもしれない。そして何より、自分のやりたいことど真中の職に就けず、毎日不甲斐ない気持ちに苛まれて、くすぶっていた。でも、そんな日々も二年が経ち、状況こそ変わっていないが、その中でも自分なりにやりがいと呼ばれるようなものを見つけて生活を送る余裕が出てきた。そんな時に発売されたのが、今回のアルバム「Sleepless  in Brooklyn」だった。

アルバムを聴き終えて最初に思ったことは、「[ALEXANDROS ]の曲があれば、もう他の音楽は要らないかもしれない」、ということだった。それくらいに、私はこのアルバムを特別に良い、と思った。

以前、Vo.Gt.川上が自身のブログの中で「[ALEXANDROS]の音楽は一過性の物では残念ながら無い。一度嫌いになろうが、飽きようが、また戻ってくるのだ。そういう風に出来ているからだ。何故なら作り手達がそういう人間だからだ」と言っていたことを思い出す。もう、その通りになってしまって、悔しいと嬉しいとがごっちゃになって、なんだかおかしな気分だった。

このアルバムを聴いている間、「わたし、ここにずっといたい」と思った。それくらい心地良い音楽だった。それが電車の中でもどこだろうと、この曲があればどこも居心地が良くなった。[Champagne]ほど音が少ないこともなく、[Alexandros]ほど音が多いこともなく、「丁度良い」という言葉が一番しっくりくるアルバムだった。メロディーや言葉、一つ一つの音が絶対ここ以外にありえないという場所に置かれている感じがして、聴いていて、ぴったりと心に合った。それは、何年も付き合いのある大親友と話している時の感覚ともすごく似た感覚だった。

アルバムが発売されたあと12月11日、Zepp Tokyoで行われた『Sleepless in Japan Tour』に足を運んだ。なんだか一年前に観た時よりもバンドの一体感というか全てがいいバランスでピタッとハマっている感じがして、聴いていてすごく心地よかった。

あんな神々しいくらいのひかりの中にいる人たちが「君こそが輝ける人だ」と言い張ってくれることがうれしい。そういうことは、わたしの知る限りではライブ中にはっきりと言葉にさえしてはいないはずなのだが、わたしが[ALEXANDROS]の音楽に励まされたりライブで勝手に涙が出てしまうのは、頭では理解してなくともわたしの心が、想いや目には見えない、説明できない「何か」を感じ取ってくれていたからなんだと思う。

最近誰かのライブを観ている間、わたしは色んなことを考えすぎていたのだとふと気づいた。ライブを観ているときは自分の心も感覚も全部、ステージに預けてしまってよかった。つまり、考えるよりも感じろ、ということだ。現実に向かい合うのは、ライブが終わって電車に乗って、家に帰って、シャワーを浴び、完全に一人になって、自分一人で明日に向かって足を踏み出す、その瞬間でいい。「ライブが終わった後の自分」に託してしまっても良かったのだ。

ライブ中Gt.白井の発した「ここに全部置いていけ!」という叫びに、昨日までの不甲斐ない自分や生活を全部あの時間に置いていったような気がした。ライブの帰り道、まるで心が洗濯されたかのように、すっきりとした面持ちで歩く事が出来た。

その翌週、12月20日、21日にはZepp Osaka Baysideへと向かった。東京公演を観てからまだ一週間くらいしか経っていなかったが、それでもこの大阪公演の日までにも既に足を一歩前に踏み出せたことがいくつかあった。私自身の手で自分の今の状況を変えようと行動を起こしたのだ。それはライブが行われた日のような曇り空に太陽を引っ張りこもうとするようなものだった。Vo.Gt.川上が以前、自身のブログ内で「聴き手がただの受け取り側となるだけではなくて能動的な動きをするようになると素敵だなと思う」と言っていたが、そんな事を一言もライブでは口にしてしていないのに、行動しようという気持ちに持っていってくれたのは、それこそがあの場に音楽を演奏する・音楽を聴くという事以上の「何か」が確かにあったという証明だった。

「涙流せないよ あなたの哀しみはあなたの物」(「アルペジオ」)
この歌詞が端的に示しているように、彼等は優しい言葉で慰めるのではなく、ましてや「分かる」なんて言葉を使って共感や同情をすることもない。私たちは分かり合えない他人だということを理解している。それは、私にとってものすごく大事なことだった。他人の幸せの物差しや正しさというのは所詮他人のもので、私が幸せかどうかを決めるのは私だからだ。仕事を辞めたから仕事をくださいと言っても彼等は何もしてくれないし、やりたいことをやるためにお金がいるのでくださいと言っても彼等はくれない。はたまた映画監督になりたいと彼等にいったところで叶えてくれる訳もない。つまり、自分の人生を動かすことができるのは自分しかいないのだ。彼等のライブに行くと自分自身に正しくまっすぐ矢印を向けられるようになる。

[ALEXANDROS]の音楽を聴いていたら、わたしは自分がどんどん凄くなれる気がする。それは根拠のない自信とも似ている。私にとってのラッキーアイテムは毎日、[ALEXANDROS]の曲といってもいい。私が私の人生を輝かせるために[ALEXANDROS]の音楽が必要不可欠だ。

ライブ後、一度でも彼等の音楽を「普通にかっこいい」と思ってしまった自分を恥じた。[ALEXANDROS]はやっぱり、特別にかっこいいバンドだ。
 
 

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