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宇多田ヒカルの”あなた”を聴いて思うこと

同じ時代に生きれた奇跡を

父が運転する車でよく流れていたのは宇多田ヒカルだった。休みになるといつも車で何処かへ連れて行ってくれて、その度にBGMになるので宇多田ヒカルは馴染み深かった。”traveling”が大好きだった。
それから十何年後、僕は宇多田ヒカルのツアー【Hikaru Utada Laughter in the Dark Tour 2018】に行った。
さいたまスーパーアリーナの400レベル。足が竦みそうになるほど高かった。誰もが緊張してるのが分かるくらい異様に静かな開演時間を迎えた会場。歓声があがってステージには宇多田ヒカルが立っていた。
現実が、全く現実味を帯びていない。クリアーな夢を見ている気分だった。

一曲目、彼女の肉体から出た言葉は「あなた」だった。
ぞわぞわと鳥肌が立った。高ぶり過ぎた感情が僕の身体のなかで行き場をなくして、ため息になって漏れていく。
ライブ中ほぼずっとそんな状態だった。宇多田ヒカルの声と言葉はなんでこんなにも苦しく、美しいのだろう。
今までに経験したことがない没入感。歌声に吸い込まれそうになる。
演奏を聴いているというよりも宇多田ヒカルと対話しているようで、ひとときもステージから目を離せなかった。

ライブの中盤にあったショートフィルムではツアーのテーマは「絶望のなかのユーモア」だと明かしていた。
絶望のなかのユーモア。
そのテーマを聞いたとき、映画の【ライフ・イズ・ビューティフル】を思い出した。
強制収容所で受ける罰をゲームだと優しい嘘をつく父とゲームと知って楽しむ子供。
あの父が放ったユーモアある言葉は子にとって どれほど救いだったろう。父の愛情の深さに胸を打たれる。
辛い環境だからこそ、愛の深さが分かる。
笑えない状況だからこそ、あえて笑ってみる。
もしかしたら「絶望のなかのユーモア」は、彼女の人生において非常に重要で、大切なテーマだったのではないだろうか。宇多田ヒカルはそうやって生きてきたんじゃないだろうか。
ステージで歌う彼女はとても強く見えた。過去の出来事なんて無かったかのようにさえ見えた。彼女の肉体はあまりにも瑞々しかった。歌う姿は儚さと強さを兼ね備えて、美しかった。
「絶望のなかのユーモア」は強く美しく生きるためのヒントかもしれない。

はじめて日本人が南極へ行ったときの話を聞いたことがある。
簡単に連絡が取れない、電報だけが唯一の連絡手段だった時代。
長く送れば送るほどお金がかかってしまう電報は出来るだけ短い文章で送られるのが当時の常だったという。
南極にいる夫へ、愛情も心配も全てを込めた言葉を妻はたった3文字で伝えた。その3文字は「あなた」だったという。
身の凍るような極寒の地で「あなた」という言葉を見た夫は、どれほど温かい気持ちになったんだろう。
この話を聴いたとき、宇多田ヒカルの”あなた”が更に好きになった。深い愛情で繋がった関係は息を飲むほど美しいんだと知った。
僕は”あなた”を聴いて何度も胸をくすぐられ、何度も救われた。
“あなた”を聴いてるときに脳裏で出会える人こそが僕にとっての光であることを宇多田ヒカルが教えてくれた。

我が家の父と母は仲が良い。僕が家を出た今でも2人は車で出掛けている。
父にとって、母は”あなた”なんだろう。2人の信頼関係を生まれて初めて羨ましいと思った。
また観れることは出来るだろうか、米つぶくらいの小さかった大きな存在を。そして十何年も前から触り続けて手垢まみれにしてしまった僕にとって大切な曲を。
実家に帰ったら父と宇多田ヒカルの話をして、酒でも飲みながら母のことを聞いてみたい。
アルコールが回って照れがなくなったら愛情をかけて育ててくれたことに、ありがとうと伝えたい。映画の父と子の関係がそうだったように。
そしていつか最愛の「あなた」との子供が生まれたら、僕は父のようになりたい。

愛の美しさと同時に訪れる愛の苦しみを教えてくれたのは宇多田ヒカルだった。
同じ時代に生きれた奇跡を、ただ嬉しく思う。

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