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ゴールなき時代の「こころ」の行方

tofubeats 『RUN』に寄せて

これまで様々なアーティストをゲストに招き、作品を創りあげてきた tofubeats が、一切のゲストなしで一人で作成したという、最新アルバム『RUN』。この作品を聴いたとき、私は、今年で一番、個人の感情の揺らぎや心の震えがダイレクトに伝わってくるアルバムだと感じた。

まず、アルバムの1曲目である「RUN」から見ていきたい。

「RUN」では、いままでになくシリアスで張り詰めた音に乗せて、うかうかしてる間に時間だけが過ぎた」「こんなにたくさんいるのに/たった一人走る時」といった、焦りや孤独が歌われている。私の「RUN」という言葉に対するイメージとは違い、そこには凍えそうなほど冷たい風が吹いていた。

では、私がもともと持っていた「RUN」という言葉へのイメージはどこから来ているのかと言えば、それは、1992年にリリースされた B’z の「RUN」という曲だった。かつて、B’z はこんな風に歌っていた。

 「希望だけ立ち上ぼる/だからそれに向かって」
 「荒野を走れ/どこまでも/心臓破りの丘を越えよう」
 「だれかがまってる/どこかでまっている/死ぬならひとりだ/生きるなら ひとりじゃない」
 「飛べるだけ飛ぼう/地面蹴りつけて/心開ける人よ行こう」

1992年といえば、バブルがはじけた後だが、B’z は、漠然とはしているが向かうべきゴールがあるとし、しかもそのゴールを「希望」と呼んでいた。今は「荒野」だけれど、がんばって走って「心臓破りの丘」を越えたら、そこに「希望」があり、「誰かが待っている」のだと。だから生きて走ってゴールまで辿り着けば「ひとりじゃない」んだと、自らとリスナーを励ます。そして「RUN」が収録されたアルバムは売上枚数200万枚を突破し、その後もミリオンセラーが頻発となる90年代に、B’zは次々にオリジナルアルバムを100万枚以上、時には300万枚以上売り上げた。

対して、tofubeats は次のように歌う。

 「新しいことはできないし 塞ぎ込んでしまう」
 「間違うことはできないし 答えは隠される」
 「どんなに挫かれきっても 僕らはまだ走るのみ」

ここには、閉塞感に覆われ、希望やゴールは全く見えず、「心臓破りの丘」さえない、そんな景色が広がっている。走った先に誰かが待っている保証もない。「新しいことはできない」し、「間違うことはできない」し、「答えは隠される」、そんな八方塞がりの状況は、tofubeats のクリエイターとしての視界であり、90年代のように音源が売れない音楽業界の状況でもあるのだろう。また、それと同時に、様々な業界で仕事をしている、tofubeats と同世代の状況を代弁しているかのようにも聴こえる。そして「どんなに挫かれきっても 僕らはまだ走るのみ」という、「走る」ということ、そのものだけにフォーカスして、シリアスなまま曲は終わる。そこには、もはや他者や社会に期待することを諦めた世代の、「自分がやるべきことをやっていく」しか道はないという、厳しさや切実さが流れている。

同じタイトルだが温度がここまで違う2曲を聴き比べてみると、そこには90年代と現代の違いが浮かび上がってくるようだった。そして、90年代とは全く違う2018年で音楽をつくる tofubeats の感情の揺れが鮮明に見えた。

次に 4曲目「MOONLIGHT」から11曲目「RIVER」を見ていきたい。この部分は、特に流れが秀逸である。

4曲目「MOONLIGHT」はパーティー感のある軽快な曲だが、ここでも1曲目「RUN」に共通する気分が根底に流れているように思う。真夜中の入り口でDJに願うこの曲は、私には「他者や社会に期待することなどとっくに諦めた僕たちは、DJに願いを託すくらいしかやることがない」と言っているようにも聴こえた。

そんな彼らは「夜の静けさに合いそうな曲を流して欲しい」「月の輝く光をもうちょっと強めて欲しい」「いつまでも進まない時間をちょっと進めて欲しい」と DJ に願いを託す。すると、5曲目「YOU MAKE ME ACID」、6曲目「RETURN TO SENDER」、7曲目「BULLET TRN」と、DJ tofubeats が深夜のクラブのDJで踊らせてくれる。そして8曲目「NEWTOWN」では、クラブで出会ったであろう二人がニュータウンで暮らす様が描かれる。

9曲目「SOMETIMES」では「時々愛を 見せて欲しい」と、「愛」という言葉とストレートな欲望を歌うが、バックトラックではピッチが少しずつずれていく。それはまるで、二人の間の空気が出会った頃とは変わっていく様子のようだ。そして10曲目「DEAD WAX」では静かな鍵盤の音に乗せて「音楽が終わってしまった」「友達も帰ってしまった」「自分だけがいる」と、またしても孤独が歌われる。DJに願いを託し、踊った夜もどこへやら、再び1曲目「RUN」と同じような孤独と不安定に包まれてしまう。

そんな中、やはり静かな鍵盤の音で「RIVER」が始まる。この曲は「ふたりの愛」について歌っているのだが、そこに漂っているのは不穏と不可解である。特にアウトロで流れる音は、川面に映る二人や、あるいは tofubeats 自身の表情や心のように不安定に揺れている。

この素晴らしい川のような流れで聴いていくと、アルバム『RUN』は、「八方塞がりの厳しい状況で焦りや孤独を感じながら生活している者の、心の揺れが表出した作品」という風に見える。冒頭で述べたように、「今年で一番、個人の感情の揺らぎや心の震えがダイレクトに伝わってくるアルバム」だと感じたのだ。

だが、その中で、それだけでは説明がつかない、異色を放っている曲があった。
「ふめつのこころ」だ。

「ふめつのこころ」は、初めて聴いたときから不思議な曲だと思っていた。ドラマの主題歌のために作られたということもあり、tofubeats のこれまでの曲の中でもポップに振り切れている。そこに「愛はきっとふめつのこころ」とか「ふめつのこころは LOVE LOVE LOVE」とか、いまいち何を言っているのか分からない呪文のような歌詞が乗っている。だけど、なぜか分からないが、私はこの曲がすごく好きになった。

ある日、アルバム『RUN』に付属していた「制作日誌」を読んでいると、この曲が持つ「異色さ」や「不思議」のヒントになりそうなことが書いてあった。「ここでいう『こころ』というのは自我、とか意思というものに近い」のだという。そしてもう一つ、気になることが書いてあった。「アルバム『RUN』のとっかかりになったのは『ニュータウンの社会史』(※)という本」だというのだ。そこで私もこの本を読んでみることにした。

『ニュータウンの社会史』は、常に外部から「見られる」「語られる」側だったニュータウンを、住民や地域社会の側から解き明かしていこうという趣旨で書かれていた。そこには、土地の買収など、行政が強引に開発を進めていく様子が書かれているのだが、行政は強引にニュータウンを開発したにも関わらず、病院・学校・図書館・交通など、生活に必須の施設やインフラの整備は不完全だったそうだ。そんな状況で、驚きなのが、ニュータウンの住民は、自主バスの運行を始めたり、「なかよし文庫」という地域文庫活動を始めたり、ミニコミ誌という地域メディアまで作ったというのだ。(※)
tofubeats も「制作日誌」の中で、特にこの自主バスの運行について「自分たちで寄り合って問題を解決しようとする姿勢、というのが新鮮で、今自分が思っているニュータウン観とは全然違う」と驚いている。

「陸の孤島」と呼ばれたニュータウンにおいて、八方塞がりの状況と、行政という「上」や「外部」に対する怒りの中で、住民たちが自分たちで「どうにかしよう」と智恵を出し合い実行し、ニュータウンでの生活を成立させていった(※)というのは、すごい話だと思うし、それに tofubeats が感銘を受けたというのはとても納得できる話だ。ニュータウンの住民たちの状況というのは、『RUN』で描かれている者たちとの状況と重なっているし、ニュータウンの出身でもある tofubeats は意思やエネルギーをもって現実を変えていこうとした先人たちの姿から何かを受け取ったのだろうと思う。

ここで私は、tofubeats が「ニュータウン生まれ」であり、かつ「インターネット育ち」であることも、アルバム『RUN』を流れる空気に関係しているのではないかと考えるようになった。『ニュータウンの社会史』(※)を読んでいるうちに、彼が主戦場としてきたインターネットをめぐる状況というのは『逆ニュータウン状態』なのではないかと思うようになったからだ。

それがどういうことなのか説明していきたい。
ニュータウンの始まりは行政の強引な開発だったが、その後、住民の意思と行動により自分たちの生活を獲得していった。これに対して、インターネットは別に行政によって強制的にスタートしたわけではなく、当初はとても自由な場所だった。 tofubeats がインターネットに深くコミットしていく2000年代後半も、Myspaceの黎明期、ニコニコ動画・YouTube・Twitter ・Ustream の立ち上げ時であり、インターネットはいつも新しくて楽しいものがある場所で、現実を拡張したり加速してくれるものだった。そのなかでも今でも強烈に覚えているのは、tofubeats の盟友の DJ okadada が 2009年12月24日に行った Ustream のことだ。

okadada が自分の部屋でDJをする様子をUstreamで流していたのだが、それをいとうせいこうがTwitterでツイートすると、視聴者数がどんどん増えていき、2000人を突破した。そして朝まで視聴者数は増え続け、Ustreamの視聴ランキング1位になった。このクリスマスの奇跡を目にした人は、みんな興奮していた。Twitter と Ustream があれば、音楽も生活ももっと楽しくなる。そういう可能性を感じていた。そういえば、その頃の Twitter は、本当に自由だった。何をつぶやいてもよかったし、誰をフォローしてもよかった。思わぬ反応があったり、知り合いが増えたりした。どんどん世界が広がっていく感じがあった。

それが、いつの間にか、インターネットは窮屈な場所になった。それも行政など外部のせいではなく、住民の使い方によって窮屈になっていった。「こういう使い方はしてはいけない」とか「こういうことは書いてはいけない」とか、自治しようとする人が出てきた。そして、その自治は、ニュータウンの住民たちの「自分たちの生活をなんとかしていこう」という開拓や前進のエネルギーとは違い、「こうしてはいけない」という否定と後退のエネルギーだった。(例をあげれば、Twitterの「無断フォロー禁止」「無断RT禁止」や、「FF外から失礼します」という謎の挨拶などである。これらは Twitter の運営側が決めたことではなく、一部の利用者が勝手に言い出したことであった。)

これは私が勝手に感じているインターネットの窮屈さであるが、2009年~2010年あたりの、twitter と Ustream などによる狂騒の最中にいた tofubeats も、色々な場面でインターネットの窮屈さを感じるようになったのではないだろうか。間違いが許されないピリピリした空気に「挫かれきって」しまうことも増えた。その感覚もまた、今作『RUN』に流れている閉塞感に影響していったのかもしれない。

そして、結局、tofubeats による制作日誌と『ニュータウンの社会史』(※)を読んで、ニュータウンや逆ニュータウン状態であるインターネットのことを考えた結果、私が辿り着いたのは「始まりがどのようなきっかけであったとしても、そこをどのような場所にするのかは使用する人の『意思』次第」だということだった。

そこに辿り着いてから、もう一度「ふめつのこころ」を聴いてみる。

 「愛はきっとふめつのこころ/君にずっと送っている気持ちです/何度だって思い返すよ/君のこと永遠に/ふめつのこころは LOVE LOVE LOVE」

愛は自分の意思によって永遠にすることができるし、それをずっと君に送る、と tofubeats は歌っている。流れる川のように揺れる感情の中で、彼は意思を持とうとする。繰り返される「ふめつのこころは LOVE LOVE LOVE」という呪文のようなフレーズは、「なんとか良い方向に向かうような、開拓していけるような意思を持とう、そういう良い意思は『愛』と言い換えることもできる」と言っているように、私には聞こえた。

さらに、アルバムラストには「ふめつのこころ SLOW DOWN」という「ふめつのこころ」の遅回しバーションが収録されているのだが、その中で彼はこんな風に歌っている。

 「揺れる音を出す 体が動き出し始めている/簡単に投げ出しちゃって 終わりにしないでよ」
 「終わらせない まだまだ ふめつのこころを君に誓う/何度だって再生しても 何かを感じられる/その先に 何があるか確かめて」

最後の最後で、tofubeats は、「終わらせない まだまだ」と意思を剥き出しにする。そして、ここでいう「君」はきっと音楽のことだろう。音楽をつくって、音を出したら、何かしら感情が溢れてくる、そうすればまたその先に行けるということを確信して、アルバムは幕を閉じる。

それから、もう一度1曲目の「RUN」に戻ってみると、「どんなに挫かれきっても 僕らはまだ走るのみ」というフレーズには、厳しさや切実さだけではなく、その先の彼の意思が宿っているように感じた。

だから、tofubeats の最新アルバム『RUN』は、「個人の感情の揺らぎや心の震えがダイレクトに伝わってくる」ただそれだけの作品ではなくて、「感情の揺らぎや心の震えの先で、意思を持つと決めた」、そういう作品なのだと思った。

平成2年生まれの tofubeats が、ニュータウンとインターネットを経由した後、ゴールなき時代の冷たい風に吹かれながら、「ふめつのこころ」を誓ったところで、もうすぐ平成が幕を閉じようとしている。果たして、私たちの「意思」は、良い意思なのだろうか。「愛」と言い換えることができる「意思」を持ち続けることができるだろうか。自信も確信もないけれど、「僕らはまだ走るのみ」だ。

(※)参考文献  金子 淳 『ニュータウンの社会史』 (2017)青弓社

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