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ポールずっと観に行くよ。まだライブで聴きたい曲が山ほどあるんだ

ポール・マッカートニーFRESHEN UP TOURを観た。ポールのナンバーは僕の永遠のロックアンセム

数年前に桑田佳祐さんが自身がパーソナリティを務めるラジオ番組で、
「今までジョン派と言っていましたが、実はポール派なんです。ジョン派と言っておいたほうが都合がよかったので、今まで言いませんでした」
というような趣旨の話をした。
サザンで「Dear John」を唄い、ソロアルバムでは、シリアスなメッセージを唄う桑田さんを僕はずっとジョン派だと思っていたので笑ってしまった。

中学生のときビートルズを知った僕は、ビートルズはポール中心のバンドであるという認識を持ち、ジョン・レノンの偉大さを知るのは、ジョンが亡くなった後にジョンのアルバムを真剣に聴き、ビートルズのアルバムを聴きなおしてからであるから、基本的にポール派である。

ポールのメロディは中学生の僕の心を鷲掴みにし、これからも鷲掴みにされたままであろう。

大昔の話で恐縮だが、かつて、音楽を取り上げる雑誌では、日本の音楽関係者、ミュージシャン、歌手に
「無人島に持っていくアルバムは何にしますか」
という質問の記事が頻繁に掲載されていたと記憶している
本当に頻繁であったのか否かは自信はないのだが、ロックを聴きだした中学生から今まで、時々その質問が頭をよぎるのだ。僕の答えはずっとかわらずビートルズの『Abbey Road』だ。
老若男女、誰にでもこれがロックだと自信をもって薦めることができるアルバムである。『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』は文句のつけようがない革新的な素晴らしいアルバムである。その後のロックに与えた影響は最大である。が、時代を反映した音であり、ロックを聴きこんでいない人には好みが別れるアルバムだと思う。
対して、『Abbey Road』はロックンロール、ブルース、美しいバラード、メッセージ性、革新性とあらゆるロックの要素が1枚に詰め込まれ、現在でも普遍性を持ち得る奇跡的なアルバムだと個人的に考えている。

最初に手に入れたビートルズのアルバムが偶然な幸運で『Abbey Road』だった。
40年以上ロックを聴き続けているのはこの幸運な出会いがあったからだ。
何も知らない僕がなぜ『Abbey Road』を選んだかというと近くの某大手スーパーマーケットの催し物コーナーで輸入盤フェアがあり、ビートルズのアルバムで一番安価だったのが『Abbey Road』だったという金銭的な理由。田舎の中学生がLPレコードを買うのは大変な決断なのである。このアルバム、レコードレーベルがAppleマークではなかったので、どこの国の輸入盤だったのだろう。今となってはわからない

家に帰って、チープなレコードプレイヤーに針を落とす。
ジョンの「Come Together」に鳥肌がたち、ジョージの「Something」の美しさに震え、ポール中心のB面のメドレーに唖然とした。そして、その日から毎日、何度も何度もリピートした。毎日毎日聴いていた。50数年の人生で最も聴いたアルバムは間違いなく『Abbey Road』だ。

僕が本格的にロックにのめり込んでロック少年になっていく1976年、当然ビートルズは解散していた。ビートルズのメンバーで1976年に第一線でバリバリ活躍していたのはポールだけで、ウイングスの全盛期。ジョンはハウス・ハズバンドとしてミュージシャンは休業していた。

お金持ちの先輩は大きなステレオとたくさんのレコードを持っていた。毎週土曜日の学校帰りに家に遊びに行っては、色々なレコードを聴かせてもらった。そのなかに、ウイングスの『Wings Greatest』があった。今思うと不思議な選曲である気もしないではないのだが、このアルバムをカセットテープに録音してもらい、ずっと聴いていた。

並行して、ビートルズのアルバムを『Abbey Road』から遡って集めていった。
『Abbey Road』の次に買ったのは米国編集盤である『Hey Jude』である。 今は公式アルバムではなくなって、発売されていない。「Lady Madonna」、「Hey Jude」がお気に入りのナンバーだった。僕はポール派なのである。
話がそれるが、米国編集である『Magical Mystery Tour』は正式盤の扱いなのに、なぜ『Hey Jude』と『A Collection Of Beatles Oldies』はCD化されないのだろう。『Past Masters』にまとめられたということなのだろうが、この2枚には思い入れがあるので、復刻し、是非CD化してもらいたい。初期の米国盤、日本盤のCD化は実現しているのだから、釈然としない。

初めて買ったライブアルバムはウイングス全盛期の『Wings Over America』。3枚組、大金だ。しかし、どうしてもライブでビートルズの「Lady Madonna」 「The Long and Winding Road」「Blackbird」「Yesterday」を聴きたかったのだ。ウイングスの曲は素晴らしいし、ビートルズの曲をライブで唄うポールは感動的だった。

田舎の中学生だった僕にとって、海外ミュージシャンのライブを観ることなど全く想像できなかったのだが、いつかウイングスのライブを観るのが当時の夢だった。
それ以来、僕にとってのライブアルバムのナンバー1は変わらず『Wings Over America』である

1980年の幻の来日公演当時は、田舎のバンカラな男子高の高校生で、体育会系の部活、彼女なしでデートもしたことがなく、家に帰ってキング・クリムゾンを聴いているというむさ苦しい高校生で、幼少の頃に東京に行って以来、田舎の県内から出たこともなく、新幹線には、高校2年生の修学旅行での乗車が初めてという有様だったから、東京でライブを観るなどということは考えたこともなかった。
ボブ・ディランの初来日、ウイングスの来日騒動もテレビの中だけの異国の出来事でしかなかった。

が、人生はわからないもので、進学で東京に上京することになり、東京で就職して、転勤もあったが、このまま東京に住み続ける人生になりそうだ。
タイムマシンがあるなら、中学生の僕に、“お前はポールのライブを観れるんだぞ。もっと勉強頑張れ”と伝えてやりたい

ポールのビートルズ以来の来日公演である1990年、僕は東京ドームでポールを観ることができた。
1980年の事情も理解し、ローリング・ストーンズが来日していない事情を理解した僕は、ポールの来日はないだろうと思っていたから奇跡の出来事だった。

1990年は振り返れば、僕の人生で最もロックな1年。
大きなコンサートが目白押しだった
順に
来日はないかと思っていたローリング・ストーンズが初来日
ポールの来日
デヴィッド・ボウイの『Sound + Vision Tour』
プリンスの『Nude Tour』
を東京ドームで観たのだ、

ポールのライブは、2階席の奥底の席でポールは豆粒。当時の東京ドームの音響は本当に酷いものでハウリングはするし、スクリーンに映るポールに比較して音が遅れてくるという現在では信じ難い状況だったが、ポールが数多くのビートルズナンバーを本格的に解禁したライブであり夢のようだった。

人生最高に感動したライブはこのポールのライブである。

その後、20数年は転勤やら子育て、自身の病気などで、僕は音楽もあまり熱心に聴いてはいなかった。ひと段落した2014年のライブを取り壊し前の国立競技場で観ることにしたのだが、ポールの体調不良でまさかの中止。もうポールは観れないのではと相当に落胆したが、翌年の2015年の東京ドームで25年のときを経てポールのライブを友人と観ることができた。
その日はアリーナのかなり前方で、某有名大御所ミュージシャン、国会議員などがすぐそばで観ていた。さすがポールだとなんだかうれしくなってしまった。

2017年はスケジュールがあわずパスし、昨年2018年のライブも行こうか行くまいか悩んだ。家のローンを抱える普通のサラリーマンには、高額なんだよなぁポールのチケット代は。
何せ、12月にはキング・クリムゾンに行くことになっているし、まさかポールがまた来日するとは思っていなかったから、やりくりが大変なのだ。時期が重なると。
しかし、行くことに決めた。ニューアルバム『Egypt Station』で全米ナンバー1を獲得する現役バリバリのポールを観なくてどうするのだ

2018年10月31日(水)開演時間ほぼ定刻通りにポールが登場。
オープニングナンバーは「A Hard Day’s Night」。いきなりジョンのナンバーでくるか。もう感動で鳥肌がたつ。 続いてウイングスの「Hi,Hi,Hi」、ビートルズの「All My Loving」。来てよかった・・・

次の曲のイントロで涙ぐんでしまう。なんと「Letting Go」である。『Wings Over America』で3枚目のB面の1曲目。いつかライブで観たいと思っていたが今までは観る機会はなかった。今回も演らないだろうなと諦めていたナンバー。スタジオ盤もライブ盤も間奏のホーンセクションと泣きのギターが印象的なソウルフルなナンバーだ。因みに『Wings Over America』は全面的にホーンセクションがフューチャーされている。特に「The Long And Winding Road」の控えめなホーンアレンジは素晴らしい。
間奏でホーンが響き渡る。ステージ上のメンバーにホーンセクションはいなかったから、キーボードかと思った。が、アリーナ席の通路にホーンセクションメンバーがいるではないか・・やばいよポール、どこまで感動させるんだよ。

『Egypt Station』の2曲。そして、ギターに持ち替えて、「Let Me Roll It」『Wings Over America』の1枚目A面2曲目。
この日のステージでは『Wings Over America』に収録された28曲ナンバーから11曲が演奏された。ウイングスの「Hi,Hi,Hi」「Letting Go」「Let Me Roll It」「Let ‘Em In」「Band on the Run」「Live and Let Die」ソロ「Maybe I’m Amazed」、ビートルズの「I’ve Just Seen a Face」「Blackbird」「Lady Madonna」「Yesterday」
帰りの電車の中で、貪り聴いていた『Wings Over America』をiPodで聴いていくことを決めた

中盤のアコースティックセットで「Blackbird」、ポールがジョンのことを唄った「Here Today」と続く。「Here Today」で、昨年の冬に若くして急逝した僕のかつての同僚だった彼を思い出した。冬の底冷えのお葬式の日、帰りに僕は「Here Today」を聴いて電車に乗っていた。
その日のことを思い出し、涙が流れるのを止められなかった・・・

ここ数年のツアーでおなじみのジョンの「Being For The Benefit Of Mr. Kite!」ジョージの「Something」。もうビートルズのジョンとジョージのナンバーを歌えるのはポールしかいないのだ。

「Ob-La-Di, Ob-La-Da」からはラストに向けて、ビートルズ、ウイングスのナンバーを交互に演奏し、ひたすら盛り上がり熱狂するだけだ。「Ob-La-Di, Ob-La-Da」「Band On The Run」「Back In The U.S.S.R.」「Let It Be」「Live And Let Die」「Hey Jude」いったい僕はこれらのナンバーを何度聴いているのだろう。ビートルズとウイングスに出会い、ロックの虜になって、ロック少年になり、『Wings Over America』を聴いて、いつかウイングスのライブを観ることが夢だった頃と同じ、いやその後の40年の人生で体験した出来事が積み重なって、より強く心が揺り動かされる。

「Hey Jude」の大合唱で本編は終演。

アンコールでThe Ballad Anthem「Yesterday」、The Rock ‘n’ Roll Anthem「Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band (Reprise)」、The Heavy Metal Anthem「Helter Skelter」。ロックの素晴らしさのすべてを凝縮した3曲。ロックに出会えてよかった。
何より、この3曲のロックアンセムを世に送り出し、僕にロックの素晴らしさを教えてくれたポールが目の前で唄っている。

ソロソロカエルジカンデス というポールのMC。
ラストナンバー【アビーロードメドレー】だ

ポールがピアノに座り、「Golden Slumbers」のイントロを演奏する。この感動を言葉にする文章力は僕にはない。ベースでシャウトするポールはカッコイイが、僕はそれ以上にポールのピアノが演奏するナンバーは無条件に好きなのである。
ギター、ベース、ドラム、ピアノで演奏される曲を聴くと無条件に感動してしまう。
この趣味趣向は【アビーロードメドレー】を初めてはじめて聴いたときに決まってしまった不変の法則だ。

1990年の初来日公演のラストに、まさかの【アビーロードメドレー】のイントロを聴いたあの日、僕は感動のあまり泣いた。
【アビーロードメドレー】をライブで聴ける日がくるとは・・・・
そして、今回のライブで、ロック青年からロックオヤジになった僕はやはり涙ぐんだ。

何度、聴いたろう、部活の試合前日、受験の日、オヤジが急逝したとき、結婚式のとき。結婚式の入場曲はデヴィッドボウイの「The Wedding Song」で退場の曲は【アビーロードメドレー】だった。
その後、病気で苦しんだ日、病気後の健康のためにはじめたジョギングのBGMの1曲目は【アビーロードメドレー】。
僕の人生の節目には必ず【アビーロードメドレー】がともにあった

「Golden Slumbers」作 レノン=マッカートニー
Once there was a way
to get back homeward
Once there was a way
to get back home
Sleep pretty darling, do not cry
And I will sing a lullaby

「Carry That Weight」作 レノン=マッカートニー
Boy you’re gonna carry that weight
Carry that weight a long time
Boy you’re gonna carry that weight,
Carry that weight a long time
 

ビートルズが解散し、I don’t believe in Beatlesと歌ってビートルズと決別しようとしたジョンとは対照的に、ビートルズという帰る場所を失い1人になったポールは70年代にビートルズという偉大な幻影を一人重い荷物を背負い続けているようにウイングスを結成し大ヒットを連発し、精力的にツアー敢行し、音楽シーンの最前線を常に走り抜けた。

80年代に入り、相次ぐトラブル、そして音楽シーンを席巻したPUNK、New Waveの嵐が吹き荒れ、ウイングスが空中分解した後は、1人でテクノポップに挑戦し、『McCartney Ⅱ』を発表し、大ヒット。
直後にジョンが亡くなった後、ジョージ・マーティンをプロデューサに迎え「Here Today」を含む名盤『Tug of War』を発表し大ヒットさせ、ソロとしての地位を完全に確立した。

その後も好不調の波はあるが、1962年にビートルズでデビューして以来、50年以上常にロックシーンのTOPを走り続けている。
決して、ノスタルジーになることなく、現役のミュージシャンとして、時代の音に向き合い、挑戦し、素晴らしいアルバムを作り続け、かつファンの望むビートルズのポール・マッカートニーも引き受け、多くのファンが望むポール・マッカートニーとして、素晴らしいライブを世界中に届けている世界一のエンターテイナーなのだポールは。

「The End」作 レノン=マッカートニー 
And in the end
The love you take
Is equal to the love you make
Ah

ありがとうポール。
ポールが僕に届けてくれた【LOVE=歌】を僕はこれからも聴き続ける。
そして、次の来日ライブにも必ず行く。僕には、まだまだライブで聴きたいポールの曲があるんだ。

『London Town』が好きなんだよ。リアルタイムで初めて手にしたウイングスのアルバム。ポールがリラックスして作った小品はたまらなく愛おしい。

ポール
僕は進学で上京して一人暮らしを始めて、不安と孤独で居たたまれない日々に毎晩「With A Little Luck」を聴いて眠りについたんだよ。
スタジアムライブ向きではない曲だろうけど全米1位の曲。全米1位の曲を演奏しないでもライブが成り立ってしまうのがポールのポールたる凄いところなのだけど、これからも「With A Little Luck」を演奏しないかと期待しながらポールの世界一のエンターテイナーのライブを観続けるよ。
また、素晴らしいライブを観せてくれるのを待っているよ。

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