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「さようなら」と、汽笛は泣いて

矢野絢子、「劇場 歌小屋の2階」最後のライブによせて

シンガーソングライター・矢野絢子の存在を知ったのは、彼女がデビューした2004年のことで、私は当時中学生であった。あの頃、毎月毎号すみからすみまで読みまくっていたROCKIN’ON JAPANに、でかでかと見開きで写真と紹介記事が載っていたことがきっかけだった。

“誰にも似ていない歌”“彼女の歌は、絶対に響き渡る。”
そんなことが書かれていたと思う。写真は、活動拠点である高知県の「ライブハウス歌小屋の2階(のちに立ち退き命令が出たことで移転。2019年現在は『劇場 歌小屋の2階』)」でのライブ中のもの。鍵盤から少し手を浮かせて目を閉じ、大きくうつむいていて、そのままピアノへ沈み込んでいきそうな写真だった。
あれから今までと考えると、約14年。生きてきた人生のだいたい半分くらいの年月にはなった。

矢野絢子の歌声は倍音が少なく、乾いており、少し不安定な震え方をするので、おそらく一般的には“美声”ではない。ただ、ライブで二十数曲唄い続ける中でも常に弱まることなく、言葉が耳の奥までじんじんと響く程はっきりと伝わってくる、むき出しの魂そのもののような強い声だと私は思う。

そして彼女の一番の強みはその作曲能力にある。歌を始めてから現在までの持ち曲は何百という単位であり、毎年少なくとも数曲~数十曲は生み出し続けている。自分でも「私は湯水のごとく名曲が生まれるので」とか言っていた。
曲によってロック調であったりジャズやブルースであったりもするけれど、基本的には主に懐かしくなるようなフォークソングが多い。使い倒されたコード進行で、歌詞も平易な日本語ばかり。にも拘わらず、メロディと言葉で彼女が作り上げる抒情的なパンチラインに、私はいつも撃ち抜かれてしまう。歌の流れの中で情景がありありと浮かび、まるでそれがとてもよく見知った場所であるかのように、心に刻まれてしまうのだ。

矢野絢子の歌を知ってから、私は誰のどんな歌よりも矢野絢子の歌を聴き、ライブに通って、日々を過ごしてきた。それはなんというか、飲みなれた実家のお茶のようなもので、彼女の歌が私の中の「良い歌」のひとつの標準となった。
もともと音楽は大好きだしそれなりに色々出会ってきているけれど、彼女自身の音楽性がほとんどブレないこともあって、その標準だけはずっと変わらなかった。
時に踊るように、戦うように、飛び上がるように、沈み込むように、ピアノと戯れながら空間を支配していく彼女の横顔を、ずっとずっと見てきた。
今も、多分これからも。

2018.12.22の朝、大阪から高速バスに乗って高知に向かった。

それより数か月ほど前、矢野絢子が年内で「歌小屋の2階」から離れることが発表された。彼女自身が仲間たちと作り上げ、二十余年ずっと活動拠点としてきた歌小屋。この日は、その歌小屋での最後のライブの日だったのだ。
夕方に高知に到着し、少し時間を潰してから歌小屋へ行った。路面電車に乗って、桟橋通へ。大通りから暗い道に入り、てろてろ歩いて到着した頃には、会場は既にほぼ満席状態だった。

私が初めて歌小屋に行ったのは、確か高校生の時だった。あれからもう何度も観に行ったし、何度か演奏をさせてもらったりもした。いつも突然観に来る私を、程よいあたたかさで受け入れてくれる歌小屋の人たち。ひとつひとつ手作りで、私の知らない長い長い歴史が刻まれている場所。
それぞれどんな気持ちでこの日を迎えているのか、想像もつかない。つかなくていいのだけども。

これだけの特別な日だから予想通りではあったけれど、私のように他県から来た客が大勢居たようで、客席の頭上にあるロフト式の座敷もすぐに満杯になった。私はなんとかギリギリで、一番後ろの壁際の椅子に座ることができた。ちょうど、ステージでピアノを弾く彼女が、真っ直ぐ見える位置だった。
ライブは「12月」という曲からはじまった。

矢野絢子は、歌小屋で活動している他のミュージシャンと同じく、自身の楽曲群をひと月ごとに区分している。そして、歌小屋でのライブは基本的にその月に属する曲しか演奏しない。という取り組みをずっと続けていたのだけど、昨日は特別な日だったからか制限が取り払われており、比較的メジャーなアルバム収録曲を中心に、いろいろな曲をやってくれた。

2005年発売『窓の日』から「つめたい手」「一人の歌」
同年発売『浅き夢』から「かくれんぼ」。
2007年発売『天天天(モナカ名義)』から「20W」。
2011年発売『いちばん小さな海』から「一八〇〇秒の永遠」。

当たり前のように口ずさめる、体に組み込まれているとも思えるくらい、大好きで大好きで、数えきれないほど聴いてきた曲ばかりだった。彼女がどんな気持ちで曲を選んで、唄っていたかは無論わからないけれど、私は自分の大事なアルバムをひらいて、眺めているような気持ちになった。
『浅き夢』『窓の日』の頃は高校生。『天天天』の頃は大学生。『いちばん小さな海』の頃は、大学を辞めたばかりで、あてどなくバイトをしていた。
一般に青春時代とよばれる年頃に、青春という響きにふさわしい輝きのほとんどない鈍色気味な日々を送った私ではあるけども、それでも、懐かしい歌とともに蘇る思い出たちのどれもが、今は眩しかった。

つくづく思った。矢野絢子の歌声が、旋律が、私の青春そのものだったと。
写真も動画もなくていい。歌を聴けば、思い出が溢れ出す。過ぎていった日々のあちこちに、歌が刻まれているのだから。
そして今またこうして歌に触れるたびに、街灯の灯が道をてらすように歌が私の姿形を浮かび上がらせ、導いてくれているような気持ちになる。
好きな歌というのは、人生において、こんなにも大きな宝だったのかと、改めて気づかされた。

歌小屋のスポットライトに照らされ、ピアノの音と歌声のみで、次々と自由自在に景色を塗り替えていく。この決して広くはないライブ会場が、世界のすべてであるかのようにすら思える。魔法のようだった。

途中のMCで彼女はこんなことを言った。

「ずっと生まれた場所で暮らしている自分にとって、郷愁を感じる故郷とは、過去である」
「絶対に過去には戻れない。そう思ったとき、自分には歌があり、過去の歌を今唄うことで、過去に戻ってると思った。歌が故郷だと思った」

それは私がまさに今ライブを見て感じていたことに、とても良く似ていた。
その後、大好きな「故郷」という曲がはじまったところで涙が止まらなくなってしまった。誰にも届かない独白が、頭を駆け巡っていった。

絢さん。私には、絢さんの歌があったの。
絢さんの歌が故郷だった。それまでの日々が、今の自分の心が、やさしい雨で洗われていくような、何物にも代え難い時間だった。今までずっと。

過去だった、故郷だった、夢だった、恋だった。そして、
誰かと過ごす時間の狭間でひとり立ちすくむ、駅のホームで電車を待つ、
誰もいない夕暮れの帰り道を歩く、真っ暗な部屋で膝をかかえて泣く、
そんなような、時間だった。

ずっとそれを覚えている。ずっとそれがよみがえる。たとえ忘れたとしても、ずっと消えない。きっとこの心の、頭の、身体のどこかに息づいている。

矢野絢子は(例えば今現在のROCKIN’ON JAPANに掲載されているような)誰もが認めるスター、というような歌い手ではない。カルチャーの動きを鋭く捉え、多大なセールスを上げるような音楽家では決してない。
でも、私にとっては唯一無二の奇跡の歌い手だ。人生において、これほどの音楽に出会えたことは、私の誇りだ。強く強くそう思った。

おそらく一番有名な「てろてろ」の後、ライブは一旦休憩を挟んで後半にさしかかった。後半では人生そのものを見つめるような楽曲が多かった。

 ともした灯りはいつか いつかちゃんと消す日が来る
 みんなで笑ってともしたように みんなで笑って消すんだね

(『汽笛は泣いて』矢野絢子)

生きることと死ぬことを唄うとき、矢野絢子の詞はひときわ冴え渡る。ここ数年の音源の中では屈指の名曲である「汽笛は泣いて」もその一つだ。
遠くから聞こえてくる列車の音のような、優しいピアノのリフレインが響く。客席から、すすり泣く声が少し聞こえる。
リフレインが響く。列車は、会場を抜け出て、空へと高く高く昇っていくようだ。
それは、そこに居るすべての人が、そこに居るすべての人の日々を、許し合い、いつくしみ合っているような、とてもとても美しいひと時だった。

涙を拭い続ける私。今度は軽快にピアノを鳴らしながら、満面の笑顔を客席に向ける彼女。なんて綺麗なんだろう、ずっと見ていたい。そんな風に思った。

その日の最後の一曲は、メジャーデビューして最初に発売されたアルバムの名前を冠した「ナイルの一滴」というインストゥルメンタルだった。
一滴のしずくが落ち、それがひとつの流れとなり、少しずつ少しずつ大きなうねりを生み出していく、壮大な一曲。これ以上ないほど最後にふさわしい曲だった。
今日この時のことを、この気持ちを、私は一生忘れたくない。絶対に消えてくれるなと願った。

終演後、今の気持ちをとにかく思いつくままに必死でスマホに書き残している私のそばを、舞台を下りた絢さんが通っていった。絢さんは、通り過ぎる瞬間に私の頭をポンポンと軽くたたいて、「ありがとう」と言ってくれた。

その時思ったことを、今もずっと考えている。私は果たして、好きな歌に、この奇跡の出会いに、与えられる感動に、見合う人間になれているだろうか。
絢さんは歌小屋を離れた。そうして前に進んでいる。私も前に進まなければいけないんじゃないだろうか。
私はいつか、できればそう遠くないうちに、作り手の力になれるような仕事がしたい。そうだ、そうしよう。絶対しよう。そう思って、よしこれも消えるな、これこそ絶対に消えてくれるな、と願いながら、歌小屋をあとにした。

 目覚めた魂は何処へ行く
 もう無い まだ無い ここには何も

 赤く掠れた頬を打つ 泣き声は風に消された
 立ち上がり背を向けろ
 お前が還る所は まだ遠い

(矢野絢子『故郷』)

自分が手にしてきた奇跡、それを与えてくれた人たちに対して、返せていないことというのは、多分これだけでなく沢山ある。
これから少しずつ、返していけるような人生にしていきたい。
挫けそうになったら、またこのライブの日のことを振り返り、「故郷」を聴いて、立ち上がろうと思う。

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