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音楽とわたし

Mr.Childrenが点火した音楽への情熱

The Cureの”Friday I’m in love”を聴きながら、土曜の夜に浸っている。この曲は曜日で恋に落ちるまでの過程を表している。そのフレーズの中で土曜は“ただ待っている”だけの何もしない1日である。わたしの場合“ただ待っている”だけだと音楽を愛したきっかけを忘れてしまって“手遅れ“の日曜が来てしまうかもしれない。そうなってしまう前に綴っておこうと思う。金曜に恋に落ちるまで、わたしについての話に付き合ってほしい。

小学4年の頃、九州に知らない男性と消えてしまった祖母を迎えに行ったことがある。母と叔母が交代で運転をしながら丸一日車に揺られていた。
その頃、大人の間では色々やりとりがあったのだろう。叔母も母親も神妙な面持ちで何やら真面目な話をしている。車内は出発前から静電気の地味に感じる痛みのような空気を生み出していた。
旅行感覚でついてきてしまったが、一人で家にいる方がマシだった。暗闇になればゲームの攻略本も読めないし、自由に手に届くあらゆる娯楽は完全にこの環境のせいで選定されてしまっている。

その上サービスエリアに着くや否や歯磨きをしろ、トイレに行けなどうるさい小言が耳に入る。そのたびに憂鬱になった。発せれたそれらの言葉が車内を埋める前に窓を開けて、気持ちを安らげていた。
この地獄へと続くような息苦しい旅に、自ら手を挙げてしまった2週間前の自分をぶん殴ってやりたかった。
狭い車の中に閉じ込められている時間と、サービスエリアで受ける数々の命令が、沸々と下半身から湧き上がる赤い感情を生み出していく。

気持ちを落ち着かすために何度リセットボタンを押したかわからないゲームのソフトを起動する。重たい空気を全く読めないふざけたBGMに子供ながら違和感を覚え、ゲーム機の横にあるボリュームキーを1番下まで下げる。

フェードアウトしたふざけた音の後にフェードインして耳に音が入り込んできた。スピーカーから流れてきたのはMr.Childrenの当時の最新アルバムだった。<天国へと続く滑走路/全力疾走で駆け抜けろ>と9歳に叫び、訴えかけてくる。人生素人のクソガキに伝わるわけもないそのフレーズが、何故か自分が置かれている地獄へと続くようなこの高速道路上で流れたことに変な高揚感を感じた。そしてこのフレーズが頭にこびりついて離れなくなった。歌詞の理解はできないが胸が高鳴った。祖母を迎えにいくこの行為が急に自分が大人になるための大事なステップに思えてきた。これが初めて音楽がわたしの心を奪った瞬間だった。

車は山奥の古びた木造家屋の前で止まった。ジブリの映画のワンシーンを思い浮かべる。もう母と叔母はこの家に入れば豚になって帰ってこないのではないだろうか。そんなことを考えるほどの余裕があったと言えばそうだが、そんなことを考えてしまうほどこれから起こる事情に対して不安を感じてしまっているのかもしれないとも思った。

祖母の顔を見るのは何年ぶりだろうか。不気味とも思えるような笑顔でこちらを玄関から覗き込むようにして立っている。不穏な気配を誇張するように鳴り始めるホラー映画のBGMが、脳内をぐるぐる廻る。ただ祖母を迎えにきただけ。それなのに向かう足が止まりそうになる。玄関にたどり着いた頃には1日の体力を全て使い果たした気になっていた。

扉を足が跨ぐ。入り口に熊の彫刻が飾られている。家全体が少し艶のある茶色で覆われている。部屋の奥から知らない男が現れた。馴れ馴れしく手を振ってこちらに挨拶をしている。同時に部屋に入るよう促した。
その男がわたしにすり足で寄ってくる。欲しいおもちゃはないか、とタバコのヤニで黄色くなった歯を見せながら声を掛けてきた。急に祖父を気取ったようなその態度に異様な不快感を覚える。母親が放った怪訝そうな「もう行こう」の一言が何よりもの救いだった。うん、もう帰ろう。

祖母は楽しそうに、嬉しそうに車の中で会話をしている。特別に感傷に浸るわけでもなかった。わたしは祖母を迎えにきてからの間、ただ祖母との触れ合い方を思い出す作業を頭の中で繰り返した。

ミスチルがエンドレスリピートで流れている。わたし以外の3人は流れていることすら忘れている。後部座席の隣で微笑む祖母を眺めながら、ひたすら桜井和寿の声に耳を澄ませる。車内の隅で、このひとりぼっちの息苦しさを慰めるように歌い続けてくれていた。気を遣わずに寄り添えるのは、隣にいる祖母でも、助手席の母親でも、夜で少し冷えた窓でもない。小さなスピーカーから流れる、優しいメロディーだった。
まさに彼らが奏でていたのは、わたしにとって至福の音であった。

その後も思春期の間、Mr.Childrenは生きる糧としてわたしを支え続けた。時には怒りを抑える精神安定剤として。また時には失恋した心の悲鳴を止める鎮痛剤として、彼らの音楽が体内に染み込んでいった。

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そして今わたしはThe Cureを聴いている。Mr.Childrenが触れたのかどうかわからない音楽を心地よく受け止めている。
大人になればなるほど、触れる音楽の幅は広くなり、最近は50年代~現代までのロックの歴史をなぞるように聴き入っている。もちろんジャズやブルース、ポップやダンスミュージック、ラウドロックもアイドルも、もう何でも耳に与えている。
と、同時にCDショップの店員として、毎週怒涛の新譜ラッシュを必死にこぼさぬように抱きしめる。しかし結局のところ24時間で聴けるアルバムは多くても20枚程度である。要は、こぼしまくっているのだ。それが悔しくてたまらない。

ああ、そうだ。自分は気がついたらこんなにも音楽を好きになっていた。わたし自身、表現者の一人としてバンド活動もしている。そしてこれら全ての原動力がMr.Childrenであった。

彼らが与えてくれた音楽への愛情を、今度は誰かに与える出番がきたのではないか。それは楽曲を作って、発表するだけには止まらない。もっともっとわたし以外の人たちが、この世に溢れるメロディーの素晴らしさに気付くべきだし、知ってほしい。嫌いだったらそれで構わない。お口に合わなければ吐き出してもらって結構。ただ、日々生まれる音楽を知らずに明日に行くにはあまりにももったいないほど、宝のような音が至る所に転がっていることを伝えたいのだ。

“ただ待っている“だけの土曜では、“手遅れ”の日曜が来るばかりである。
金曜に“恋に落ちる”ために、これから出会うであろう最高の音楽を一緒に触れてみたいのだ。

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