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二年前の夜空に流れて消えた「流れ星の正体」

BUMP OF CHICKEN 藤原基央と届けあったもの

 

まるで歌そのものが夜空に一筋に零れ落ちる流れ星のようだった。
今思い返しても、一瞬の煌めきのようなあのメロディと歌詞を思い出す。

「流れ星の正体」。
そう名付けられたBUMP OF CHICKENの、
──いや藤原基央の、弾き語りの歌は二年前突如としてこの世に生まれて、人々の心の空に流れ落ちた。
2017年1月28日から1月30日までのたったの三日間。
期間限定と銘打ったその歌は未だに本当に『期間限定』を貫いていて、再配信されたりリリースされたりする気配はない。
 

その歌が期間限定なのはきちんとした理由があった。
藤原基央さんが1999年10月から2017年3月までの約17年以上もの間連載していたコラムが連載終了するというタイミングで発表された曲であり、
連載を読んでお便りをくれた読者への感謝と御礼の気持ちを込めて書いた歌だったからだ。

連載中に彼は「全ての手紙に目を通している」と言っていた。
しかし実際問題全部のおたよりを採用するわけにはいかないし、
全部読んでいる証明をする事はどう足掻いても出来ないことだ。

それでも藤原基央さんは、彼なりに、受け取ったのだということを『歌』で証明した。
 
 
 

「誰かの胸の夜の空に
伝えたい気持ちが生まれたら
生まれた証の尾を引いて
伝えたい 誰かの 空へ向かう」

読者が藤原基央さんへ届けたかった気持ち。
それは流れ星のように真っ直ぐに輝いて、彼の胸に届いているんだよ、ということを
なんともロマンティックに歌ってくれた。

読者のおたよりに限らず
──たとえばこういう音楽文だって、伝えたい気持ちは確かに、流れ星のようだ。
熱く燃え盛るような気持ちが何日か或いは永年の間、胸の中にキラキラと輝いて存在していたのに、その気持ちを言葉にしたら、文章にしたら一瞬で空気の中に流れて消える。
言葉に形はない。気持ちに形はない。不確かで不安定で見えないものだ。
確かに流れたのに、どこに届いたのかも或いは届いていないのかもわからず、輝いたと思ったら一瞬で闇の中に消えていく。
伝えたい気持ちはいつだって流れ星のようだ。
だから、こんな文章だって誰かに見えていたらと願わずにはいられない。
 
 

そして、読者が届けた手紙(流れ星)のその先には、こんな藤原基央さんの本音があった。

「いつも迷路 終わらないパレード
止まったら溺れる
ゴールなんて わからないままで
いつまで どこまで」

藤原基央さんの背負っている重圧。
走り続けなければいけないということ。
立ち止まったらBUMPという船が溺れるかもしれないという恐怖。
音楽活動にゴールはないということ。
永遠に、どこまででも、彼の音楽に終わりがないということ。

流れ星が辿り着いた闇夜の中は、本音のブラックホールの中のようで、とてもせつなかった。
それと同時にこの歌は
「彼の心の本音の塊」
なのだということを実感した。
そんな風に弱さを脆出しにするのは、
心を解放してくれている流れ星たちに対して、藤原基央さん自身も心を解放しているかのようだった。
 

そして、
「時間と距離を飛び越えて
君のその手からここまで来た
紙に書かれた 文字の言葉は 音を立てないで響く声」

確かにその手紙を、流れ星を、受け止めたよと歌ってくれるのだ。
どんなに離れていても、たとえ過去からでも、ちゃんと声になって聞こえたよ、と教えてくれるのだ。
文字なんて見ようによっては非常に無機質でカタチだけのものかもしれないのに、
藤原基央さんは文字を声に変えて、気持ちに変えて受け取ってくれるのだ。
それもひとりふたりの声じゃない。
何百通もの手紙の声を全部その身一つで一心に感じていたのだ。
 

「そうやって 呼んでくれただろう
見上げればちゃんと聴こえたよ」

ともすれば重いものに対して、真剣に向き合ってくれていたのだ。
そんなことをこの一節で深く深く感じて、泣きそうになってしまう。
 
 

「僕の上にも届いたように
君の空まで届いて欲しい
せめて君に見えるくらいには
輝いてほしい」

読者の届けた手紙のお返事は、
──流れ星への答えは、
この歌そのものだし、この歌そのものも読者への流れ星だ。

そして、まるで
(君が放った輝きと同じくらい輝くかな、
せめてこの歌が君に見えたならいいな)
と言ってくれているかのように、
読者の届けた想いの強さは強く美しい流れ星の輝きに例え、自分の歌の輝きに対してはまるっきり謙虚な姿で、祈るような気持ちで
「輝いてほしい」
と言っているかのようで。
彼らしさに胸がギュっとなる。
 

この歌の最後は
「流れ星の正体を 僕らは知っている」
で、しめられている。
読者が手紙に乗せて届けた気持ち、藤原基央さんが歌に乗せて届けた気持ち。
確かにお互い届きあっただろう、僕らはお互いの気持ちを知ることができただろう?
という願いが込められているかのようなフレーズだ。

だって
(僕は知っている)
ではない、
(僕らは知っている)
なのだから。
 
 

──この歌がこの世に生まれてから二年の月日が経った。
ソラで全部歌えるくらいには発表されていた短期間の間に聴き込んだし、
ずっと胸に焼き付いて離れなかったし、
ずっとずっとリリースを待ち望んでいた。

けれども、この歌が本当に流れ星なのだとしたら。
二年前の三日間だけ見えた一瞬のものでも良いのかもしれない。
あの時、確かに
「誰かの胸の夜の空に」
伝えたい気持ちが届きあったのを見たのだから。

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