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「ライブで見たい」の理由とは

PIERROT から学ぶ「味わう」音楽のススメ

PIERROT のライブ映像を初めて見た時のことを、私は今でも忘れていない。
「うわぁ!何千人の客が一斉に頭振ってる!同じ動きしてる!何これ!?怖い!!気持ち悪い!!」

それから後、そのライブに足繁く通うことになろうとは、当時の私は知る由もない。
 

PIERROT というバンドはご存知だろうか。
読み方は「ピエロ」。’90年代後半から ’00年代前半にかけて活躍したヴィジュアル系バンドだ。武道館やアリーナクラス会場でのライブを幾度となく成功させ、約11年の活動期間を常にシーンの最前線で駆け抜けた。

そんな彼らの最大の武器は「ライブ」である。
でも、PIERROT を知る前までの私の考えはこうだ。
 

「そもそも曲ってライブで聴く必要あるの?」
 

PIERROT のライブを見るよりも前に、他のアーティストのライブを見に行ったことは何度かあった。でも、正直言って私にはライブの良さがあまりよく分からなった。
当時の私にとって音楽とは、聴きたいときに聴きたいものを、好きに選んで楽しめるもの。何かをしながら耳に入れるもよし、部屋でたっぷり浸りながら聴くもよし。同じ曲を何回も聴いてもいいし、特に好きな曲だけ集めて聴いてもいい。音楽を聴きたいシーンも聴きたい曲も、気分やタイミング次第で違うもの。それを選ぶのは聴き手の自由だ。

ところがライブはそうではない。
演奏される曲はアーティスト側に委ねられ、次はこれ、次はこれと一方的に与えられる。周りが立ち上がれば自分だって立って聴かないわけにはいかないし、会場中が曲に合わせて手を上げれば自分もやらないと何となく気まずい。アーティストがよく見えるかといったらそうでもなくて、テレビの番組のほうが断然大きくよく見える。チケット代だって安くはない。
それでも「やっぱり生で聴くのっていいね」なんていう意見は若き日の私にはそれなりに通っぽくカッコよく見え、「そうだね」なんてなんとなく話を合わせてみたりした。ただ、「また見たいな」と思うことはほとんどなく、「このアーティストのライブを見に行った」という経験値程度にしか、私の中には残らなかった。

そんな時に出会ったのが PIERROT である。

いきなりライブに行ったわけではない。最初は友人から借りた CD で聴いた曲が入口だった。
「おや?」と思うような独特なメロディーや音色、何かに見立てて書かれたような意味深な歌詞。

《禁区を越えた 俺の身体が 形を変えて 生まれ変わる》(鬼と桜)

《千年先には素晴らしい理想の世界で この血を受け継ぐ子供達が権力を握るだろう》(Adolf)

《腕に突き刺さる風を受けて生き延びていくよ このホシが朽ち果てるまで》(CHILD)
 

まるで小説の一説、もしくは映画の一幕。

どこかで聞いたような愛の囁きや世の中への嘆きではなく、人間の奥底に迫るようなテーマや異世界感ある曲が、特に興味深かった。曲ごとに背景やストーリーがあったり、それが曲と曲とで繋がっていたりと、裏話的なものも面白い。そんなイロモノ要素をふんだんに纏いながらも言葉のチョイスはなかなかに知的で、変に奇を衒う感じがないのも好印象。この世に生まれ出る前に亡くなった水子の視点で母親を歌った「MOTHER scene Ⅱ」なんて、ストレートに刺さる見事な詞だと思った。

《mother, 一度だけその子を抱く様に
貴方の温もりを感じられたら》
《ただ mother, この世界はあまりに冷えるから
ここまで来るようなことだけはしないで》

うーん、沁みた。
どうせ見た目重視なバンドのひとつだろうと、ナメてかかって反省した。ゴメンナサイ。

それでいてメロディーやサウンドには個性的ながら程よい聴きやすさがあって、曲全体は決して小難しくない。1曲1曲に世界があるような、ちょっとした短編ドラマを見ているような。その感じが私にはとても新鮮だった。
これはなんかいいな。結構好きかも。

そんな私の感想で気を良くした PIERROT ファンの友人、今度は「ライブ映像も見て!」「次のライブ決まったから行こう!」ときたもんだが、それで見た映像が冒頭に書いたアレである。
会場を埋め尽くす人、人、人。その人達が曲に合わせて一斉に頭を振る。ボーカルのキリトが手を掲げれば会場も一斉に手をあげ、「いくぞぉぉぉ!」の掛け声に「何が始まったんだ?」と思う暇もなく、会場中が曲に合わせた「振り」を始める。一糸乱れぬその動きはまるで宗教儀式でも見ているようで、今度は「新鮮」なんて生易しい印象じゃあ済まなかった。「ひっ・・・!」と声が出そうなほどにショッキング、もはやほぼ恐怖映像。ちょっと待って。音楽ってもっと気軽に自由に楽しむもんじゃないの!?それを、あんなシチュエーションで聴くだなんて!私は少なからず震え上がった。冗談じゃない。軍隊じゃあるまいし、あんなにも統率された動きを強制されながら音楽が楽しめるか!
 

なのになぜか私は、その PIERROT のライブに足を運んでしまう。怖いもの見たさだったのか、友人の誘いを断れなかっただけなのか、とにかく動機なんてそんなもの。かくして恐る恐る参加したその初ライブの感想はどうだったかというと、
 

なんと、とてつもなく楽しかった。

そして思った。
「また PIERROT のライブを見に行きたい!」
 

今まで参加したライブに対して「また見たい」なんて感想を持ったことがなかったので、この心境の変化は驚き以外の何物でもなかった。ライブって何だ。何だったんだ。PIERROT のライブは今まで私が知っていたライブと何が違うんだ。いや、違いは分かる。あの「恐怖映像」はライブ会場でもそのままそこにあった。そんなライブの何が、私をこんなに楽しませたのだ。
そう驚きながら、何となく分かっていた。ふと我に返れば恐怖映像そのもの、でもそれを忘れるほど夢中になれる何か。そこまで没頭できるものが、彼らのライブにはあったのだ。
 

全身で浴びるような音と、それを最高に盛り上げる舞台照明や映像の演出。ステージを縦横無尽に駆け回り、ここぞという所で熱っぽくアクションするメンバーの姿。それは楽曲のスケールをただならぬ大きさに見せていたし、CD で曲を聞いた時の興奮が何倍にもなって降ってくるようだった。そして極めつけが例のアレだ。私が「恐怖映像」と称したあの、会場全体が完全にシンクロした動き。何故そんなことをするんだろう、と見ている時は思ったが、その場に参加してみて分かった。

CD では何気なく聴いていた《切り捨てて》の歌詞も、曲に合わせて首を掻き切って見せればそのフレーズの冷酷さは印象を増した。会場中が一斉に拳を突き上げれば《扇動》のイメージはよりリアルに感じたし、晴れやかなメロディーに合わせて手を振れば心から清々しい気持ちになった。合図に合わせてジャンプすれば、興奮のボルテージは最高潮だ。
それは CD で聴くよりも歌詞カードを読むよりもどっぷりとその曲を味わえている感覚があったし、まるで自分もその曲の一部になったような一体感もあった。小説や映画を思わせるくらい、曲が持つ世界にハッキリと色がある彼らだから、そこにのめり込んだ時の高揚感もハンパじゃない。会場全体がそれを共有している時の、巨大な力が動いているような感覚もかなり独特だ。自分が演奏しているわけでもないのに、何かしらの達成感みたいなものだってある。
そして何より、曲に導かれるように体を動かしているその時間は、ただただ単純に楽しいのだった。

映像で見た時は恐怖でしかなく、なんなら「気持ち悪い!」と蔑んですらいたその光景。その一員に、気づけばまんまと加わっていた。

観客が一斉に頭を振ったり、曲に合わせて同じ動きをしたり。それは決して強制なんてされない。曲に込められた意味やメッセージを受け取りたくて、その音楽に没頭したくて思わずやってしまうのだ。だから気が向かなければ別にやらなくたっていい。ただ、私はそれを通して、耳以外の全身で音楽を受け止めるという楽しみ方、そのやり方のひとつを、実に大胆に分かりやすく目の前に突きつけられた思いだった。
音楽は聴くだけじゃない、体感することができるんだ。
目から鱗が落ちまくった。
そして、その楽しみ方、楽しませ方において、PIERROT が持つパワーは絶大だった。

彼らがステージに立ち、ひとたび音が鳴れば、そこはまるで日常を離れた別世界。日々の憂鬱も恥も外聞もすべて忘れて、彼らが見せる曲の世界に埋没する心地よさは格別だ。
怖い、気持ち悪い、を連発だった私は、コロッと手の平を返して PIERROT のライブに通った。
 

聴き手が聴き方を選びたいように、アーティスト側にも、こう聴いてほしい、こう受け取ってほしいという思いがあるんだな。当たり前のことなのだが、私は PIERROT のライブを経験して、初めてきちんと実感した。彼らはそれを伝えることにいつも全力だったし、その全力のメッセージが伝わると、音楽はますます楽しくなる。日常では味わえない高揚感の中に、あっという間に突き落とされるのだ。
そして、時たま冷静になって会場を見渡してみて、やっぱり思うのだった。

「うわぁ!全員が同じ動き!凄い光景!気持ち悪い!」

満面の笑みで言えるようになった今は、むしろ褒め言葉にすら感じるようになってしまった。変化って怖い。でも面白い。それほど没頭できる何かって本当に楽しい。文字どおり音楽に踊らされながら、その変化を、踊らされるほど無我夢中になる自分を、私は思う存分楽しんだ。ライブで味わう音楽がこんなに楽しいものだったとは。それを知ったら CD で聴く音楽も、前より楽しくなった気さえした。この曲で彼らは何を伝えたいんだろう。ライブではどう聴かせてくれるんだろう。想像するだけでも楽しいから不思議だ。音楽にこんな可能性があったなんて!
そうやって音楽を聴く毎日は、以前よりちょっと彩り豊かにも感じられた。
 
 

そんな、ただ「聴く」のではなく「味わう」音楽の楽しさを私に教えた PIERROT は、2006年に突然解散した。
 
 

CD だけでは味わえない興奮をここまで知らしめておきながら、それをもう見せてはくれないなんて、なんということなのだ。悲しくて虚しくて、初めはそう思った。

でも今はちょっと違う。

音楽もライブも PIERROT だけじゃない。そりゃあ PIERROT の音楽活動がずっと続くに越したことはなかったが、でも、PIERROT がいなくなったからといって、彼らの音楽も彼らが教えた音楽の楽しみ方も、この世から消えてなくなるわけじゃないのだ。PIERROT のおかげで少なからず幸せになった私が、PIERROT のおかげで不幸せになりたくはない。そう思い至って、目の前が開けた。
 

今楽しめる音楽を楽しもう。
音楽は楽しくなきゃ。
日々を豊かにするために、音楽はあるんだから。
それを忘れちゃいけない。
 

ライブでは見られなくなったけれど、PIERROT の音楽をまた聴いた。PIERROT 以外のライブにも足を運んだ。ステージ上のアーティストたちは皆、聴き手に何かを届けようとしていた。
そうだった。これを受け取る喜びを、私は PIERROT から学んだんだった。
 

その PIERROT は解散から 8年の時を経て、2日間限りの再結成という形で再び私の前に現れた。
最高だった。
その PIERROT の中心で、リーダーであるキリトは言った。

「今を生きてください。」
「このステージが終わったら、僕らも帰るべき今に戻ります。生きていくって、そういうことだと思います。」

最高だった。
やっぱり間違ってなかった。

そして彼らは更にその 3年後、再び 2日間限りの再結成を果たし、今度はかつてライバルと謳われたバンド、DIR EN GREY と共に舞台に立った。1回目の再結成とは違い、互いのステージングを戦わせ、そして讃え合う夢のような時間。
3度目の再結成はあるのかどうか分からない。またいつか PIERROT のステージを見たいと心から願っているけれど、でも、もうそれだけを待ち続ける私じゃない。
彼らが言ったように、私も今を生きる。
PIERROT が解散したばかりの時はそれどころじゃなかった私も、今は迷いなくそれが出来ると言えるようになっていた。
 

世の中は音楽に満ちている。私には彼らだけ、彼らの音楽ほどのものはない、その一途さも素敵かもしれないけれど、私は別の道を選んだ。彼らが私に教えた音楽の楽しさや可能性を、自分で狭めるのは嫌だった。むしろ広がったと、そう言いたい。そう言いながら、また私の前に現れてくれる日を密かに待っている。
 
 

私は音楽が好きだ。PIERROT 以外のたくさんの音楽に、今も囲まれて生きている。
なんとなく聴き流す程度の音楽もあるし、PIERROT と同じくらい、もしくはそれ以上に熱を入れて聴いている音楽もある。歌詞の意味も、音色やメロディーのこだわりも、気になるものもあれば気にならないものもある。
でも、ある日突然「おや?」と思う瞬間が訪れたりする。これはどういう意味だろう。何のメッセージだろう。どんな背景があるのだろう。

音楽に乗せて無限に繰り広げる想像は楽しい。答えなんてなくてもいいのかもしれない。曲から受ける印象や、そこから広がる世界と想像、楽しみ方は聴き手によって様々だ。何にも縛られず、好きに自由に楽しめばいいと思う。

でも、時々ふと思う。
この音楽をライブで味わったら、何か新しいヒントをもらえるだろうか。今まで気づかなかった楽しみ方に、気づくきっかけをもらえたりするだろうか。
 

かつて PIERROT がそうしたように。

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