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反骨の塊 全部くだらねえと言ってしまう前に

レッド・ツェッペリンの「プレゼンス」を聴き続けるわけ

 
レッド・ツェッペリンの最高傑作は間違い無く1976年の「プレゼンス」である、
と今更2019年に言っている自分はたぶん間抜け野郎だ。
今の時代と関わりを持つ気が起きないのは、
高揚させる何かが足りないと感じているからだと思う。

そうだとしても「プレゼンス」はいつ聴いても時代に関係なく最強だ。
バンド力、音の鳴り方、聴いて感じる線、構図の広げ方、
素晴らしさをどう表現しても、その説明よりもただ聴く方がいい。

ロックのインパクトという点では、
ファーストアルバム「Ⅰ」と2枚目「Ⅱ」は強敵だろう。
そして名曲”天国への階段”が入っている「Ⅳ」Four Symbolsは人気がある。
レコードのオリジナルを探し求めれば、高額な値が付けられ、すぐに売れてしまうのもこれらで、手に入れるのはなかなか難しい。
一方で「プレゼンス」はそれほどの人気があるとは言えない。

だがしかし、「PRESENCE」である。
歴史的に見ればこれはジミー・ペイジと
レッド・ツェッペリンの最高、でありながら最後の一撃とも言える。

ジミー・ペイジがレッド・ツェッペリンを始めた時、
スタート地点からもうすでにこのバンドは完成されていたと言ってもよい、
と聴きながらいつも思っている。
ファーストアルバムの音楽を構成する音の配置は誠に素晴らしく刺激的だ。
ビートルズよりも感心してしまう。

1969年、まだ少しサイケデリックを引き連れたロックとブルースとフォークミュージック、
音楽の全体はまだまだ方向を一定にしていないが、
この時点でもジョン・ボーナムのドラムの爆発力が音楽の鍵を握っているのは明らかだ。
 

ビートルズがバンド以上に周囲の力を借りながら、ロックの画期的な試みをやってのけたのに対して、
ツェッペリンはいつでもバンド力である。
ツェッペリンの音楽を豊かにしたのはジミー・ペイジとジョン・ポール・ジョーンズのプロデュース能力だろう。
ロバート・プラントの詩情や歌心も確かにあるが。
こういう話は、誰もが語りたがる話で、どこかで聞いた、聞き飽きた話だ。

それにしても、レッド・ツェッペリンはちゃんと今も聴き続けられているだろうか?
オヤジたちの武勇伝みたいに昔話になっていないだろうか?
若者たちにも届いてほしい音楽で、いまも尚かっこいいロックだと思うのだが。

若者に説教じみた事を語りたい自分は
いつの間にかオヤジに成ってしまったと、最近になって気づいた。
やっぱり間抜け野郎だと言ってやろう。

しかし、ぼくはまだ20代の年齢の時から、ずっとこういう事を考えていた。
同世代である若者には共感せず、青春とも無縁、全部くだらないと決めつけて、蹴っ飛ばして、
自分自身のくだらなさをも踏みつけた。

40代に近づいて、当時同じ世代だった若者もいまは若くないだろう。
同世代と語り合う思い出話なんてたぶん何もないが、いまだに若者に共感出来ない気もする。
したくないという反抗心もあるかもしれない。
若者を嫌っているわけじゃなくて、同世代ですら感覚を合わせられない。ほとんどその円から、はみ出しているようだと思う。

好んで聴く音楽も、音楽についての捉え方も、
より多くの人たちとは別の方向を見てしまう。
大体にして流行遅れ、周回遅れ。
世界は広いようで狭い。
大きくてすごく小さい。
動いているようで止まったままだ。

身のまわりの人たちに、レッド・ツェッペリンの「プレゼンス」を聞いたことのある人がいったいどれだけいるんだろう?
流行とは別の音楽を好む人たちは何処に居るんだろう?
音楽自体を聴いていない人も多い。

この道は何処へ繋ぐのだろう?

音楽の事を毎日考えている。
大切なのは何だ。
自分の生きようとする意識に大きく影響した音楽の記憶を、辿る日々からはけっして離れることがない。

記憶の音楽は聴くたびに更新する。
新しさとは何かと感じている。

流行を知りたい気持ちはあるが、そもそも時流を追い求めて、自分の感覚、範疇の外へ手を伸ばしてみても、
後になって多くのものが残っているかと言えば疑問だ。いつしかそう考えるようになった。

年を経て、時間が過ぎるほどに、自身で感じて覚えた事が大切になっていくと気づく。
 

いま、音楽の多くを聞いて感じる事が、
今を生きているという意識的な現代感覚を遠ざけ、斯様に働きかける。

パンクは形になってしまったのかもしれない。
ロックは利用されているだけかもしれない。
増えすぎた音楽の中でルーツに立ち返る余地がない。
地味な音は好まれない。暗い歌からは離れていく。

言葉は意味に依り。歌は感情に寄る。
どれも聞いたことがあるようで新しくない。
そもそもいつも新しさが求められる。
同じをくり返す事は出来ない。
しかし素晴らしい瞬間は忘れえぬ。
為すべきはそれと同等かそれ以上の成果。

感じれば感じるほどに、
くだらねえと言いたくなる。

けれど、
みんなが語っている音楽の素晴らしさが、すこしも通じ合ってこないなんて、
やっぱり共感のない日々はつまらない。
自分の感じている事だって誰かに通じてほしいと願っている。

今日も孤独の小径を往くのか。

「くだらねえ」
何か特定のものに対して非難していない。世代間の軋みを言っているんじゃない。
それを「気分」だということにしてしまえば簡単だが、そうじゃない。

考えて思い巡らせても、どうしようもない。
自らを打つ音楽を聴くしかない。

「ALTERNATIVE」の時勢を過ぎ、
「NO ALTERNATIVE」に行き着く心象。
だからこそ今、此処に、時代も世代も超越した、
「PRESENCE」である。

そうなんだ。それで良い。

ここで
「プレゼンス」を聴き始めてしまえば、全部を吹き飛ばしてくれる。

ドラムが重く、リズムは軽々と踊り続ける。
そこにギターがギラギラと対抗していく。
四方に手を回して攻め込んでゆく。
ベースのひずみはいつの間にか音楽の骨となり、土に埋もれることがない。
歌は感情の上にも神々しく向こう側を走っていく。
団円の楽隊の上を独立した足踏みで踊りこなす声。
 

音模様を感嘆とし、
ただ聴くしかない間抜けな自分を卑下する気は無い。

音を追って、間近にし、
音楽に巻き込まれて転がってゆく感覚。
知らないあいだ気付かずのうちに、自分の足はリズムを刻んでいる。
足がダメなら、手の指先でだって踊れる。

レッド・ツェッペリンは超一級のダンスミュージック。
そんな安っぽいフレーズを
此処に書いている自分のくだらなさを恥じるつもりも無い。

もっとはっきりと単純な事を言えば、
LED ZEPPELIN という名前が格好いい。
ダサいバンド名の音楽は、なんか嫌だ。
かっこうをつけるのがいちばんダサいが、わざとかっこうわるくするのももっとダサい。

批判と当てつけ、嫌みを言うためにこの事を書いたつもりはございません。
ですが念の為一言申し上げ致しますと、
「くだらねえ」

全部「くだらねえ」という前に。
 

反骨の証として
ぼくはレッド・ツェッペリンを聴くのだ。
「プレゼンス」を聴くのだ。

バンドは確かに闘っている。
いさぎよい反骨の固まり、
分散した音が一気に全体に揃う時の
気持よさといったらない。
 
 

”目の中の嵐が心血を洗う”
 

生きていくなら
この気概を忘れじと
心に決めて。

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