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かっこつけていてかっこいいということ

THE YELLOW MONKEYとの23年間

2019年の4月17日にTHE YELLOW MONKEYは9枚目のアルバム『9999』をリリースする。イエローモンキーの新譜が聴ける。出るかな? まだかな? とずっと思っていたので発表されたときはうれしかったし、それからはこのバンドのことが頭の片隅にて日に日に存在感を増すようになった。
新譜を待つ心構えとでもいうのだろうか、ここではそんな準備の一環として、僕とイエモンのいままでと、彼らのどんなところにいちばん惹かれているのかということについて、思い出したり考えたりしながら文章にしてみたい。

中学二年の冬休み、夜中に塾の宿題をせっせっとこなしていると、学習机そばのガラス戸が急に開き、近所に住む幼なじみが入ってきた。鍵を閉めておけという話だけど、あのときはほんとうに驚いた。
そいつが何をしに来たのかというとかっこいいCDを買ったから貸してくれるという。その全体的に赤いジャケットのCDはTHE YELLOW MONKEYの『TRIAD YEARS actⅠ ~THE VERY BEST OF THE YELLOW MONKEY~』というベスト盤。そのころ「楽園」をリリースしたばかりのバンド、イエローモンキーのことはたしかに気になっていたので、驚かされたことに若干腹を立てながらもありがたく借りることにした。
テレビやラジオで聴いていた「JAM」や「SPARK」が収録されていたのがうれしかった。そのCDはほんとうにたくさん聴いたし、20年以上経った(え、そんなに経つの・・・・・・?)いまも聴き続けている。

そのころの僕はまだ能動的に音楽を聴きはじめたばかり、テレビやラジオの影響下のもと、ヒットチャートにかじりついて自分が好きになれそうな音楽を探していた。
イエローモンキーのことは最初はギラギラと派手そうな人たちだなと、その外見にいささか心理的な距離を感じていたのだけど、曲はかっこよさや勢いや優しさにあふれていて、聴きだせばすぐ好きになった。
すごくかっこつけているんだけど、それでいてかっこいいんだからすごいな。というようなことを思い、そのかっこよさに憧れを抱いた。

かっこつけていてかっこいいということ。

ロックバンドには、かっこつけているバンドとかっこつけていないバンドの二種類があると思っている。それはもちろんどちらかがいいわるいの話ではないのだけれど、その二種類のどちらでいくかというのは、たぶん音楽をやるうえで最初の重要な選択なのではないかとも思う。かっこつけるか、否かの、どっちをとるのか、だ。
楽曲そのものや歌詞やアレンジや歌い方や演奏や衣装や所作でのかっこつけの有無。ロックにおいてかっこつけることは必ずしも必要な要素というわけではなくて、最終的にかっこよければよいと思うのだけれど、でもかっこつけようとすることも、僕にはかっこいいことだと思える。
なぜならば、かっこつけようとするならばそれはかっこよくなくては駄目な訳なので、結果がある程度わかりやすい残酷なジャッジに挑む姿勢もかっこいいなと思うからだ。

たとえば、僕が勝手に思うに国内のロックにて、かっこつけていてかっこいいのがLUNA SEAやL’Arc~en~CielやGLAYで、かっこつけていなくてかっこいいのが奥田民生やスピッツやくるり、だったりするだろうか。
もちろん何をもってかっこいいとするか、これには大いに主観が混ざる。こんな話を広げておいてもどかしいがこれはしょうがないし、異論反論待った無しの議題であることは百も承知なのだけれど、各々のロックバンドのそのアプローチの仕方、かっこつけの有無や大小の差異を見ていくのもとてもたのしいなと思う。
あのバンドはここはかっこつけてるけどここはそうでもない、このバンドはかっこつけること全般を徹底的に避けている。といった具合に。

そしてイエローモンキー、このバンドはそれはもう思うさま疑いの余地なく完全に絶対、かっこつけている方である(異論反論認めず、だ)。まず、そもそも何もせずとも吉井和哉がきわめてかっこいい存在であるというのはあるが、その何もしないでもかっこいい男がかっこつけてしまったらいったいどうなってしまうというのか。ついでに云うと女装しても坊主頭にしても異常にかっこいいのはなんなんだ。
かっこつけていてしかもかっこいいので無敵というか、かっこつけていてかっこいいのはやっぱりすごいなと思う。狙って狙った効果を出せるのがすごいという、単純でいてとても難しいことをやってのけていることが、ただただすごいと思うのだ。

もちろん吉井和哉のみならず菊地英昭も廣瀬洋一も菊地英二もみなかっこいいし、かっこつけている。もう目つき、顔つき、立ち方からすでにちがうなと思う。彼らは自分たちを飾ることも表現のひとつと捉えているかのよう。
なので、2017年公開のドキュメンタリー映画『オトトキ』にてメンバー全員が化粧台のまえに座り、それぞれみずから化粧を施しながら「これも僕たちの表現の一部だから」と吉井和哉が話すシーンはどこか象徴的だったし、個人的にまるで答え合わせのようで、やっぱりそうなんだな、と思った。かっこつけることは彼らのなかではその音楽活動において”込み”なのだ。

そんなかっこつけていてかっこいいイエローモンキーに中学二年のときに出会ってからは、音楽を聴くという行為においてこのバンドは欠かすことのできないひとつのピースになっていった。新曲をリアルタイムで追い、旧譜もちょっとずつ集めていって、音楽的にいろいろ変化しているんだなということも感じることができた。ただもちろん、かっこつけているということは変わらぬままに。

いま思えば、1996年にバンドに出会ってから2001年の活動休止までは、たったの5年しかなかった。だけど十代の、一日がとても長く感じたあのころの5年間は、イエモンとリスナーの僕という関係にとっては、とても濃厚な5年間だったように思う。

活動休止からそのまま、2004年にバンドは解散する。終わりを明確に示すことにどこか誠実さを感じたりもしたが、その日つよく思ったことは、

けっきょく観られなかったな、イエモンのライブ。

ということだった。

解散してしまってからは、あんなギラギラしたバンドにはもう出会えないんだろうな・・・・・・とちょっとした寂しさや空しさをずっと感じていたのだけれど、たまにイエモンのにおいを感じさせるバンドがでてきて、うれしかったり懐かしかったりした。
たとえば椿屋四重奏や毛皮のマリーズやTHE BOHEMIANSたちがそうだ。どのバンドも、思うようにかっこつけていて、かっこよかった。
音楽はこんな風に続いていくのかななんて、いささかこっぱずかしいことも思った。

時は流れに流れて2016年。年始にイエモンが再結成を発表して僕は震える。こんな日がくるとは思っていなかったからだ。携帯電話もついでに震える。年に一、二回しか連絡を取り合わない弟からメールが届いたからだ。
そこには短く

[再結成おめでとう]

と記されていた。
短いし主語がない。おかしかったし、うれしかった。弟は、僕が実家でいつもイエモンを大声で歌ったりギターを弾いていたのをそばで聞いていたから(ごめんな)、兄がイエモンを大好きだということを知っているのだ。

そしてその年の夏、サマーソニック2016にてはじめてイエモンのライブを観る。この日のことはちょっと忘れがたい。恥を忍んで書いてしまうけれど、よくあるSNS的誇張表現ではなくあのライブのあいだ僕は八割方の時間で涙を流していた。どうにも嘘くさくなってしまうのだけれど、でもほんとうに涙が止まらなかった。ステージを見やれば自動的に涙が流れて難儀した。吉井和哉が出てくるまえ、菊地英昭、廣瀬洋一、菊地英二の三人の演奏準備が整った段階でそれは流れてきた。
涙の理由? 大好きになったバンドのライブを、出会ってから二十年経ってやっと観ることができたからだと思う。いまでもよくわからない涙の放流だったけれど、たぶんそれが有力だと思う。

大きなマリンステージに立つ四人は、やっぱり、想像の通りにかっこつけていているのだけど、でも優しさや穏やかさも感じてなんというか、いくばくかの時間の流れを感じさせずにはいられなかった。ギラギラさがすこし薄らいで渋さを醸し出しているような感じと云えばいいだろうか。
ただ、正直なところあの日のライブはあまり細かいところまでは伺えなかった。前述の通り、あまり僕の方がオーディエンスとして正常な状態ではなかったから。せっかく文字通りのスタジアムでスタジアムが似合う大柄なロックを体感するチャンスだったのに。だからまた絶対ライブを観にいかなきゃなと思っている。

それからもイエモンは引き続きライブや音源のリリース等の活動を続け、ついに今年の春、個人的にはいちばん待ち望んでいた実に19年ぶりのフルアルバムをリリースする。
新しいイエモンの楽曲に出会えることがすごくたのしみだし、もうすでにうれしくなってしまっているのだけど、これからもかっこつけていてかっこいいイエローモンキーをずっとずっとみせてほしい。それしか云いたいことはないなと思う。

・・・・・・と、ここまで書いて締めようと思ったのだけれど、たったいま書きながら聴いていたこの曲の以下の歌詞の箇所でまた不意に泣いてしまいそうになってしまった。こじつけかもしれないけど、内容的になんてタイミングだ。なので最後に引用させてもらってからこの文章を結ぼうと思う(そんなに涙もろかったっけ・・・・・・)。

“いくつもの涙をこらえながら
いくつもの夜を越えて
生きていられるだけの
愛が必要だから”

“生まれ変わってもまた会おう
同じ場所でまた会おう”

「太陽が燃えている」(1995年)

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