2035 件掲載中 月間賞発表 毎月10日
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

エコー・イン・ザ・ベイカント・ワールド

からっぽの世界と、ジャックスの世界

英国のシンガー、ロバート・ワイアットのアルバム『ロック・ボトム』の英国初回盤をレコード店の壁に見つけ、なかなかの値段に躊躇したがどうしても欲しくなり購入、ほくほくした気持ちで帰途についていると、ある建物の前に長蛇の列ができていた。

何か催事でもあるのかとその建物を確認すると、入り口横に、出演アーティストやらライブスケジュールやらが載った紙が貼られていた。あ、これはライブハウスだ、と思い、開場前に人が並んでいるのだな、と思考を進めていると、急にそのライブハウスの入り口ドアーが開いた。

そのドアーを開けた男は、丸眼鏡の奥にある細い目で並んでいる人々を見やり、やあどうも、いやあ、などと声を掛けながら、私の歩いてきた方向とは逆に歩を進めていき、曲がり角で姿を消した。少し腹の出た、色事の好きそうな好々爺、といった印象のその男が着ていたピンク色のシャツには、前に大きく「よしお」とプリントされていた。

その人物こそ、1960年代末の日本のロック創成期における伝説的バンド「ジャックス」の早川義夫その人であることは、ライブスケジュール表の出演者の欄を確認してすぐ分かった。10年近く前の話である。
 

ジャックスといっても、クレジットカードのそれではない。というか、今の10代、20代のいわゆる「若者たち」の間において(音楽好きの若者たち、もっと言えば「ロック好き」の若者たち、でもいい)、このバンドはどれくらい知られているのだろうか。皆目見当がつかない。私も、その「若者たち」の最末端にいる1人ではあるのだが。

ほぼ同時代の伝説的バンドであり、再評価著しく(今に始まったことではないが)、かなり以前から人口に膾炙した感のあるはっぴいえんど、と比べると、さほど知られているとも、評価されているとも感じないのは、私だけだろうか(そんなことはない、というお叱りの声はいったん聞き流す)。個人的な見解ではあるが、日本語ロックの源流なるものを辿っていって、スパイダース、フォーク・クルセダーズ、ジャックス、遠藤賢司、はっぴいえんど、と名前をぽつぽつ挙げていって、その流れの中で「ジャックス」という名前を見ても、である。

しかし、ジャックスは日本におけるロック・バンドの草分け、なんてものではない。日本ロックの歴史というものがあるとすれば、ジャックスはその歴史の内側にいない。稲垣足穂ではないが、歴史に対して垂直に立っている。屹立しているのである。当時から、ロックでもフォークでもGS(グループサウンズ)でもない異端の存在であったことは想像に難くない。そして、ジャックスはついにフォロワーを生まなかった。ヴェルヴェット・アンダーグラウンドがそうであったように。いや、洋楽との接点でこのバンドを語ることには意味がない、と黒沢進も言っていた。
 

ジャックスは、早川義夫(ヴォーカル、ギター)、谷野ひとし(ベース)、木田高介(ドラムス、フルート、ヴィブラフォン)、水橋春夫(リード・ギター、ヴォーカル)からなるバンドであった。早川が高校時代に結成した「ナイチンゲイル」というフォークグループが母体となり、同じ高校の1年後輩であった木田と水橋、大学で知り合った谷野との4人で、ファースト・シングル『からっぽの世界』を1968年3月にリリース。同年5月にはセカンド・シングル『マリアンヌ』、そして9月には、ファースト・アルバム『ジャックスの世界』が発売された。

私がこのアルバムを初めて聴いたのは高校生の頃であった。はっぴいえんど、遠藤賢司、あがた森魚、高田渡、友部正人など、URC系のアーティストを好んで聴くというよくわからない高校生だった私は、存在こそ知っていたが耳にしていなかったジャックスを聴き、その「異様さ」に衝撃を受けた。これまで聴いていたどんな音楽でもなかったからである。

当時の私が好んで聴いていた70年代の日本のフォーク/ロックには、眩いばかりの魅力と独自性があった。しかし、全くもって当たり前ではあるが、イギリスやアメリカのロック/フォーク/ポップスの影響がそこにはあった。それらを「日本」という風土に落とし込み、独自の視点で咀嚼・吸収し、オマージュやらパスティーシュやらをふんだんに交えて生み出された音楽の最良のもののひとつが、例えばはっぴいえんどであった。

だが不思議なことに、ジャックスにはそれがない。日劇ウエスタンカーニバルに興奮し、ベンチャーズに憧れ、ビートルズに衝撃を受けた早川少年のはずなのに、である。全く独自の音楽的素養があるのか、偏愛している知る人ぞ知るアーティストの影響なのか、と思ったりもしたが、どうやらそうでもないことがわかった。大学時代に読んだ彼の著作『ラブ・ゼネレーション』のおかげで、様々な疑問が氷解したからだ。

連帯感を求めるフォークに嫌気がさし、外国の真似ばかりするロックに違和感を覚え、音楽が目指すものは音楽ではない、とまで言い切って見せた早川義夫その人を見たからである(ちなみに、早川の著作は数多いが、60年代末から70年代初頭の文章を集めたこの著作は必読であるといいたい。これほど研ぎ澄まされた、そして誤解を恐れずに言えば、これほど「拙く」、「美しい」音楽家の文章を私は他に知らない)。
 

アルバム『ジャックスの世界』は、木田のフリーキーなドラムから始まる”マリアンヌ”で幕を開ける。ジャズ的なインプロヴィゼーションというより、感触的には現代音楽、もしくは演劇的な響きのドラムに導かれるように、早川のかき鳴らすローコードのギターの響きが聴こえ、次の瞬間には谷野のウッドベースがのたうち回り、水橋の、嘔吐のような、この鳴き声を出さずには生きていられない生き物のような、特異なギターの音が空間を切り裂く。切り裂かれた傷口から滲み出してくるのは、早川の歌声である。なんという世界であろうか。別に好きすぎて頭がおかしくなっているわけではない。冷静に聞いてもこのオリジナリティは稀有である。「ロック的」なイディオムは皆無だ。
 

再生ボタンを押し、スピーカーから流れてくる「音」と対峙することを迫られるような音楽は、あまりない。勿論、聴き手の意識をそうさせる音楽が優れているわけではない。流れ出す音から「揺れ」や「隙間」や「微動」を感じさせることができる音楽が素晴らしいのである。それは、ジャズやテクノやノイズや歌謡曲であっても同等だ。ジャックスにはそれがあった。

音楽評論家でありGS研究家・日本ロック史家であった黒沢進の言葉を再度借りれば、「BGM的には聞けない音楽」であり「(朝でも聴ける)気楽なはっぴいえんどとは違うのである」。過激かつユーモアに富み、両バンドへの愛が感じられるこの言葉には、現在においても、いや、現在においてこそ重要な意味が含まれていると感じるのは私だけではないはずだ。
 

ジャックスが活動していた60年代末期、世の中には「メッセージ」に溢れた幸せな歌たちがあった。同時代においてそれに抗ったのは、ほんの一握りの若者たちであった。

はっぴいえんどは、言葉を表面的な、一種の「遊び」に留めることを徹底した。歌声は楽器の一部であると言い切った。そして、はっぴいえんどがさらに特異だった点は、日本語をロックに乗せるための「道具」であるはずの歌詞が、同時に「詩」でもあったことである。その「詩」を、音と切っても切り離せないものにした。この「音」と「言葉」の幸せな結末は、後の日本のポップ・ミュージックの礎となった。

では、ジャックスはどうか。

まず、早川義夫は稀有なボーカリストである。“裏切りの季節”や“堕天使ロック”に顕著なように、単純なマイナーの循環コードで、これほど「ロック」を感じさせることができる人はまずいないであろう。そして、早川の叫びは「叫びを押し殺した叫び」である。一応断っておくが、思い入れが強すぎて八方塞がりの観念論を振り回しているわけではない。多分。

「叫びを押し殺した叫び」との文句は遠藤賢司のデビュー作の帯に書かれていたように記憶している。しかし、ジャックスのサウンドに、早川義夫の声に、これほどふさわしい文句もない。ひとつひとつの音が溶け合わさって聴こえてくのは、「沈黙」である。彼らのデビュー曲の最初の一節を聴いてみるといい。早川は「音楽は音でもない、言葉でもない。沈黙なのだ」とも言った。
 

語り得ぬものについては沈黙しなければならないのかもしれないが、ジャックスは「沈黙」で語り得ぬものを伝えようとした。そんなバンドが長続きしないのは、必然であったかもしれない。
 

ジャックスは、ファースト・アルバム『ジャックスの世界』の発表直前にギターの水橋が脱退、メンバーに角田ひろ(ドラムス)を迎え入れ、木田はサックス、フルートなどに担当を変えるが1969年7月に解散を発表、同年10月、セカンド・アルバム『ジャックスの奇蹟』がリリースされるが、早川の参加曲はアルバム収録曲の半分であった。

1969年11月に、ソロ・アルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』を発表した早川は、ほどなく音楽界から遠のき、1972年に小さな書店を開業、1994年に復帰するまで「本屋のおやじさん」であった。
 

うだるような暑さも、肌にひりつく日差しも少し落ち着いた夕暮れ、開演前のライブハウスを出て、曲がり角に消えていった彼はどこに向かったのだろう。
そして、昨年5月から再び表立った活動を休止している彼は、いったいどこへ向かうのだろう。

消えゆく男の後ろ姿を見ていたあの日、なまぬるい空から500マイルの私の頭上に残響となってこだましたのは、あの世とこの世の間で鳴らされた、彼らの衣擦れの音だった。
私の中のジャックスと、消えていった「おやじさん」との隙間を埋められぬまま。恐ろしいほど、からっぽな世界の中で。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい