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心の柔らかな場所を思い出した日

ACIDMAN Live tour ANTHOLOGY 2によせて

名前の付いていない心の動きで、最後に泣いたのはいつだろう。

27歳の私が高校生くらいの時から大好きなバンド、ACIDMANのライブツアー『ANTHOLOGY 2』の初日をはるばる沖縄まで見に行った。
ライブコンセプト(ファンの投票によりセットリストを組む)およびツアー途中であるという都合上、具体的な曲名については記述を避けるが、わたしはライブを見終わったあとにぼんやりとそんなことを考えていた。

大人になって、歳を重ねて、私たちは感情や心の動きに的確に名前をつける。
嬉しい、悲しい、寂しい、ムカつく、嫉妬、怒り、虚しさ、喜び、愛、恋、
たくさんの名付けられた動きがそこにはあって、それぞれがそれぞれの形で放出される。日々生活していると、わたしたちは様々なことを感じ、考え、表現する。
その表現方法はある種固定化され、論理的に腑に落ちるように、ほぼ自動的に行われる。
そんな理路整然とした生活のなかで生きていると忘れてしまう感覚が確かにある。

抽象的なことを書いてしまったが、
本当に書きたいのは、
この前行ったライブが素晴らしかった!ということ。
 

とある曲で私は自分が泣いていることに気が付いた。特に思い入れがある曲では無かったにも関わらず、涙が止まらなかった。何故泣いているのか全く見当がつかず、自分自身、困惑しているにも関わらず、泣いていた。至近距離に名前も知らない他人がいるのにも関わらず、嗚咽レベルの大号泣である。

悲しみでも喜びでも私の知っている感情のどれでもなく、ただ心の奥の方に眠っている何かが刺激されて、泣いていた。
泣きながら思い出していた。
子供の頃、今なら知っている名付けられた感情に揺さぶられて、トイレで一人で泣いていたこと。布団に包まってじっと何かが通り過ぎるのを待っていたこと。
大好きだった犬のこと、大好きだった公園、食卓、昔住んでいた家。
 

たった27年だが、たくさんの経験をして、怒ったり泣いたり笑ったりして、日々生きてきた。

社会生活を波風立てずに送るために、本当は怒りたいのに、泣きたいのに我慢して、胸の奥に確かにある心の動きを無視して、表面に薄い殻を纏った。

わたしが訳もわからず泣いたその曲は、そんな胸の奥に眠る確かな感覚を呼び覚ましたのかもしれない。

生まれた時に誰しもが持っている心の柔らかな場所は生きていくには少し邪魔で、少し厄介で、いつも身体の端に追いやられている。しかしそれは確かにこの身体のどこかにある。

様々なアーティストのライブや舞台に足を運んでいるが、この身体感覚を持ったのは初めてだった。彼らのライブも何度も見ているが、この感覚は初めてだった。
(いつもは生命とか、生きるとか、死ぬとか、世界って何だろう、宇宙のはじまりは?とかを考え始めて自分の身体で考えることがない)

ライブが終わって日々の生活に戻っていくなかでやはりその柔らかな部分は少し邪魔で、少し面倒だった。だからまた私は日々を順当に送るために殻を被せた。
けれどきっとこの心の奥に眠る柔らかな部分は忘れてはいけない場所だと思った。何に役立つ、とかそんなことは全く思いつかないが、いつかきっと私を救ってくれる(もしかしたら私から波及して隣人かもしれない)と思う。
上手く生きていくには少し邪魔かもしれない。けれど生物として動物として人間として生きていくには必要な部分かもしれない、そんな気がしている。
 

朝、カーテンを開ける。透き通った青空がそこにあるということに気付く。花の匂いが変わる、季節が変わっていく。鳥が群れをなしてどこかへ飛んでいく、どうして合図を出していないのにくるりと方向を変えられるのだろう。
日向はあたたかいということ、日陰はひんやりとしていて、大きな石の裏には生き物がいるということ、植物は太陽の力で生きているということ。
波音は心地がよい、海の中には無数の命があって、とても賑やかだ。
わたしたちは空気を吸って、吐いて、栄養を摂って、生きているということ。
今日の夕日も綺麗だということ。
今日の雨も静かで美しいということ。
星は燃えているということ。
 

忘れてしまっていた場所を思い出させてくれた、目を瞑っていた感覚がここにあると教えてくれた、彼らの音楽に感謝したい。

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