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スピッツの魔法に絆されて

春と音楽の不思議な親和性

春。
それは、幾つもの出逢いと別れが訪れる季節であり、新たな門出や旅立ち、はたまた人生における青年期など、様々な意味を有する言葉だ。

1人1人が様々な想いを抱きながら迎える春という季節を、音楽という魔法に支えられながら過ごされる方も多く居るのではないだろうか。
言うまでもなく、僕もその1人だ。
 

春と音楽の相性って、何故だか分からないけれど抜群に良い。
悲しい別れや挫折によって生じる切なくセンチメンタルな気持ちも、新生活への不安や心細さも、新しい出逢いに伴うワクワク感も、今聴いている音楽が全てを表現してくれている…と思うことさえあるのだ。
それは歌詞のメッセージ性ゆえだったり、微睡んでしまうほどに心地よい、暖かいメロディーやサウンドによるものだったりもする。

僕もこれまで、春という季節に様々な音楽と出逢ってきたのだが、その代表格と言うべきミュージシャンは、スピッツである。
広く知られる「チェリー」はJ-POPにおける春のスタンダードナンバーだし、「空も飛べるはず」は歌詞のテーマにはそぐわないものの、青春ソングとして根付いている。近年なら「春の歌」をCMやカバーで認知した、という方も多いかもしれない。

だが、僕が強調したいのはこれらの曲が全てではない、ということだ。ここからは、個人的な思い出や感想になるが、春とスピッツの音楽との親和性について語っていこうと思う。
 
 

僕がスピッツの楽曲と出逢ったのは2013年の春。中学2年生だった当時は、J-POPに本格的に興味を持ち始め、学校帰りや休日を利用してCDをレンタルしまくっていたのだが、その中にスピッツのアルバムがあった。
最初に聴いたのはおそらく、リスナーの間では最高傑作との呼び声も高く、僕としても現在最も好きなアルバムのひとつである『ハチミツ』だったと思う。

このアルバムに収められたスピッツ最大のヒット曲「ロビンソン」は、

《新しい季節は なぜかせつない日々で》

というフレーズで始まるが、新学期になろうとしていてクラス替えを控えていた僕の心境にとても当てはまった。アルバムを聴く前から知っていた曲ではあったが、深みを増して聴こえてきて、もっと大好きな曲になった。

ただ、スピッツの場合は歌詞が隠喩だらけで、いくらでも解釈のしようがあるため、応援歌としてストレートに励まされることは比較的少ない。
その分、珠玉のメロディーとサウンドこそが最高の「魔法」なのだ。

透明感のあるマサムネさんの歌声、繊細なアルペジオや心地良いギターリフを得意とするテツヤさんのギター、﨑山さんの超絶技巧なドラミング、サウンド全体を支える田村さんのうねりまくるベース。
彼らの奏でる音は、在り来たりな言葉にはなってしまうが、まさに唯一無二である。誰一人欠けてもスピッツサウンドは成立しない。

そして、そのスピッツサウンドは春の醸し出す特有の空気感にピッタリなのである。
もちろん他の季節をテーマにした楽曲も沢山あり、そういった曲は例外となってしまうのだが。

スピッツの音像は、いくらポップでもどれだけ力強くロックであろうとも、同時にどこか儚くてノスタルジックで、聴いていると夢の中に迷い込んだような感覚に陥る。
ちなみに、いつだったかこの感想を親に熱弁したところ、「まるでユーミンの曲みたいだね」と言ってくれたのだが、なるほど確かに。マサムネさんの曲もユーミンの曲も、どことなく異世界を感じさせるような非日常感があると思う。
 

閑話休題。
ここからは、様々な楽曲やアルバムを例に挙げ、“春”を感じさせるスピッツサウンドの魅力を掘り下げていきたい。
 

前述した『ハチミツ』は、特に春のイメージが強いアルバムだ。リリースは95年の秋だが、バンドサウンドの心地良さは紛れもなく春の空気感そのものだと勝手に思っている。
ポップ極まる表題曲「ハチミツ」の変拍子が、心落ち着かない春の不安定さと妙にリンクするのが、その印象を強めている要因だろうか。
 

同じく人気作である『フェイクファー』も、毎年春に聴きたくなるアルバムだ。
『ハチミツ』がとびきりポップなのに対し、こちらは様々な曲調が入り乱れていてとても賑やか。それでもやはり、音のおもちゃ箱というよりは、哀愁や切なさを強く感じ取ってしまうのだ。
イントロダクション的な小曲「エトランゼ」からして、ただならぬ浮遊感が異世界を感じさせるが、それ以降のどの曲も、それぞれベクトルは違えど、聴いていると泣きたくなってくるほどに切ない。このアルバムを聴く度に、イヤと言うほど “春” を感じてしまうのだ。 
同じ季節を思い浮かべる『ハチミツ』と180度違う感想を抱く要因は、「切なさ」の有無だろう。どちらも甲乙つけ難い大好きなアルバムであるが。
 

続いて、初期の名盤として名高い『名前をつけてやる』を紹介しよう。
割とオーソドックスなロックサウンドが展開するアルバムだが、この時期に特有の歌詞の分かりにくさが、カオティックな世界観を作り上げている。
では、何故このアルバムが春を思わせるものなのだろうか。
それは、このアルバムが他でもない「青春」を描いたものだからであろう。
ただし、ここでの「青春」はキラキラしたものでは決してない。一筋縄ではいかない、性的な欲にまみれていて汚くて人間臭い、言わばアンダーグラウンドなものだ。
それゆえ、どの曲もアウトロの残響まで聴き終えた後には退廃感しか残らない。それでも何度も聴きたくなってしまうのは、既にスピッツワールドにどっぷりと浸かっている証拠だろう。

また、「プール」の歌詞で描かれる、

《街の隅のドブ川》

とか、「名前をつけてやる」に登場する、

《名もないぬかるんだ通り》

などといったフレーズからは、ノスタルジックな真昼の田園風景や、古いアパートのベランダから見た寂れた街の景色が、脳裏に鮮やかに浮かんでくる。
こうした描写が、どの曲もストレートに悲しい物語ではないのに、たまらなく胸を苦しくさせるのだ。だけど何度も聴きたくなるのは、最早スピッツ中毒の禁断症状としか言いようがない。
ただ1つ言えるのは、それだけ情景が鮮やかに浮かぶ素晴らしい音楽である、ということだ。
 

最後に、近年の作品を紹介してこの文章を締めよう。
ここまでは、サウンドの心地良さやひねくれた歌詞をスピッツの魅力としてピックアップしてきたが、ここ15年くらいのスピッツは真っ直ぐな歌詞に泣けるのだ。

例えば、2008年に発表された「若葉」という曲。
極めてメロディーの美しいバラードナンバーだが、歌詞で主人公は過去の恋愛を振り返っている。失くしたものに気付けなかったことへの後悔を綴りながらも、最後は“君”と違う道を歩むことを決意する、というストーリー性と主人公の心情に、聴く度に込み上げてくるものがある。別れと新たな決意が描かれたこの曲もまた、春にピッタリだ。

また、2007年発表の「ルキンフォー」という曲は、珍しく前向きな応援歌。

《ルキンフォーめずらしい 生き方でもいいよ 誰にもまねできないような》

というフレーズに何度励まされたことか。中学時代、高校時代、大学入試と、人生の節目においていつも勇気を貰っているので、この曲もやはり春のイメージが強い。
 

こうした珠玉の名曲たちを改めて聴き直しつつ、ここまで文章を書いて思ったことだが、やはり僕がスピッツに抱くイメージは圧倒的に“春”だ。
と言いつつも、スピッツの曲は季節を問わずいつでも聴いているのだが、その「魔法」を最大限に感じられるのは春である…というのが僕の持論で、この文章で最も伝えたかったことである。

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