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暗闇に届いた流れ星

BUMP OF CHICKEN「流れ星の正体」を聴いて

正の数と負の数を乗算するといくら正の数の値が大きくとも負の数になる。
そう中学校の数学で習った時は理屈は飲み込めてもなぜそうなるのかはよくわからなかった。
しかし今になってそれを数以外の事実や感情を通し実感するなんてあの頃の私は思いもしなかった。

自分はどうしようもない駄目な人間だと思う。これは卑下でも謙遜でも誰かにそんなことないよと否定してほしいがためのポーズでもなく、紛れも無い事実だ。自分がどうしようもない人間すぎて、穴があったら入りたいし、いっそのことそのまま埋まって全てから逃避してしまいたいとも常々思う。

BUMP OF CHICKENの音楽が素晴らしくて心から愛してるという値の大きすぎるプラスと自分がどうしようもない駄目な人間だという紛れも無く大きなマイナスを掛け合わせたら、「こんなに素敵な音楽を自分なんかが好きでいたり共感したり重ねたりする資格はない」というとんでもない値のマイナスが生まれた。

そんな資格なんてそもそも存在しない、と理解はしていながらもそういう理屈を全て隠し覆ってしまうほどその負の数は私にとってはとても大きかった。
 

BUMP OF CHICKENの音楽は、正の数と負の数の乗算の理屈だけを知ったような頃から、私を照らしてくれた。いつも寄り添い、背中を優しく押してくれた。

「大丈夫だ この光の始まりには 君がいる」ray/BUMP OF CHICKEN

思えば、「この光の始まり」は私にとってはずっとBUMP OF CHICKENの音楽だった。
真っ暗な道を後ろから強く優しい光で照らしてくれた。その光によって出来た影に気付かせてくれた。見ないふりをしていた自分の影と向き合うきっかけをくれた。
壁にぶつかっても、迷っても、転んで怪我をしても、その怪我がどれだけ痛かったとしても、その光があるから前を向ける、大丈夫だと思えた。
BUMP OF CHICKENの音楽は、私の心の土台の支柱の芯の芯まで染み渡っていた。
 

しかし、勝手に自分の中で導き出した負の数により、自分はその光に当たるべき人間ではないから大丈夫だとは言えなくなった。

それから私は何も大丈夫じゃなくなった。

心の土台に染み渡ってるものが自分に相応しくないと思った途端、土台は不安定に歪み泥濘にはまっているようだった。
こういう時の対処法は知っている。音楽だ。音楽を聴き自分と向き合い、そうして前に進める。今までずっとそうやって歩いて来た。
しかし、その音楽が自分で導いた大きな負の数により私の心はガチガチに締め切り、入ってくる音楽や言葉全てを無意識に弾いてしまう。

照らしてくれる光から自ら逃げた私は、真っ暗な道の真ん中で動けなくなった。

BUMP OF CHICKENに出会う前の自分はどうやっていたんだっけ
壁にぶつかって怪我をしてどうしようもなく傷が痛くて動けなくなった時は何で応急処置してどうやってまた歩き出せたんだっけ

わからなかった。初めての挫折も苦悩も孤独も、いつも側にはBUMP OF CHICKENの音楽がいてくれたから。

何もない真っ暗闇にひとりでいるような感覚だった。
何百回と聴き、聴くたびに新鮮に勇気や感動や共感を得た大好きだった音楽を聴いても、大好きだった音楽を純粋に聴けなくなった駄目な自分に対して怒りと恥ずかしさが湧いてしまう。

もうこの先もずっとこのままなんだと思った。
また音楽以外で照らしてくれそうな何かに出会えたとしても、わたしはその光に当たる資格はない。
資格なんて要らないし存在しないって思っていたけれど、それは自分を肯定する材料を確保するための都合の良い思い込みだったんじゃないかとすら思えた。
それくらい私の心はガチガチに締め切り、何も受け付けられなくなっていた。
 

そんな風になってどれだけの時間が経ったのだろう。そうなってしまったのは雪も降る前だった気がするのに、もう桜が散り始めている。

そんな4月11日の昼頃、BUMP OF CHICKENの「流れ星の正体」の弾き語り動画がInstagramにアップロードされた。

初めて聴いたのは2年以上前、ワンコーラスだけ公式サイトに期間限定で公開された時だ。
2年前に初めて聴いた時、多くのリスナー一人一人に対して、もれなく多くのリスナーのうちその一人の自分にも、とても素敵な贈り物を一人一人丁寧にラッピングして手渡しで貰ったようなとても暖かい気持ちになった。

BUMP OF CHICKENほど「一対一」を実感するバンドはいない。何度かインタビューやラジオなどで語っていた「何万人聴いてくれる人がいても一対何万ではなく一対一が何万通りもあるということ」を本当に思ってるんだと曲を聴くたびライブを観るたび実感していた。
しかし私はその尊い「一対一」から自ら逃げてしまった。
 

Instagramの動画が再生された途端、優しすぎる声と音と言葉が耳から全身に染み渡った。
あれだけガチガチに締め切っていた耳と心が随分久しぶりにいとも簡単に開き、スルンと心の奥に入り込み、締め切った奥の凝り固まっていた部分まで一瞬で優しく解きほぐされたような感覚になった。

「変わらないで変われなくて ずっと」

いつまでたってもどうしようもない自分と重ねようとせずとも重なった。どれだけ苦しくても今まで信じてたものを見失っても、

「それでも続いている」

ここ最近の自分とリンクし涙が溢れた。いいんだろうか。私なんかがこんなに優しい曲と重ねても。

「君が未来に零す涙が
地球に吸い込まれて消える前に
ひとりにせずに掬えるように
旅立った唄 間に合うように」

自分で導き出した大きな負の数が途端に何の効力も持たなくなったような気がした。
歌詞の通り、掬われた と思った。
一人でどうしようもなく状況を打破する方法も分からず暗闇にいた締め切ったわたしの心にまで届き、自分勝手に導き出した私にしか通用しない膨大な負の数が心に染み付いてしまう前に、間に合い、今掬われた。
それまで囚われていた負の数はもう側にすらなかった。

「君はどこにいる 聴こえるかい」

ずっと聞きたかった気がする。もう無理なのかもしれないと思っていても、心のどこかできっとずっと待っていた。
そしてここまで来てくれた。ちゃんと聞こえた。
「時間と距離を飛び越えて」確かに私の空に届き、輝いた。私も「旅立った唄」に気付けた。
 

「流れ星の正体を僕らは知っている」

しばらく歌詞の「僕たち」や「僕ら」を聞いてもずっと他人事のような感覚だった。でもその時の「僕ら」の中には確かに自分もいるような気持ちだった。
暖かい一対一を、取り戻したような気がした。

流れ星の正体を確かに私はその時知った。
BUMP OF CHICKENの楽曲はまさに流れ星だ。
とても優しく強い光を放つ流れ星は、自ら暗闇に逃げた私を再び見つけ出し照らしてくれた。
その光を私もまた受け入れられた。相応しくないとか資格がないとか、そんな思考入る余地もなかったし必要もなかった。
 

光は、どんな自分であろうとただ照らしてくれる。
どれだけ駄目な自分の影も進まなければいけない障害だらけの前の道も、時に残酷なまでにはっきりと見えるよう照らす。
私はきっとそういうものと向き合うのが怖くて、その光から逃げた。
思ったよりも随分真っ暗で、光に照らされた障害だらけの前の道を進み自分と向き合う苦しさとはまた違う、とても陰鬱とした不健全な苦しみだった。
それならば、光から逃げるよりきっと、怖くとも光で照らされた障害だらけででこぼこな道を少しでも前に進んだ方がいい。とても疲れるし怪我はつきものだけれど。

再び出会えた光に照らされ、また私は歩き出せる。
素敵な一対一を大事に持ちながら私は進んでいく。

光は照らしてくれども、歩くのは自分自身だ。
たくさん歩いたら疲れるし靴擦れするかもしれないし、焦って走って転んで大怪我をするかもしれない。
そんなときはきっとまたいつものように、BUMP OF CHICKENの音楽から放たれる強く優しい光で温まり、その光の麓で自分自身で怪我を治療し、時に誰かの手を借りながら、また歩くのだろう。これからも。

またそんな光から自ら逃げてしまうことがあるかもしれない。いやあるだろう。前述の通り私は本当にどうしようもない人間なので無意味な愚かな思考に囚われ自ら暗闇に進みがちだ。本当にどうしようもない。
 

だとしても、いつかまた流れ星はどれだけの時間がかかってもきっと私の元に届き、優しく強い光を放つだろう。

私はその流れ星に気付けますように。

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