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きっとずっと、音楽は続いていく

THE YELLOW MONKEY「9999」によせて

 昭和に生まれて育ち、平成と共にデビューしたバンドが、元号が変わる直前の滑り込みのタイミングでアルバムを出した。THE YELLOW MONKEY、「9999」。平成の間に活動休止、解散、再集結を経て、実に19年ぶりのオリジナル・フルアルバムだ。
 正直、実際にアルバムを通しで聴くまでは期待と同じだけの大きさの不安があった。だから、敢えて私はできるだけ事前情報、特に音源にはタッチしないようにしていた。発売日が近づくにつれて高まる気持ちの中に、不安は残り続ける。不安の正体は、「あの時と同じ気持ちで、好きになれるのか?」だった。
 中学生で、初めてTHE YELLOW MONKEYに出会った時。大学生、社会人で、死んでしまいたいくらい辛かった時。私が憧れ、救われ、好きでい続けた気持ち。それが、変わってしまわないか。この19年、私は変わった。仕事する大人になったし、色んな事に懲りたし、失くしたり抱え込んだりした。
 そして彼らもまた、変わったのだろう。歳月の分だけ、きっと傷や宝は増えたはずだ。テクニック、プレー面はもちろん、パーソナリティという部分でも。それは、再集結から3年の間に発表された楽曲の中にもたくさん詰まっている。
 稚拙な表現だが、先行7曲はどれもとても良かった。TVとのタイアップ曲は、THE YELLOW MONKEYらしさとタイアップ趣旨をうまくバランスしたもので、文句のつけようがないカッコ良さだ。ファンとバンドを繋いだような「ロザーナ」「Horizon」には、深くあたたかい愛情が感じられる。彼らは確かに活動休止時の彼らではないが、進化している。それはとても良い変化だったのだ。だからその時点で全く心配や不安などないはずなのに、私はまだ不安だった。
 どのアルバムでもそうだが、1時間近く聴覚だけで楽しむというのは、よほど楽曲に力がないと難しい。特に、チャート入りするヒット曲や馴染んだ先行曲ではない曲は、初出のそのアルバムの中でしか勝負ができない。そしてそういう曲にこそ、そのアーティストのこだわりや本質は現れる。だからこそ、オリジナル・アルバムというのは、アーティストの底力・地力がよく分かるのだと思う。
 私は、彼らの解散前の最後のオリジナル・アルバム「8」が大好きだった。子どもの頃は分からなかった、アルバム全体に流れる不穏な空気や不安定さ、諦めや足掻き。それが、自分が大人になって20代を過ごしていくうちに、実体験と共に心身に滲みるようだった。
 それが良い悪い・好き嫌いという意味ではない。だが、平成という一つの時代が終わるこの時に、みんなで爽やかな笑顔でダンスしたり学生の合唱の課題曲になるような、「今っぽさ」いっぱいの曲で構成されたアルバムだとしたら、私は彼らの音楽を好きでい続けられない気がした。
 THE YELLOW MONKEYというバンドは、それ自体が生き物のようで、苦しんだり間違えたりしながらそれでも傷を引きずって生き続けていく。その生々しい時間の中で生きている彼らの音楽が、私は好きだった。その「好き」が覆るのが怖くて、不安だったのだ。
 届いたアルバムを、プレーヤーに入れる。わずか10秒足らず。私の不安はきれいに消えていった。
 確かに、新しい。例えば90年代末期の彼らなら、鳴らさなかったグルーヴだろう。全体的にはさっぱりとしたブラッシュアップ、そんな印象だ。特に先行配信されていた曲はその傾向が強く、無駄な重さや暗さのない、正統派ロック。聞き手の気持ちをさらりと持ち上げてくれる。
 が、アルバム全体に、隠しようのない「昭和」の色が下塗りされている。1曲目の「この恋のかけら」のベースのメロディから既に、その色は発現していた。1曲目で気付いてしまうと、続く曲全てにどこか昭和歌謡の匂いがする。
 昭和歌謡と平成J-POPの違いは、「ひとりで聴く」か「誰かとシェアするか」だと思う。再生装置が持ち歩けるようになり、ソフトが軽くなり、音楽はコミュニケーションの手段の一つになった。音楽において、誰かの共感や、誰かとの一体感を求める。それが平成J-POPである。
 一方、昭和歌謡は、どこまでも個人的だ。作る方も、歌う方も、聴く方も、おそらく誰の共感も一体感も求めてはいない。昭和歌謡は内省的な娯楽であり、音楽は一種の「秘密」「ひとりごと」の様相を呈している。
 アルバム全体を通して、特にサウンド面で、私は昭和歌謡のスピリッツを感じた。メロディー、コードの使い方、おそらく検証すればはっきりするのだろうが、今この時点で言えるのは「なんとなくそういう匂いがする」という実に曖昧な、しかし割と正確だと思われる、嗅覚的なものに依る。仕事や世間に疲れた人間が、帰宅してぼんやりとビール片手に一人で聴いている。そういう匂いがした。
 しかし、新しい味がするのだ。私はどっぷり平成育ちなのでずっと平成の音楽を聴いているのに、今回のアルバムに似たような曲は平成ではなかったと思う。それは、レコーディングされた環境によるものかもしれないが、少し前までの流行だった「甘いものはとことん甘く」というしつこさのない、からりとしたシンプルさ。ブレイク期の妖艶さともまた違う、いぶし銀の艶がある。「許されるなら今すぐに、これカッコイイんですよ!と宣伝してまわりたい!」などと思ってしまう。
 その中で変わっていないのは、「この4人でしかできない」ということ。吉井和哉の詞を音楽へと昇華して鳴らすのは、HEESEY,EMMA,ANNIEの3人にしかできない。そこに、余計なエフェクトや小手先の先端技術は意味がない。4人がいて、音を鳴らせば、THE YELLOW MONKEYになる。何を加えるのか、何を減らすのか。どんな色を塗るのか。彼らの音楽の芯のようなものが音の中にしっかり通っていて、アルバムの歌詞カードを撫でると、まるでそれに直に触れているように錯覚する。
 昭和の匂い、平成の味。今現在の彼らの、音楽の手触り。耳から感じる音楽の中に、生きている時間そのものがある。私たちが、彼らが、歩んできた時間がある。
その時間を五感で感じ取った時、私の不安はまた新しい「好き」になった。今のTHE YELLOW MONKEYも、大好きだ。「9999」は、「8」の隣にそっと置いた。並んでいるのを見ると、眩しい。ここに、私の大切な「好き」がある。
 時代は変わる。アナログレコード・ドーナツ盤はカセットテープになり、カセットテープは12㎝・8㎝のCDになり、CDはデータ配信になった。あらゆる進化を止めることはできない。
 時代は続く。少年は青年になり、青年は社会人になり、老いていく。私たちは、自分が自分でい続けることからは逃げられない。
 そして、いつの時も音楽はそこにある。生きていく私たちの、手の中に。
 きっと、これからもずっと時代は続いていく。名前や区切りが変わっても、時間は止まることなく流れ続ける。変わりながら、変わらないままで。
 そして、THE YELLOW MONKEYの音楽も続いていくのだろう。その音楽の中に、愛と生きた時間を詰め込んで。次の時代に、彼らは何を見せてくれるのだろう。
 

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