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“喜怒哀楽”が生々しく剥き出しになったステージ

エレカシの新春武道館 二〇一九年一月一八日 ライブレポート

 新春、そして武道館という神聖な地でのライブ。初詣、あるいは初日の出を拝みに行くような心持だった。この日のライブが始まるまでは―。

 一八時半、開演時刻を迎えて間もなく会場は暗転し、大喝采の中メンバーが登場する。いつものようにSEはない。静寂を切り裂くように、潰れて歪み切ったギターサウンドのインストゥルメンタルから、一曲目の「脱コミュニケーション」が演奏される。宮本浩次(Gt./Vo.)の一声目のシャウトだけで、引きずり込まれた。それは歓迎されているというよりは、エレファントカシマシを中心に渦巻くブラック・ホールの中に歪みながら吸い込まれるかのようだった。そして、間髪を入れずに「Wake Up」へ。二曲目から飛ばしに飛ばしまくった宮本の歌唱、特に最後の方の長めのシャウトはあまりにも生々しく、ぼんやりとした感情に支配されていた自分は、たちまち叩き起こされたのだった。この日の宮本は、歌を観客に届けるというよりは、体中のあり余るほどのエネルギーを、四方八方会場に放出しているかのようだった。

 この日はほとんどといっていいくらい、MCがなかった。その代わりにあったのは、アコースティック・ギターの演奏に乗せられる、即興の歌。なんというか、三〇周年のツアー以前の、純粋に音楽だけで勝負していきたいという彼らの姿勢を、この日は改めて感じられたのだった。続いて、アコースティック・サウンドでしっとりとかき鳴らされたのは「ワインディングロード」、そしてストリングスを交えた「リッスントゥザミュージック」へ。各々の弦の振動が共鳴し、それに宮本の歌声の振動がぶつかり合いながら、突き刺さってきた。洗練された美しさのなかに、時折“トゲ”が垣間見えた—。

 この日の序盤で圧巻だったのは、〈ユニバーサル ミュージック〉移籍後に発表された、力強いバラード「大地のシンフォニー」と「絆」の二曲。宮本は発表当初よりもしなやかに、そして何より気持ちよさそうに歌う。体全体を共鳴させながら、会場全体に音のベールをかけてゆく。その歌声、もっと言えば宮本という人間自体そのものが楽器のように感じられた。そんな彼の歌唱力と歌声の広がりがいかんなく発揮されたあとに、このライブを混沌へとねじ込むぐらいの事態が起こることになる。

 それは十二曲目の「珍奇男」で起こった。アコースティック・ギターの弾き語りからエレキ・ギターへと楽器をチェンジする際、肝心のエレキ・ギターの音が出ない。宮本は「オイッ!」といって、ローディーの丹下にジェスチャーをする。思えば二曲目の「Wake Up」で宮本は、メイン・ギターである黒のストラトギターの音が出ず投げ捨てていたが、それが響いたのだろうか。すかさずローディーが接続部分やら、アンプのプリセットやらを調整し、再び宮本に手渡すものの依然として音は出ない。別のギターを用意し、ローディーが宮本に対してギターを弾き続けるようにジェスチャーをするも、宮本はギターを放り投げ、マイクを手に持ち替え、演奏を続ける。

 だが、曲の中盤くらいになって突然、演奏をやめた。会場には緊張感が走る。久々に畏怖の感情が沸き立ってきた。なんというか、部活動をやっていたころに、顧問に叱咤されているチームメイトを傍目から見ているような、そんな感情だった。本当に怖かった。そして、仕切り直しの「珍奇男」。会場からは、手拍子が沸き起こった。ただ、そんな情けの手拍子などいらないといった具合に宮本は、観客の手拍子を制止するジェスチャーをした。そのときは、二八年前に行われた、三〇〇〇人の武道館ライブの時のような、ひりひりとした緊張感で会場は覆われたのだった。

 また、演奏の方も、その頃にタイムスリップしたかのように、洗練というよりは混沌とした様相を持っていた。完成され切ったものを破壊していくように、演奏と歌声は曲の終盤になるにつれて解離し続け、会場内はまるでサルヴァドール・ダリの絵画のように歪み切っていた。それはまさに「珍奇男」という曲の滑稽で可笑し気な部分と、狂気の部分が際立っていたともいえるだろう。曲終了後、宮本がギターの音が出ないことに関して釈明をした際観客から「大丈夫!」、といわれると宮本は「別に君の同情を乞うと思ってはいない…」というなんとも粋な返しをした。MCまで曲に引っ張られているかのように、二〇一九年の「珍奇男」は、二〇代の頃の宮本が憑依していた。

 ライブ中盤に差し掛かると〈ユニバーサル ミュージック〉以降のポップな楽曲の構成で、新年を祝うかのように会場を包み込む。宮本も先ほどの「珍奇男」とは異なり、このときばかりは手拍子を催促し、エレファントカシマシの“喜”の部分を鮮明に感じ取ることができた。祝福ムード、あるいは新春ライブの武道館。普通であれば、「今年も、頑張っていこうぜ!」という意味を込めて、「俺たちの明日」で第一部を締めていたはずだ。しかしながら、そんな予定調和を打ち壊すようにこの日は、〈東芝EMI〉時代のバラード「マボロシ」で再び現実の世界、あるいは“東京”という日常へ引きずり戻してゆく。

 そして、鳥のさえずりが聴こえてきたかと思うと突然、雷鳴のような叫び声が会場にこだました。思わず耳をふさいでしまう者、直視できずにうつむいてしまう者がいた—。それもそのはず、さっきまでは縁日のようなお祭りムードだったのに、急にどす黒い雲が立ち込め、雷が直撃し火の手が上がるくらいの災難が起こったのだから無理もない。“メフィストフェレス”が降臨し、「悪魔メフィスト」が届けられる。いや、届けられるというよりも、その存在をひたすら誇示しているように見えた。狂気に満ちた歌声、凄まじい音圧のサウンド、ステージの中央部分で高速点滅する照明、サイレンのような金切り声—。開いた口が塞がらなかった。音が出ているところに放り出されたら殺される—そんな風に思った。

 ライブの後半には、「かけだす男」が披露される。昨年の雨の日比谷野音でも披露されたこの曲。この日は下へと延びる無数の光線の演出で、まるで武道館に雨が降っているような錯覚が起こったのだった。

 そして、この日のハイライトは「風」。今から約一〇年前、〈桜の花舞い上がる武道館〉で披露された時よりも宮本は丁寧に、そしてのびやかに歌っていた。特に転調後のファルセット、これはなんとも美しく物憂げだった。曲中の〈あと百年を生き長らえても 今のこのオレを抜けられやしまい/あと五分しか生きられぬのなら 今のこのオレをこえらえるというの〉という歌詞が、体にしみこんでくると、共感以上の焦燥感のようなものが沸き立ってきた。そして「so many people」へ。観客席の方がパーっと明るくなり、武道館の天井にぶら下げられている日の丸がくっきりと浮かび上がってきた。エレファントカシマシに日の丸、なんとふさわしいコントラストなのだろうか—。ライブは、「今宵の月のように」、アンコールの「ファイティングマン」で華々しく締めくくられた。

 約三時間、ほぼ歌いっぱなし—。思えば、三〇周年ライブのツアーで宮本は、ペース配分をして、温存しながら丁寧に歌を届けようとしていた。そして何よりも、三〇年というキャリアを俯瞰し、当時を懐かしんでいるかのようにも見受けられたのだった。しかしながら、そんな三〇周年ライブで感じられた、祝福のムードを打ち壊すぐらいに、今回のライブは“カオティック”。ついて来いと言わんばかりにリズムをずらし、怒りをみせたかと思うと、新年を迎えた喜びを祝福し、ときには涙を見せる。“喜怒哀楽”をここまで感じられるライブがあっただろうか。というよりもむしろ、昨年のツアーがある意味で異質だったのかもしれない。宮本は「今日は、思った以上にいろんなシーンがあって、コンサートらしいコンサートになった」と言っていたが、まさにその通りだった。

 これは決して“初詣”なんかではなかった。なんというか、絶え間なく流れ続ける音の滝に、身を投じて耐え続けるといったような“滝行”に近かった。そんなわけで終演後は、幸福感で満たされるというよりも、凛とした気分で武道館という“修行場”を後にしたのだった。

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