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さよなら、あの頃の尾崎世界観

クリープハイプの追加公演で見た景色とは

 
 
 

ライブというものは「今 この瞬間」をどんどん過去に塗り替えていく作業で、野球のライブ中継も、コンサートも、その瞬間を自分も共有するという事。
この記事を書いているまさに「今」も、ブログの記事を書き進めるにつれ過去になる、そしてこの記事を読んだ誰かも、記事を読みながら、読んだ事がどんどん過去になっている。
 

今回のツアーについての話をしよう。
そもそもライブなんていうのは「次に何が起きるかわからない」のが面白いというのが正なんだろうけど、次に何の曲をやるかとか、何を話すとか、もちろんわからないけど、経験則から、予想は立つことがある。
実際、ツアーを全部回った私は最後の公演で「何の曲をやるか」は知ってるし、この曲の前には大体こんな感じのMCがあるというのもわかっていた、わかっている。
もっと言えば、セットリストも、度肝を抜かれるような刺激的なものではないな、と、初公演の日にセットリストに追加されていく演奏された曲たちを聴きながら思った。

それでも。結論から言おう。ライブはどこも良かった。予測できようができまいが、関係ない。というか、「なんとなく予想できた事」がライブで得たものの本質ではないからだ。心を揺さぶられた体験こそが全てだった。
 
 

日常を送るだけでも「今」から「過去」への移動はずっとされてきてる筈なのに、そこでわざわざ、更に、「今を過去に塗り替える」経験を強く求めてライブに行くのは、やっぱりただ日常を送るだけに生きるのがつまらないからとか、あの人のその作業と、私のその作業を重ねたいとか、難しい風に言う事もできるけど、簡単な言葉でまとめるなら、「刺激が欲しいから」に他ならない。
ライブが刺激的であることは、ファンとして1番求めてることだった。少なくとも私は。

だからツアー初日は、「なんか知ってる」「なんか似てる」「予想通り」で構成されつつあるセットリストに対して、少しの不満足を感じながら、ライブが終わりに向かう瞬間までを過ごしていた。
※一応、断っておくが、セトリの楽曲は全てが好きだし、ライブが楽しくなかったわけじゃない。セットリストに対する個人的な期待と、私個人の需要を、(私のために、)満たして欲しいというドロドロの欲望の的をちゃんと外してきたから、「やっぱり思うようにはならないな」と思っただけである。
 
 

で、次で最後の曲、アンコールもやりません、と言って、何か喋りながら弾いたギターの音に、身の毛がよだった。
初めて、今まで演ってきた20曲あまりには思わなかった「予想外」がここにきて現れた。
 

「おやすみ泣き声、さよなら歌姫」

クリープハイプのメジャーデビューシングルのタイトル曲で、私自身がクリープハイプを知るきっかけになった曲。
 

ライブは私のためにやってるわけじゃない、今更アーティストに夢を見る程若くもなくなってきた、と思ってたし、思っているけど、私が大切にしている曲を、あんなに大切で1番と言える最新アルバムの曲を差し置いて最後に持ってきたのは、その曲の格別さが私と同じだからだろうか、と思ってしまった。不覚にも。
「私と同じで、その曲のことが大切だったから」という、「私情報」を上乗せした勝手な感動話として最後の曲が始まった。
 

曲が進むに連れて冷静さを取り戻すと、喜びとか感動とかだけじゃなく、純粋に疑問が湧いた。
どうして、この瞬間に、あのアルバムのツアーで、最後にこの曲を連れてきたの?という疑問。
嬉しさとかを忘れたまま、ただただ不可解でしかないままライブが終わってしまって、疑問は疑問のまま、少しの不安も孕んで、解決することなく、ツアーは始まってしまった。

今更、当時にバンドの終わりを思って書いた曲を歌うのは何なんだろう。
 
 
 
 

正直なところ、私の安直な考えはこうだった。

アンコールをやらないバンドとして定着したら、それはあの曲の通りになってしまうじゃないか、もしかして、終活始めたのかな。
 
 

公演数を重ねていくにつれ、そういう不安も薄れるほどライブはどこも良かった。辞める筈ないよな、と思うのに、どうしても最後の曲は(PVに寄せた演出もあって)当時の〈目を離したら消えてしまいそう〉な彼がそこにいた。
 

ただ。
 

ツアーファイナルの神戸公演。あれは格別だった。
曲を書いた当時の自分の気持ちを話して始まった曲は、それまでの公演に感じていた「危うさ」を全く感じなかったのである。
正確には、ツアーファイナルの一つ前の公演から、危うさはもうなくなっていたんだけど。
 
 

最後の4小節 君の口が動く
最後の4小節 君が歌う
最後の4小節 君の気持ちが動く
さよなら
 
 

―おやすみ泣き声、さよなら歌姫 より
 
 

彼はある公演と、ツアーファイナルだけ、この歌詞の後に、もう一度「さよなら」と優しく言った。

今思えば、このツアーは「こんな日が来るなら、もう幸せと言い切れるよ」とまで言うようになった彼が、当時の、というか、これまでの、危うさを持った自分との「さよなら」をするためのツアーだったのかもしれない。

少なくともツアーファイナルで言った「さよなら」はそうなんじゃないかと感じた。
 
 

因みに、もう一つの「ある公演」は(全7本とした)ツアー5本目の、仙台公演。あの日の歌姫は、それまでの公演全ての尾崎で挑んでも、敵わないくらい当時の彼だった。1番「怖いな」と思った。
楽曲をやる、楽曲の伝えたかったことを伝える、という意味では多分仙台公演が1番適った公演だったと思う。
ただ、あの日、出し切ったのか、そうじゃなくてももう封印したのか、わからないけど、その後の2公演は危うさがなくなっていて、それが余計に嬉しかった。

バンドがこれからどう進んでいくのか、わからない。演っているのは、生き物だから。
でも、ツアーファイナルで言った「何もないし、これからも続けていくから」という言葉を、あれだけの演奏を見て、信じないことはできないなと、今は思う。
 

刺激を求めてた?うるせえよ。
そこにいてよ。それでいいんだよ。
私なんかのために歌わないで、自分とずっと向き合ってる、そんな歌姫のことを、ずっと好きでいたいと思う。
 
 
 
 

――いや、「好きでいる」
断言しとこう、あの人ですら、辞めないって断言したんだから、何者でもない私も、それくらいは強い意志で貫こうよ。

誰かを好きでいることは恥ずかしいことだけど、そんな自分を好きでいられるのは、こんな日が来たからだよな。幸せだよ。

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