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そのあり余るバイタリティーで平成の世を駆けた君よ

GLAYと平成

 “そのあり余るバイタリティーで平成の世を駆ける君よ!”
 「サバイバル」(平成11年)

音楽はもちろん時代とともにあって、時代が変われば音楽の有り様も変わったりする。音楽が時代を動かすなんてことは……基本ないと思うのだけど、ごくまれにあったりしただろうか。
これから話をするバンドはもちろん世の中を変えたりはしなかったとは思うけれど、でも確かにその時代に足跡を残したりはしたんじゃないかと思う。あと数日で平成が終わってしまうので、その平成を駆け抜けたGLAYというあるロックバンドの話をしたい。
 

まず紹介。あんまりWikipediaに書いてあるような経歴をここに書いてもしょうがないので端折りつつだけど、GLAYは昭和63年(1988年)に函館で結成、平成6年(1994年)にメジャーデビューして今年でデビュー25周年になる。

 “夢に見た契約がやっと取れそうだと喜び合ったな
  機材車のガソリンや弦が心配なく買えるといいけど…”
 「MUSIC LIFE」(平成26年)

その活動を数字で見てみると特筆すべきなのは最初のベストアルバムを400万枚以上売ったり(最初としているのはいっぱいあるからだ)、1回のライブで20万人を動員したり(これは世界記録だとかなんとか)、しているところだろうか。なおCDの総売上枚数は平成30年(2018年)の時点で日本歴代8位とのこと。
つまりめちゃくちゃ売れてめちゃくちゃ流行っていた。世間の耳目を集めていたそのピークは90年代の後半だったかと思う。ほぼ同世代のLUNA SEAやL’Arc-en-Cielとともにいわゆるヴィジュアル系ロックバンドのブームを巻き起こし、来る日も来る日も話題を提供しつづけていた。

 “新記録 戦略好きだな 哀れなバンドマン
  天晴れなアイディアと共に 人気はUP DOWN”
 「FATSOUNDS」(平成11年)

こんな自虐も口をついてでるほどいろいろやった。思い出せるかぎりで思い出すとシングル2枚同時リリース、ビデオテープ(VHS)での楽曲リリース、東京ドーム5days、千葉での20万人動員ライブのほかにも北海道や大阪でも1公演で10万人を動員したり、チケット予約が殺到して電話回線をパンクさせたり(チケットを買うために電話をかけていた頃があったんですね)、もちろんレコード大賞もちゃんと受賞して紅白歌合戦にも出演して、果てにはメンバーがペイントされた飛行機が飛んだりと、まあ派手にいろいろやった。

思えば平成の前半まではこういうすさまじいまでのブームが存在していたように思う。インターネットが発達しきるまえはこういうことがあった。かつて「巨人、大鵬、卵焼き」なんて物言いがあったけど、まだ90年代はそんな感じがぎりぎりで残っていて、GLAYはうまくそれに乗っかった。

 “時代のニーズとやらは 身勝手なもんだと言いながら
  また誰か闇に向かい ハデにツバを吐く”
 「Savile Row ~サヴィル ロウ3番地~」(平成11年)

前述の20万人を動員したライブの翌日、僕が夏休みよろしくお昼のワイドショーを観ていると、ちょうどその模様が放送される。お、GLAYニュースになってるじゃん。しかしその直後にあるコメンテイターが「ここにいるひとたちは誰も音楽なんて聴いていないんですよ」と話すのを聴いて、カッと怒りが沸き起こったことを覚えている。聴きもしないでわかったようなこと言いやがって。
でも、20年経ったいまとなってはそのコメンテイターが言っていたこともまあわかる。つまりテレビ向こうのそのひとは過剰なブームを、一過性の流行で同じものに盲目的に飛びついているように見える若者たちを批判していたのだ。
ロック評論的言い回しのひとつに「時代と寝た」という表現があるけれど、GLAYは時代と上手に寝ていたように思う。そしてその後に望んではいないいささかの反動も、またあったように思う。

 “働いて働いて働いて夢も時間も売り切った
  だけど手にした金の力では空白は埋まらなかった”
 「MIRROR」(平成19年)
 

肝心の音楽の話、GLAYの音楽性について言葉にしてみたい。よく言われている通り、GLAYの曲の基本はごくふつうのエイトビートにある(ドチタチドドタチというやつです)。下敷きには先輩筋のBOØWYやXやB’zの音楽があるし、もうすこし遡るとイギリスのグラムロックやアメリカのハードロックにいきあたる。サウンド的には奇をてらったところも過剰なところもない、概ねオーソドックスなロックのお作法にのっとった(ロックではありつつ)行儀のいい音がしている。

ボーカルであるTERUの歌声はまずハイトーンで思うさま掠れていて、そもそもが個性的。
主に作詞作曲を担うリズムギター寄りのTAKUROのギターは曲を支える役割でありながらしかしタイム感は曲線的というか(ぐにゃぐにゃしている)、質感はワイルドでラフ。
対してリードギター寄りのHISASHIのギターはタイム感が直線的というか(かくかくしている)、質感はデジタルでタイト。
JIROのベースは派手に振る舞うことなく堅実にルートを支えている。
加えてドラムには氷室京介のライブでドラムを担当していた永井利光をサポートメンバーとして迎え、プロデューサーの佐久間正英と二人三脚でその楽曲を世に広めるためのアレンジを施してきた。

GLAYの楽曲はいわゆるヴィジュアル系とされているジャンルの中でも、闇だの影だのといったダークで攻撃的な要素は薄く、メロディはポップといってもいいくらいに躍動している。なので前述したバンドのサウンドもあまりトゲトゲしておらずピアノやストリングスやシンセサイザーを巧みに差し挟んでマイルドで耳馴染みがよかったため、そのジャンルを愛好するリスナー以外にも、果てはお茶の間にまですんなりと入っていくことができた。
ヒットの嚆矢となった平成8年のシングル「グロリアス」、つづいての「BELOVED」と「a Boy~ずっと忘れない~」はどれもみなわかりやすいコード進行に親しみやすいメロディがきれいにのっていて、彼ら自身も望んでいたヒットを無事に飛ばす。

激しくロックな“黒”でも、優しくポップな“白”でもない、そのあいだの“灰色”をバンド名に冠した(諸説ありですが)GLAYは出自であるヴィジュアル系からはみ出すことなく、スーツで決めて思うさまかっこつけながらも聴きやすくメロディの立った曲たちを武器に、次々にタイアップを勝ち取りヒットチャート1位の常連になる。
要するにバランスが絶妙だったのだと思う。そんなに器用に計算しつくした訳ではなく、ヴィジュアル系のブームとTAKUROのメロディの根っこにあるポップさとがうまくはまって、時代の追い風をがっちりとらえてしまい思わぬ高さまで舞い上がってしまった感じといえばいいだろうか。

GLAYの出演する音楽番組を観ていたとき母が「こういう格好のひとたちってもっと突っ張ってるのかと思ったら、このひとたちは意外とふつうの兄ちゃんたちなんやなぁ」と言ったことを憶えている。親しまれたのは函館から上京してきた仲良しの4人組というキャラクター性も多分にあったのかもしれない。もちろん万人に受け入れられたわけではないけれど、それでもまだ機能していた平成の“お茶の間”には充分突き刺さった。ぶっすりと。
 

ではさて、GLAYはなにを歌ってきたのか?
やっぱりラブソングは多い。時代柄といってもいいか、ヴィジュアル系のお家柄といってもいいか、イメージとしてもそうだけど実際に愛を歌った曲は多い。

 “絶え間なく注ぐ愛の名を 永遠と呼ぶ事ができたなら
  言葉では伝える事が どうしてもできなかった 愛しさの意味を知る”
 「HOWEVER」(平成9年)

弁護と想像だけど、ヒットチャートのてっぺん付近でサバイブするならばどうしても愛や恋の要素が必要だったのではないかな、なんて思う。
なんだ? ヒットの法則なのか? そこまで大げさではないのだろうけど大衆の共感を得やすいテーマなのかもしれない。そして都合がいいというべきか、耽美で華美ないわゆるヴィジュアル系バンドは非ヴィジュアル系ロックバンドと較べて愛や恋を歌うことにためらいがなかった気がする。

 “流行(はやり)の歌をなぞれば 恋の歌が目についてくる
  今 胸に響くのは 甘い歌じゃない”
 「Savile Row ~サヴィル ロウ3番地~」(平成11年)

だけどGLAYは決して愛の歌ばかりを歌ってきたわけじゃなかった。
TAKUROの書く歌詞は節々で人生や時代についても触れてきたし、その比重は年々増していったように思う。特に時代なんていう大きいテーマはいわゆるヴィジュアル系ではあまり歌われない、いや、なにもヴィジュアル系に限らなくてもそんなに歌われることはないと思う。ちょっと重たくて歌にしづらい向きがあるテーマだけど、TAKUROはそこに、時代にしっかりと向き合ってきた。

 “昭和という時代に 僕らをかかえて走った
  そんな貴女の生きがいが 染みて泣きたくなる”
 「I’m in Love」(平成10年)

 “僕らが過ごした青春の日々を何で計れるの?
  吹雪にも似た激動の平成 瞳閉じないで見つめていて”
 「Missing You」(平成12年)

 “あの時代に誰もが夢を あの憧れに届くと信じてた
  あの笑顔に囲まれていた あの幸せに”
 「鼓動」(平成19年)

“昭和”に“平成”に“時代”、扱うこともそうだけどよくこれらの言葉を歌詞に盛り込めるよなとも思う。ロックバンドはどうしたって社会とリンクするものだとは思うのだけど、時代そのものというとても大きな相手はそんなにそうそう歌われていない気がする。だけどGLAYはそこに怯まずに時代についても歌い続けてきた。
まるでいささか大きくなりすぎたバンドが背負わされてしまった責務というべきか、時代にもてはやされた者として、時代というとてもとても大きな(まるで人生の総体じゃないか)対象についても歌うことができるようになった。というのは大げさだろうか。

そして平成31年の4月26日には、そのものずばり「元号」という名前の曲がリリースされる。曲名からもうすさまじい、メッセージ性しかない重くも勇ましくもある曲だ。

 “今日で終わるとニュースが告げた
  昭和64 わずか7日
  そして平成があけた”

 “今日で終わるとニュースが告げた
  平成31年 見送る者よ
  さぁ 去りゆく彼らに花束を”

 “そこまでして守った 産声の鐘は
  響き渡るだろう 唯一の元号の下で”
 「元号」(平成31年)

TAKUROはやっぱり時代にこれでもかと向き合う。GLAYのリーダーであり作詞作曲の大半を担うTAKUROは、愛や恋を多く歌うのはそれが人生にとってとても大事な事柄であると思うからだ。という旨のことをかつて自著(幻冬舎「胸懐」)にて記していた。
そしてここからは僕の勝手な想像なのだけど、愛を歌うことは結局は人生と向き合うことで、人生を歌うことは結局は時代と向き合うことなんじゃないかな、なんて思う。GLAYの曲からはそういった歌う対象への掘り下げ方の変遷が感じられる。

 “賽を振る時は訪れ 人生の岐路に佇む
  今いる自分を支えてくれた人 この歌が聴こえてるだろうか?”
 「pure soul」(平成10年)
 

平成が終わることになって個人的にこの時代についていろいろと考えていたところ、GLAYのことが頭に浮かんだ。僕にとって平成はGLAYの時代でもあったよな、なんてことを思う。そのあり余るバイタリティーで平成の世を駆けたGLAYは時代に持ち上げられたし、それをまた引き受けてもいた。これから迎える新しい時代も、彼らならどう歌うのかということは結構気になっている。

 “深呼吸 新しい時代の行方を照らす 生命(メロディー)
  高らかに うぶ声を 上げてくれ”
 「グロリアス」(平成8年)

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