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2017年6月5日

深井諒 (20歳)

メッセンジャーへもう一度

力をくれたかつてのAnyへ

 始まりはやはり出来る筈が無かった。やる気も無かった。字が書けなかった。上手く喋れなかった。今は当たり前に出来る事だ。そしてそれらの当たり前を使って人の心を動かす人がいる。そうして輝く姿に憧れる人がいるのだ。
 小さな頃は知らない事だらけで、今日の天気が良い事やら、空に飛んでいる蜻蛉の動きやら全てに新鮮さがあり、何もかもが不思議だった訳で、やがて不思議が一つ一つ消えていく中で、答えを知ったその顔は大して面白味を感じていなかったりする。知らない事が分かる様になり、常識になっていく。それは平静を表す背広でも、本当は

「知らない方が楽しかったなあ」

なんて思っているのだ。かつて先生は、お父さんは、ヒーローは確かに子供達に言った筈だった。

「自分のなりたいものになりなさい」

大人はどんな気持ちで言ったのか、今なら分かるような気もするのだが、その言葉に対して的確に銀行員だの、公務員だの答えたとしたら、その顔は笑っていても、どこかで冷たく心に触れただろう。いや、もしかしたらそれが喜ばれる時代になっているのかもしれない。今でも大概の「子供」は正直に自分の夢を持つ。しかし、気づけば大人が夢を持つのは許されないのだ。そんな世界にしたのは誰か。そんな現実を創ってしまったのは何故か。充分なお金も無く、だから休む事無く、楽しむ事も無い。それに対して抵抗しようとする姿勢は無い。
 
退屈なこの世界で歌でも歌ってみようか。そうしたら世界は変わるかな。
 退屈なこの世界で何が出来るのだろうか。正義など存在しなかった世界で。

 高校三年の夏休みは、部活に明け暮れる様だった。それは三年も経つと素敵な思い出と化している様であまり悪い気はしないのだが、当時の自分には面倒でしか無かった。その頃に学生を終える決断をした。就職先を決めつつあり、それでも部活に手を取られている状況は、親戚からは説教を食らった。正直なところ就職先というのも上手く口実に出来るものを選んだ。北海道の錆びた街を出て関西に行けたらそれで良かったのだ。進学校だった為に地元に残ればそこそこの就職先はあっただろう。それは今から考えれば、都会に行けば何か希望があるかもしれないと期待していたのかもしれない。受験勉強をやめて、学生気分で溢れた空間での最後の夢想が始まった。
 小さい頃はクラシックやフュージョンを聴いては、自分自身がそういった音楽を作ることを夢見た。そしてスピッツがいて、まだ言葉の意味を知らない自分の心を動かした。中学を卒業する時、やはり音楽から離れるのが嫌で、けれど大学に進学する術は無く、生意気な風で「高校卒業したらロッキングオンにでも就職しようと思います」なんて事を書いたが、高校に入学してロッキングオンに就職するのも困難だと知る。ずっとバンドがやりたいと願っていたが、仲間は見つからなかった。その代わり、まだ学校から上手く帰宅出来ない事に付け込んだ巧妙な手口で入部させられた演劇部で、偶然にも部活見学に来ていた小学校からの友人と芝居を作ることになった。同期の人間は私と友人だけで、先輩も四人しかいない弱小演劇部は大会でも大した結果を残せなかった。けれど案外楽しかった。友人とはベストバディだったと思う。役割としては私はほぼ全部、友人は音響といった感じだった。ある時、地区の演劇部が三校集まって合同公演を毎年やるのだが、他校の音響の先輩がダンスのシーンで使う音源を持ってきて欲しいと友人に言った。友人はいい音源が見つからず少し困っていた。私は話を聞いて、提案をしたのだった。

「音源、作るか」

そうして人生初の楽曲製作が始まった。私は全体を楽しみたかっただけだ。けれど友人も賛成して、一緒に楽しんでいた。パソコンのソフトを使って色々な楽器の音をミックスするそれは、単純なものではあったが、音楽を作ることを夢見た自分にとってはこの上ないくらいの喜びだった。提示されたイメージとしてはサンバの様な軽快な音楽だった。製作に使用した楽器は、フラメンコギター、アゴゴ、シタール、カウベル、カシシ、コンガ等だった。半分はもうふざけて作った様なこの楽曲は、結果、音響の先輩から高い評価を得た。本番でもこのカオスとも言える楽曲が流れ、役者達は懸命に踊った。会場は笑った。一分程の短い楽曲だったので、先輩からもっと続きが聴きたいと懇願されたそうだ。私と友人は大きな自信を手に入れ、後にラップを作る事になるのだった。
 二年経つ頃には部長になり、もう自分の世界を確立してしまっていた。最後の作品は映画好きの二人と恋する乙女、世界を代表するラッパーを夢見る少年の話だった。そこでも楽曲を作った。勿論ラップも書いた。その頃にはローランドのサンプラーも経費で導入されていたので、脅威は増すばかりだった。ラップにはシンセサイザーを新たに使用した。当時の私は何かに憑り依かれたかのように毎日パソコンに向かった。「浅倉大介を越える」などと言っていたので少し狂っていたのかもしれない。部員はラップを聴く度に大爆笑した。全部で三曲のラップを製作し、学校祭の公演で流した。それが部内での名作となり、ラップは神聖なる演劇部のアンセムとなった。作品に対してのアンケートにはラップのクオリティの向上など色々な意見があったが、部員が心を動かしてくれたのが何よりも嬉しかった。そして流石に私自身も就職に向けて切り替える必要があった。
 「文章表現」という授業があったのだが、最初、私は短編小説を書いたり、詩を書いたりする素晴らしい内容だと受け取った。けれど実際は小論文対策の授業だった。それなら名前は小論文対策で良かったのではないかと随分憤慨したのを覚えている。加えて担当として嫌いな先生が教室に入ってきたので、絶望した。授業は本当につまらなかった。夏休みの前、その授業で課題が発表された。読書感想文だった。心が踊ったのはその時だけだった。そんな事をするのもこれが最後だろうと思った。課題として提出された読書感想文は希望するコンクールに応募するらしく、色々なコンクールがあったが、一つだけ、校内で希望する者の中から五名選抜で応募するコンクールがあった。私が選択したのはそのコンクールだった。読書感想文の題材に選んだのは伊坂幸太郎の「フィッシュストーリー」だった。理由は色々あったが、音楽が本当に好きだったからだ。そしてその頃、Anyがツイッターをやっている事を知り、すぐにフォローすると、メンバーからもフォローバックしてくれた。Anyが宿り木をリリースした頃は、私は中学生だった。その頃にBUMP OF CHICKENの音楽に出会い、心を動かされ、やがてandropやplentyなどの音楽にも出会った。私にとってそれらは宝物であり、ロックの全盛期はその頃だったと、今でも思っている。Anyもまた、私の心を動かした。ツイッターでは工藤君が曲作りに悩んでいたり、曲作りへの思いを書いていた。Anyが作る音楽は、透き通る様に綺麗だ。oarの様に、歌詞の中には決して優しくは無い言葉もある。理不尽な現実を冷静に描いているのだろう。けれど、工藤君が歌う事で、勇気が生まれ、自分自身の思いが生まれる。それは読んでいたフィッシュストーリーの中の、バンドマン達の思いと同じだった。彼らと工藤君の状況や音楽スタイルは違うだろうが、同じ「届いて欲しい」という気持ちだったのだと思う。そして読書感想文を書きながら、私も同じ思いを持っていた。私は高校までの間に、音楽を作ることを夢見て、やがてスピッツの詞に憧れて詞を書き、それは変化して下手な戯曲を書き始めた。それを担任の国語の先生はキラキラした目で読んでくれた。村上春樹だって、鴻上尚史だって、古文も漢文も何十冊も読んできた先生が私に言った。

「お前の書く言葉はリズムがあって転がる様な、歌みたいだね。その言葉をいつかきっと誰かが必要とするから、書き続けなさい」

私は先生の前で何度も泣いた。恥ずかしい位に鼻水を垂らして号泣した。始まりは音楽だった。伝えたい事が沢山あった。それは文章になっても変わらなかった。それを受け取ってくれて、私が進もうとする姿勢をただ、頷いてくれた。元々分かっていただろう現実の中で、やはり大学に行きたいと願ってしまった。それを一緒に願ってくれた。結果は当然駄目だったが、無駄ではなかったのだ。
 売れないバンドマン達とAny、そして私は、伝えたい事があった。沢山あったが、伝えきれずに、或いは伝えられずに苦しんでいた。ツイッターでは工藤君が楽曲製作の中で思う事だったり悩んでいる事を書いていた。それでも良い曲が書けそうな気がすると意気込んでいた。部活を引退して就職活動をする中で、気持ちは暗かった。それでも諦めようとは思わなかったのはきっと、Anyの音楽があったからだ。そして、フィッシュストーリーの売れないバンドマン達、同じ気持ちで闘う工藤君の姿が勇気となった。私はきっと彼らのように文章を書いて人の心を動かしてみせると強く思えたのだ。
 書き終えた読書感想文は私とAnyと売れないバンドマン達を軸にした作品仕上がった。夏休み明けに提出した結果、選抜されてコンクールに応募される事になった。それは確かに校内で選抜した先生が良いと思ってくれたのだ。嬉しかった。コンクールには入賞しなかったが、書き続けようと決心した出来事でもあった。時間が経って、私は就職して直ぐに会社を辞め、バイトをしながら文章を書いて、演劇の勉強をしている。私にも心を動かしてくれた人が沢山いた。演劇部の後輩や友人は、いつも書き上がった作品を読んで笑ってくれた。新しい作品を待っていてくれた。今、後輩は就職して辛い社会を生きていて、私も毎日を辛さと間違いと闘いながら生きている。友人は勉強しながら理不尽な現実の中で耐えながら生きている。私は直ぐに会社を辞めて、バイトも辞めたりしている。これでいいという思いがが自分にはっきりとあるのだから、恐がる事は無いのだ。良い就職は無いのだろうが、今更期待はしていない。関西で色々な人と知り合った。素敵な心を持った人がいた。

「こんなのは間違ってるとか、こうであって欲しいとか、そういう正しさは自分の中にあった方が良いよね」

 Anyは名前を変えthe sea falls asleepになり、ドラムの武君は脱退した。素直に寂しかった。けれど、ホームページに書かれた彼の強い思いを読むと、きっとそれで良いのだと、背中を押す様な気持ちになった。現実の中で、音楽を作りたいと思いながら、人に伝えたいと思いながら、それが出来ずに悔しい思いをした彼は、それでも諦めずに今でも頑張っていた。そうした思いがフレデリックの正式メンバーに加入する事に繋がった筈だろう。そして工藤君も音楽を作り続けている。誰一人として、諦めてはいないのだ。そして私もまだ諦めてはいない。あの時書いた読書感想文は多分学校の先生とコンクールの審査員しか知らない。けれど、私はあの読書感想文でAnyだった彼らと、フィッシュストーリーのバイトマン達に向けて全力でエールを送ったのだ。きっといつか届くと信じた。そして今ここで、またエールを送ろう。

きっと届くさ、だから歌ってくれよ。
私は書くからさ。

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