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忘れる僕らと忘れない彼の詩

『忘れらんねえよ』の言葉について

【純粋】
 1・まじりけのないこと。異質なものをそれ自身に含まない事。
 2・邪念や私欲がなく清らかな事。
 辞書にはこう書いてある。

モノもコトもヒトも超高速に行き交い混ざり合う現代。
純粋と言う言葉には世間知らずとかウブとか、そういう意味も込められている。
純粋でいるには余りにリスキーな時代。
その時代にあって、純粋な生き方を選ぶ事は非常に困難を伴う。

【忘れらんねえよ】、と言うバンドがいる。

元はスリーピースバンドであったが、メンバーが一人抜け、二人抜け、
今はフロントマンの柴田隆浩一人で活動するバンドである。
一人での活動を果たしてバンドと言うのかどうかはさておき、
今年はバンド結成満十年記念として、一年にわたって様々な企画を展開している。

彼の描く歌詞の世界には、理想や希望は描かれない。
描かれるのはキラキラとした世界を
遠くから眺める事しか出来ない、
部外者としての徹底したリアリズムだ。

童貞を拗らせた過剰な思い込み、毎晩繰り返す抑え切れない妄想、
肥大化するロマンチズム、そして一層募る未練。
自縄自縛の檻で他人を妬み、嫉み、僻むどうしようもない自分への苛立ち。
そんな情けなさを抱えてそれでもなお続く人生への捻じれた愛しさ。
全ての歌の全ての情景にそう言ったドロッドロの感情が渦巻いている。

それは別に特別な感情ではない。
誰しも心の奥底に持っているはずの感情だ。

【忘れらんねえよ】はその感情に立ち向かう。
傷口にやすりをかけて塩を塗り込み続ける様な、
黒歴史を紐解いて、古傷をこじ開け続ける様な、
不毛とも言えるエネルギーを費やして内なるマグマに突っ込む。

多くの人はそんな事はしない。
自分の中のグチャグチャドロドロした所には蓋をして生きて行く。
見たいものだけ見るために、聴きたい事だけ聴く為に、
思い出とか、青春とか、若気の至りとか、耳馴染みの良いオブラートを重ねる。
そうしていつしか、どこかに突き刺さるはずの棘も、
何かを貫くはずの切先も、ぼんやりと丸くなる。

そうして、私たちは忘れる。
身をよじる程の熱い激情を忘れる。
眠れぬほどに心を駆り立てた衝動を忘れる。
それが大人になる事だという人もいるだろう。

しかし、【忘れらんねえよ】は折り合いをつけない。
全部ありのままさらけ出す。
激情も、衝動も、彼は何一つとして忘れない。
彼のライブを見れば、彼の言葉を聞けばすぐに分かる。

【忘れらんねえよ】の言葉は細い針の様な鋭さを持っている。
重い打撃や、刃の様な切れではなく、鎧の隙間に滑り込んで刺さる、
急所に刺されば致命傷になる、そういう類の言葉だ。

深夜の独りきりの部屋の情景を、
『エロサイトの深夜サーバーに負荷がかかって
 つながらんのは俺がひとりじゃないから、
 この世界のひとりぼっちの部屋はつながっている』
【忘れらんねえよ/中年かまってちゃん】
と歌う。

楽し気な男女の輪からあぶれたいたたまれなさを、
『あの娘は彼氏候補の男と グループでスノボに行った
 残された俺たちは つぼ八で飲みました』
【忘れらんねえよ/CからはじまるABC】
と歌う。

好きな人へのロマンチズムが抱えきれない程に膨張した様を
『君が彼氏と温泉旅行 行って貸切露天につかって
 愛してるとか言い合ってても嫌いにならない』
【忘れらんねえよ/俺よ届け】
と歌う。

誰かと結婚するあの娘に、せめて君の犬になりたいと願って、
『犬になって 犬になって 君の夢を聞きたいんだよ
 犬になって 犬になって 君の笑顔みたいんだよ
 犬になって 犬になって 君のそばで死にたいんだよ』
【忘れらんねえよ/犬にしてくれ】
と歌う。

その細い針の一撃が見る者の、聴く者の、心を覆うオブラートに小さな穴を穿つ。
その小さな穴からは心の奥底に仕舞い込んだあれやこれやがジワジワと沸き出て来る。
そして自分の奥底にあるマグマの存在を思い出させてくれる。

その言葉には、裸の心から生まれる鋭さが宿っている。
己の弱点を曝け出して、防御力ゼロでリスポーンの無い人生に挑む。
そんなのバランスの崩壊した無理ゲーだろう、普通に考えれば。

だから、忘れらんねえよは尖る。
防御力が無いのなら、ひたすら尖って攻撃力に特化する。
そういう覚悟が忘れらんねえよの言葉には宿っている。

『とんがれとんがれとんがれとんがれ
 とんがれとんがれとんがれとんがれ
 とんがってリア充に突き刺せ
 もう行きつくとこまで行くしかねえよとんがれ』
 【忘れらんねえよ/踊れひきこもり】

むき出しの心の前には、安っぽい共感や生ぬるい感傷なんか意味が無い。
蟷螂の斧であろうと、立ち向かう姿にこそ意味がある。
生き様を曝け出して、心震わせる事にだけ意味がある。

純粋である事が決して美点とは言えないような時代。
この時代の中で【忘れらんねえよ】の歌は常に純粋だ。
しかしそれは、穢れが無いとか清らかとか言う類の純粋さではない。
己の内面に渦巻くあらゆる感情に向き合い、目を背ける事無く表現する。
そういう類の、過剰で痛々しい純粋さだ。
醜さと残酷さを内包する凶暴な純粋さだ。

東京で開催されたツレ伝の一幕。
対バン相手としてツレに指名されたのは、キュウソネコカミ。
ヤマサキセイヤは忘れらんねえよに向かって、
「バンドでいる限り、ずっとライバルだ!」と叫んでいた。
「強敵と書いて友」と読ませる、かつての少年漫画の様な青臭くも熱い、純粋な叫びだ。

そして柴田の傍らでベースを掻き鳴らしていたのはヒトリエのイガラシ。
つい先日、バンドのフロントマンであるwowakaの急逝によって
全国ツアーが中止された直後であったが、彼は音を鳴らす事を選んでくれた。
どれ程の心痛を抱えているのか想像も及ばない。
それでもひたすらベースを掻き鳴らす姿には紛れも無い純粋な覚悟が宿っていた。

純粋な叫びが、純粋な覚悟が、純粋な言葉がぶつかり合い、絡まりあう。
その衝突と融合はやがて振動となって見る者の聴く者の魂を揺さぶる。

ライブの最後の曲。
スマホの光をサイリウムに見立てて、観客が一斉に左右に揺らす。
ライブハウスの照明は消されて、光は観客達の手の中だけにある。
皆が一斉に歌う。バンドも演奏を止めて、ただ歌声だけが響く。

『忘れらんねえよ ベイベー
 忘れらんねえよ ヘイヘイ
 からっぽの頭から生まれてくる音楽』
【忘れらんねえよ/忘れらんねえよ】

この瞬間、全ての観客が紛れも無く光り輝いていた。
誰の手の中にも光がある、そんな夢のような事を純粋に信じられる瞬間が確かにあった。
そんな奇跡の様な景色のなかにあって、感じたのはただ一つ。

この生き様を、ロックと言わずして何と言う。

こんな奇跡を起こせる奴を何と呼ぶ?
無様さも、惨めさも、汚さも、弱さも、痛みも、孤独も
あらゆる自分を曝け出して人の心を真っ向から揺さぶる者。

私は思う、それこそ紛れも無い、純粋なロックスターだと。

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