2250 件掲載中 月間賞発表 毎月10日
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

Kraftwerkライブで故郷いわきを想い、涙をこらえるとは

父の味の鰹を僕は食べることができるだろうか?次回のNO NUKESで、音楽に聴き入り故郷を思いたい

私は、東京に上京した期間が圧倒的に長くなってしまったが、出身は東北、福島県の南端のいわき市、実家は映画にもなった有名な温泉リゾート地の近くである。
中学生のときラジオで耳にして40年近くファンであり、いつか行ってみたいと思っていた Kraftwerkのライブに行ってきた。念願が叶った。​
Kraftwerkを初めて聴いたとき、その不思議なサウンドに魅了された。プログレ少年だった私は、聴いたことのない斬新なサウンドと『Autobahn』の曲の長さからプログレとして聴いてしまったことは今となっては笑える。ロック初心者であったのだから仕方がない。
プログレでロックにのめり込んだファンは、超絶プレイを披露するバンドメンバーの名前、アルバム名など完璧に言えるもので、私もその1人、プログレ者である。それは、私が音楽を聴きはじめたときからの習慣で、聴き込んだあらゆるジャンル、バンドは、ほぼそういう情報を暗記している。​
そんな私であるが、考えてみたら、Kraftwerkだけは、メンバー名、アルバム名、発表順など全く知らない。Kraftwerkとはそういうバンドであると思う。それでもKraftwerkは、時折、無性に聴きたくなるバンドであり続け、エレクトリックサウンドの音楽の私自身の永遠のクライテリアであることは間違いない。​
私にとってのロックレジェンドの偉大なるバンドの1つである。​

しかし、年明け早々、Kraftwerkのコンサートに行けないかもしれないと考えざるを得ない出来事があった。人間ドックで、心臓の異常を指摘されたのだ。全く自覚症状はないので、嘘だろうと思いながら検査を受診。
​結果はいつ心筋梗塞を起こしてもおかしくない狭心症で、実際、気がつかない程度の心筋梗塞は起こしているとのことだった。検査の写真は、素人でもわかるほどの異常を示していた。考えてみれば、続けていたジョギングの習慣が​一昨年の冬からなくなった、というより出来なくなっていた。ジョギングをすると息苦しさを感じて走れない。原因はわからなかったが、なかなか改善せず、タバコの吸いすぎと年齢だろうと思ってやめてしまっていた。振り返ればその頃から異常ははじまっていたのであろう。
結果、3度の心臓カテーテル手術を受けた。医者は、今、手術を受ければ問題ないと私に病状を伝えた。妻には諸々手続きがあるから事実を伝えたが、娘と年老いた母には話さなかった。短期間の入院を繰り返すので、出張ということにしていた。万が一もあるので、心配をかけたくなかったので術後に報告することにした​​
2人には、そのことで、後にこっぴどく叱られてしまった。​それは逆の立場だったら私でも怒るので、もっともなことだ。本当のところは私自身が死を心のどこかで覚悟していたから言えなかったのだ。
無事に手術は成功し、医学の進歩に感謝した。が、さすがに、ステントをいう異物を入れる治療。考えてた以上に、違和感が長引いた。個人差があるそうだが、現在も体調は優れないこともあり、関係ないと思っていた不調の原因は後遺症であったりする。現在は蕁麻疹に苦しんでいる。手術の影響で免疫力が低下している可能性が大きいそうだ。健康には気をつけているが、「長生きはできないなぁ」と気が付いたら考えていたりするようになった。​
術後の当面の目標は、Kraftwerkのコンサートに、病床からではなく仕事に復帰し、堂々と行くことだった。40年近く聴いている長年のファンである。メンバーの年齢を考えるとこれが最後のチャンスかもしれない。昨今、ライブに行くときのモチベーションの1つが、「これが最後かも」という思いにあるのは間違いない​。​
そして無事にコンサートに行ける状態までは回復した。​

偉大なるエレクトリックミュージックのオリジネーター、Kraftwerkのリズム、グルーヴは、普遍的で圧倒的だ。今回のライブでより確信は強まった。

Afrika BambaataaがKraftwerkの強靭なグルーヴを発見し、現在のヒップホップサウンドの原型を作り上げた『Planet Rock』でそのリズムをサンプリングした『Numbers』で開演したステージは、3Dの迫力ある映像、現在のサウンドにアップグレードしたアレンジ、より強靭になったリズム、そして、圧倒的に音が良い。今までにない体験である。
画面に1、2、3、4と投影される。この単純でユーモアのある歌詞、映像、無機質なボーカル。​
何より、このKraftwerkの作り上げた偉大なる強靭なグルーヴ。これこそ Kraftwerkだと押し寄せる音の洪水に感動した​
続いて『Computer World』で歌詞が『Numbers』と同じく投影されるのだが、今まで全く興味のなかった Kraftwerkの歌詞が現代に通じることに気が付く​
名盤『Computer World』は1981年に発表されたコンセプトアルバムである。PCも普及していない時代(彼らもPCを持っていなかったという)、勿論インターネットは影も形もない時代に彼らは約40年後の世界を予言していたのかとその先見性に驚く。

ライブを観るまでKraftwerkの歌詞には、正直、全く興味はなかった。​

『Autobahn』(アルバム『Autobahn』)
fahr’n fahr’n fahr’n auf der Autobahn

である。
David Bowieがアメリカからヨーロッパへ戻り、名盤ベルリン3部作を作るきっかけの1つであったのがKraftwerkの先進的なエレクトリックサウンドとヨーロッパ的なメロディである。
そんな先進的なサウンドに牧歌的、ユーモアを感じる歌詞がのるのがKraftwerkらしい音であり、あくまで音楽主義的なバンドと考えていた。
Kraftwerkの歌詞にはKing Crimson の『Epitaph』のような苦悩、文学性、思想のかけらもない。
今回は演奏しなかったが代表作のアルバム『The Man-Machine』 のオープニングナンバー『The Robots』 ​

The Robots​​(アルバム『The Man-Machine』)
We’re charging our battery
And now we’re full of energy
We are the robots
We are the robots
We are the robots
We are the robots

大昔のSF小説のようなノスタルジックな感覚さえある。​
このノスタルジックな歌詞は、バンドイメージを作り上げるための戦略的に作り上げたものであり、最先端のエレクトリックサウンドに牧歌的なメロディ、そこにユーモアを感じさせるノスタルジックな歌詞を歌っているのだと思っていた(実際そういうイメージ戦略はあると思う)
しかし、このライブ後、『The Robots』は、鉄腕アトムの青騎士、プルートゥなどのロボットと人間の共存をテーマ(手塚治虫は偉大だ)にし、更に、現代に生きる私たち人間が歯車のように機能する社会システムを皮肉ったテーマを予言したような歌詞であるのではないかと考えるようになっている。Kraftwerkのその歌詞に込められたメッセージの深淵さに驚いている。​
数曲目に演奏された『Computer Love』では、現在のネット社会での恋愛を予言しているようだ。​
この後も彼らの強力なリズム、グルーヴに圧倒されながら、新たな発見である彼らのユーモアを感じさせながらも強力なメッセージ性がある歌詞に聴き入り、歌詞と連動した3D映像にも引き込まれた。​

『Autobahn』の演奏で会場の興奮が最高潮に達し始めた次曲、その日の私の運命の1曲が演奏された。フェバリットアルバムの1枚名盤『Radio-Activity』のオープニングを飾る名曲『Geiger Counter』、『Radioactivity』 。​
オリジナルVerは、Kraftwerkがその強靭なグルーヴを確立する前の過渡期のサウンドであり、ヨーロッパ的な旋律が印象的で、ビートはそれほど強靭ではない。タイトルに反して、危機感をあまり感じない。鳴り響くモールス信号は、モールス信号にしか聴こえない。

『Radioactivity』(アルバム『Radio-Activity』オリジナルヴァージョン) 
Radioactivity
Radioactivity
Is in the air for you and me
Radioactivity
Discovered by Madame Curie
Radioactivity
Tune in to the melody

Radio-Aktivität
Für dich und mich in All entsteht
Radio-Aktivität
Strahlt Wellen zum Empfangsgerät
Radio Aktivität
Wenn’s um unsere Zukunft geht

1991年の『THE MIX』での再録音で、はっきりKraftwerkの政治的、危機感を露にした歌詞とサウンドにアップグレードしている。
それは、歌詞にSTOPと一言加えたことで明らかだ。

『Radioactivity』(アルバム『THE MIX』)
STOP Radioactivity

サウンドは、より性急で強靭なビートに進化し、モールス信号は緊急事態の発生を連想させ、危機がせまっていることを感じさせる。
Kraftwerkの動向を追いかけてきたわけではないので、『Radioactivity』の昨今のライブは全く知らなかった。
その歌詞、サウンドは衝撃的であった。知らないのは私だけで、同世代の多くの観客はKraftwerkが日本で『Radioactivity』を演奏する意味を知っていたのだと思う。

前半はゆったりしたリズムで歌詞を強調したアレンジではじまり。後半は、『THE MIX』のビートをより強靭に性急にしたサウンド。

そのオープニングのあまりにも直接的なメッセージに、私は故郷、福島県、父母、家族のことを想い、涙を堪えていた。
そのパフォーマンスはYouTubeで観ることができるので、是非、皆さんに観てもらいたい。日本語の歌詞は坂本龍一さんが監修しているそうだ

繰り返しになるが、私は、東京に上京した期間が圧倒的に長くなってしまったが、出身は東北、福島県の南端のいわき市、映画にもなった有名な温泉リゾート地の近くである。​​
母は健在だが衰えは隠せない​​
スポーツマンであるとはお世辞にも言えないが、実家に帰ると私の体力でちょうど良いジョギングコースが2つあり、私が30歳の時に急逝した父の墓参りのコースか、そのリゾート施設へのコースを往復する。距離はほぼ同じだ。リゾート施設をジョギングコースに加えたのは2011年の夏からである。​​

福島を出てしまったことを大きく後悔したことが2度ある​。1度目は疎遠になっていた父親が急逝したとき。30歳、結婚した年だった。​

急逝直前の父の様子を母に聞くと、妻といつか生まれるであろう私の子供のためにと実家を新築した父は、その後、何度か体調を崩すことがあり入退院をしたが、私たち夫婦が新築の家に来ることが何よりの楽しみで、心配させないよう体調を崩したことは決して話さないように固く口留めしていたそうだ。​
父自身は、体調は崩したが、まさか自分に死が訪れることは全く考えていなかったようだ。​​
父が新築した家と父が眠る寺院は私にとって大切な場所になり、故郷を私は意識するようになった。​
港が近いので、子供のころ、魚好きの父は魚、夏は鰹ばかり買ってきた。魚は嫌いだった。母に肉が食べたいと言ったものだ。子供のころの思い出の味は、母親の手作りのハンバーグだったが、父の急逝で、故郷の魚のおいしさに気が付き、私はそこでしか味わえない故郷ならではの贅沢な食事をさせてくれていた父に感謝した。夏の鰹は絶品だ。足の速い鰹であるが、港に水揚げされる鰹は東京のスーパーに売っているものとは別物。父の急逝後は、お盆で帰ると鰹ばかり食するようになった​

2度目は、3.11後である。前後の鮮明な記憶はないのだが、TVに映される信じがたい映像と福島の実家の母、家が無事であることを確認したこと、そして交通が遮断したので、10キロの道を歩き、当時小学生だった娘を小学校に迎えに行き、家に戻り、愛犬が無事であることを確認し娘とほっとしたのがあの日の記憶だ。​必死だった。

実家の家屋は被害をほとんど受けなかったが、インフラがやられ、5日目に母と兄弟​​が避難してきた。避難が遅れた原因は、ガソリンが給油できなかったからだ。​​真夜中に東京に到着した家族は、眠るか、食べるかと問いかけた私に風呂に入れてほしいといった。​​​5日間、風呂に入っていないという。
予想外の言葉に、気持ちが締め付けられる思いだった。​​​
その日は、原発事故の重大性が徐々に明らかになってきた日でもあった。​
​​​
原発は、私が小学生のときは、遠足や社会見学の場であった。何度も行ったことがある。これからの日本の電力を支え、絶対に安心と説明された小学生の私は原発は必要であり、そういう施設が家の近くにあるということを誇らしげにさえ思っていた。原爆は恐ろしいものであるが、原発は安全。チェルノブイリ、スリーマイル島のことは、日本には関係ないことだとその後も信じていた。​
そんな原発の建設が進む中で育った私は、3.11後の事故も安全な日本という国だから、正直いうと短期間で収束するものだと思っていた。全く無知にもほどがある恥ずかしい話だ。が、家族が避難した頃から、そんな私も徐々に危機感で胸騒ぎがした。​​​
​​実家は、ギリギリの線引きで避難区域にはならなかった。インフラが回復して家族は家に戻った​​。​
兄弟はリストラという厳しい現実が待っていたが、私の実家は、家屋の被害が最小限だったので、平穏を取り戻しつつあり、その年の夏には実家にいつものようにお盆に帰省した。この事故の本当の被害に実感が湧いたのは、そのときである。​

実家のすぐ近くに私が遊んだ広場があるが、子供の姿は少ないし、真夏でも長袖である。​母と近くのスーパーに行き、買い物をしたが、福島の食が危惧されていた時期である。さすがに福島産の食材はなく、楽しみにしていた地元の港で水揚げされた鰹、その他の魚もは皆無である。​
当たり前の日常が、大きく影響を受けていることを痛感した。そして、家の近くに建設されだした仮設住宅が原発避難を余儀なくされた皆さんの住宅であることを知り、この事故の大変さを痛感した。それを目の当たりにしたときに事の大きさに気が付く。私はその頃大きく体調を崩していたので、地元に貢献できる状態ではなかったが、地元の海岸沿いをクルマで走り、その被害も衝撃的だった。自分の意識の低さを情けなく思った​
いつものように地元でマッサージに行くと、施術してくれる方は、原発事故で避難された方だと話していた。​​現実は想像以上に過酷だった

あれから、8年以上の月日が流れた。
避難地域が解除され、避難地域にはならなかった私の実家は、日常を取り戻している。毎年、父の墓参りに行くたびに、母と買い物に行くが、そこには、私が食べたい地元の鰹はない。

グルーヴを堪能しにいった Kraftwerkのライブで、歌詞のメッセージ性に気づき、そして、私は『Radioactivity』で、涙をこらえ、私が、私の故郷に住む人たちにとって、3.11は終わっていないことが現実であることを再度認識した。私にとっても終わっていないし、私が生きている間に終わりはないだろう

今年は、自分の死を意識して年が明けた。心臓の手術を隠していたこともあり、母、そして父への報告の意味で、ライブから約1ケ月後のゴールデンウィークの10連休を利用して短期間帰省した。母はここ数年、めっきり衰えた。正月に帰省したときは、長くはないと思うと私に囁いた。母に心臓の手術で心配をかけたことを詫び、今は大丈夫だと虚勢を張った。
普段は何も言わない母が、子供に心配をかけるのではないと強い口調で言った。
黙って頷くしかなかった。
そして、帰省したときと同じように買い物に行った。鰹をいつものように食べたのだが、それはやはり地元のものではない。母に聞いたが、少しは他の魚は水揚げもされるようだが、店頭でみかけたことはないという。

帰る場所を失った人たちに比較して、私はまだ帰る場所がある
が、私の最も食べたい地元の鰹はない。
母は、あの鰹、魚を食べることはもうできないだろう。
私は、食べることができるのだろうか?

高度成長、バブル世代の私は右肩上がりを信じ、世界のこと、政治的なことは深く考えたことがないノンポリの普通のオジサンである。その上、自分の故郷もすでに、日常を取り戻したと考えてしまうような浅はかなオジサンである。今後も声を上げることもないだろう。
鰹が食べられないこともいつのまにか日常のようになってしまっていた。坂本龍一さんがオーガナイズするNO NUKESも知らなかった。今年NO NUKESが開催された豊洲PITを作ったチームスマイルの代表理事である ぴあ株式会社の代表取締役社長の矢内廣さんは、同郷で、高校も大学も先輩だ。豊洲PITは、家から歩いていける距離にある。
心臓の手術をした主治医には適度な運動を進められている。そろそろウォーキングから始めよう。東京オリンピックの選手村方面がジョギングコースだったが、豊洲PIT方面にコースを変えよう。

次回のNO NUKESには私は行く。会場の後方で声を上げることはないだろうが、私は父が食べさせてくれた鰹の味を思い出していることだろう。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい