2106 件掲載中 月間賞発表 毎月10日
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

希望をめぐる闘い

結城綾香『instant hope』について

 高校生の頃から活動しているシンガー/ソングライター結城綾香さんによる、2018年3月発表の最初のシングルです。
 これまでの結城綾香さんは、military for youとボカロを除けばライブも音源もアコギによる弾き語りです。しかしこのCD『instant hope』では、1曲目『ビニール傘』、2曲目『狛江通り』がバンドでの演奏になっています。とは言ってもmilitary for youとは違うタイプのアレンジと演奏です。結城さんの曲を3ピースで演奏するmilitary for youは、私の印象としては「ピクシーズの曲をやるソニック・ユースをスティーヴ・アルビニがエンジニアリングしているなと思ったら案の定シェラックだった」みたいな音でしたが、今回のCDのバンドの音はそうではありません。
 結城さんの曲の中でも最もインパクトが強いものの一つであろう『ビニール傘』も、新たな歌詞(正確に言うと「この時点での最新の歌詞」)とフェイザーまみれのギター、そしてこの録音によって、別のものに生まれ変わっています。結城さんの歌もアコギもこれまでにないくらいにきれいに聞こえるのですが、これも録音とミックスの威力でしょうか。もちろんライブのような「よし全員壁に手をついて並べ」的な演奏で録音するわけにはいかないでしょうけれど。とにかく声がすごく美しい。
 『狛江通り』は幾分ストレートなアレンジで、これまでになかったリズムが発生しています。しかしドラ内山さんのそもそもが異様なベースプレイが、ただでさえ特異な結城さんの音楽に輪をかけた異化効果を産み出しています。
 今まで、何度か「弾き語りの人が弾き語り曲をバンドで演奏した音」というのを聴いたことがあるのですが、正直あまり良いと思ったものはありませんでした。でも結城さんのこの2曲は、やはりmilitary for youがあるからかどうか、変な違和感はありません。
 
 しかし今作の白眉は、唯一の弾き語りで録音されている『yes or no』。このなめらかなメロディー、心の縁に触れようか触れまいか迷っているようなこの歌詞。この曲の歌詞は、結城さんの中でも最も優れたものの一つだと思います。
 更にそれ以上に耳をとらえるのはこの敏感なストロークと一弦の音色、そしてこれまでに聴いた覚えのないような、あまりに美しい結城さんの声。この声は知らない。この声は聴いたことがない。少なくとも今までのCD-Rとはまるで違う、まるで別もの。頭と胸を同時に万力で思い切り締め付けられる感覚。
 結城さんが常に口にするsyrup 16gやASIAN KUNG-FU GENERATIONで知られるトリプルタイムスタジオ岩田純也さんの録音/ミックス技術により、本来ならば「最もシンプルな」となるべき弾き語りが、ついにこれほどに美しく、悲しく、強く、広大で、開かれており、しかし同時に内部へ果てしなく潜航していくという、耳を疑うレベルのとんでもない曲になっています。これは今までに耳にしたことのない種類の音です。バンドの音よりもなぜこちらの方が強靭なのでしょうか。なぜこんな演奏と歌ができるのでしょう。このトラックについては曲と歌詞だけではない、この音そのもの、この「演奏と歌」が、極めて突出しているように思います。
 この曲も、何度もライブで聴いてきました。しかしそれのどれとも違う、なんなら今まで聴いていた結城さんの歌のどれともまったく違うこの歌声、このギターの音。となると、結城さんの新しい音を聴く時に必ず思う言葉がまた出てきます。「何なんだこれは?」
 以前にも書いた2016.7.3のCD-Rの音がすさまじくって、CD-Rの音源でこんなのは聴いたことがなくて本当に衝撃で、いったい何をどうすればこうなるんだと思っていたらそれもトリプルスタジオ岩田さんの手によるものでした。その技術と、結城さんの歌声、演奏、そして曲そのものとこの歌詞。それが完全な形で集結すると、ここまでのものができるんですね。その現時点での結晶がこの『yes or no』ではないでしょうか。完璧です。

 そもそもシロップ、あるいはアジカン、私はそういう音楽を一切経由せずに長年音楽を聴いて来ました。だから彼らを参照して結城さんについて何かを書く能力はまったくないのです。しかしそういう自分に結城さんの音楽の針がこれだけ奥深くに刺さり、返しが引っかかってまだ抜けないままであること自体がまず驚くべきことであり、それはこれまで聴いて来た音楽の経路を考えれば、ほとんど奇跡的な遭遇であったとすら言えるかもしれません。
 とは言え、これもまたいつかの繰り返しになりますが、それは「おすすめですよ」「ぜひ聴いてくださいね」という意味ではありません。「ありません」って言い切るのもなんだかなという気はしますが、安易にそう言えるほど生易しい音楽ではないことは確かです。ただ、私の知らない音楽を知っているけれど結城さんをまだ知らない人たちの耳にも、結城さんの音が届くことを祈るのみでです。
 先述のようなバンドを知らない自分にとって結城さんの音楽を彷彿とさせるバンドがいるとすればそれはただ一つ、ハスカー・ドゥです。むしろ「それなら知ってる」という方には、結城さんを聴いてもらいたいように思います。どう思うのかが知りたい。

 最近ようやく気付いた気がするのですが、たぶん結城さんとその音楽は、私にとって完璧な理想だったのだと思います。これが理想そのもの、結城綾香が理想の体現、この音楽が理想の可聴化結果。やわい音楽ではありません。これは聴く者の心を破壊します。しかし同時にその破片を包み込むのです。それを想像すると、フィリップ・K.ディック『聖なる侵入』のラストシーン──かつてベリアルと呼ばれた、砕かれた光の断片──あのあまりに美しい光景を思い出します。結城さんの音楽をこれから聴く人たちは、このCDで初めて結城さんと出会う人たちは、恐らくこれまで音楽からは得たことのない、名状し難い感覚を知ることになるでしょう。私はこれを聴くために、結城さんに出会うために、これまでの時間を過ごしてきたのです。とは、なんとも大袈裟な言い回しですが、そう断言しても特段差し支えはないように思います。ただし言い過ぎです。

 このギターを、この歌声を(もう一度書くが「この歌声を」)聴くと、また同じように「これが理想だったのか」と思います。その繰り返しです。なかなか「自分はこういうのが理想です」というのは言葉で説明できないものですが、これからはこう言えますね、「結城綾香さんのこの音が、私の理想です」と。

 いま結城さんのライブ物販テーブルにはこのCDが置かれていると思います。そこには3つの小さな希望がきらきらしながら収められています。これもまた、『聖なる侵入』の「光の断片」を思い起こさせます。しかしシングルタイトルであるにも関わらずこのCDには収録されていない曲、『instant hope』。個人的にはこれが現時点での結城さんの最高の作品であり、すなわち理想の中での理想形なのです。それが手に取れる形で世に出た時、結城さんは音楽と言葉を支配し、命を支配し、自分を支配するでしょう。その時までは、切り抜けて行かねばなりません。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい