1935 件掲載中 月間賞発表 毎月10日
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

遠藤ミチロウ、パンクのすべてをやり尽くした革命家

ザ・スターリンは日本のパンクのスタート地点を作ったのか?

遠藤ミチロウが4月25日、膵臓がんのため亡くなっていた。享年68歳。
逝去から数日遅れ、改元の日の浮かれた空気のさなかに訃報が届いた。
日本のパンクのゴッドファーザー、パイオニア、レジェンド、カリスマ。
遠藤ミチロウはそんなふうに形容される。
日本でパンクのスタート地点を作ったのが遠藤ミチロウだったという見方がそこから読み取れるが、それは本当だろうか?

遠藤ミチロウは80年代の初頭にザ・スターリンでの活動を開始した。
ザ・スターリンの音とステージパフォーマンスは、70年代から80年代にかけてイギリスやアメリカで作られたパンクのフォーマットがそのまま使われた。
遠藤の上半身裸(時に全裸)で過激なステージパフォーマンスを披露する姿はイギー・ポップ、国や社会に対する批評的、挑戦的なメッセージを歌うスタンスはセックス・ピストルズ、シンプルかつラウドな音はザ・ダムドやラモーンズを基にしていた。
遠藤はそれらをうまくトレースし、80年代の気分や状況に合わせてアップデートさせた。
このアップデートの仕方が独創的だった。

生ゴミや豚の頭、臓物、汚穢を客席にぶちまけ、拡声器を片手にサイレンを鳴らして暴れまわり絶叫する。
80年代の遠藤はやりすぎ、盛り込みすぎともいえるほど過激なパフォーマンスを行い、それによってザ・スターリンのステージは神格化した。
石井聰亙(現・石井岳龍)監督の映画「爆裂都市」ではその姿が確認できる。中盤に劇中バンド「マッド・スターリン」のボーカリストとして登場する遠藤は、警官に豚の頭を投げつけたあと爆死する。
まさにスターリン=世紀の悪役を体現していた。

ステージパフォーマンスだけではない。
パンクのフォーマットそのままに作られた音には、吉本隆明、ねじめ正一らの影響を感じさせる歌詞が乗せられた。
過激なパフォーマンスにポリティカルでエログロな歌詞が融合した世界観にも、オリジナリティが満ちあふれていた。

ステージでの遠藤の派手なふるまいはメディアで取り上げられ、遠藤は女性週刊誌に「変態ロック」のレッテルを貼られた。

典型と独創を巧みに混ぜ合わせて躍進したザ・スターリンが強烈な印象を残したことで日本のパンクのイメージ、スタイルは確立されたが、それは同時にパンクとはこういうものだとイメージが固定されることを意味していた。

おかげでザ・スターリンのあとに続くパンクバンドは、ステージ上で何をやってもパンクのイメージ通りのことをやっているとされ、新鮮味がないと見られるはめになった。
スターリン以上に過激なことをするにはユンボでライブハウスの壁を破壊しながら登場するといった音楽から切り離されたパフォーマンスをするしかなくなってしまった。

たしかに遠藤は日本のパンクのスタート地点を作ったのかもしれない。
ただ、そのあとに続く道を残すことはなかった。
遠藤はパンクにできることをすべてやり尽くしてしまった。

遠藤は、「作る」とか「生み出す」という意識で活動をしていなかったのではないか。
革命を起こす。
ぶち壊す。
そうした思いを持ってシーンに現れたように思われる。
先述の「爆裂都市」の宣伝文句は「これは暴動の映画ではない 映画の暴動である」だったが、ザ・スターリンはパンクの暴動だったといってもいいのではないか。
すべて破壊し尽くして、あとに何も残さない。

「俺は天国の扉を叩き壊す」と歌った遠藤は、パンクの扉を叩き壊し、パンクそのものを破壊した。

いま空を見上げて耳を澄ましたら、扉を殴りつける音が聞こえてきそうだ。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい