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BUMP OF CHICKEN『話がしたいよ』を聴いて

物理的な距離と心からの距離

 『話がしたいよ』を聴いて最初に思い出したのは、物理的に近い距離にいる人よりも、心の中で思った人の方を近くに感じる時の感覚だ。
 私は日常の中に、そういう瞬間が結構ある。駅のホームや街中など、人の多い所では特に。
 たぶん、自分の心からの距離がポイントなのだと思う。心の中で思う人というのは、文字通り自分の心の中や、心の近くにいる。
 物理的にはそばにいなくても、心の中で誰かを思うことで、心が温められたり、少し軽くなったり、支えられたりしたことが、今までも今もたくさんある。

 冬になると“ミカン好きなあの子は今年もいっぱい食べているのかな”と思う。夜に玄関先へ出て、空を見ながら“BUMPのメンバーは今日もレコーディングだったのかな”と思ったりもする。
 脈絡なくポン、と思うのだ。そういう時、その人の存在は確かに私の中にいるんだな、と思う。その時の感覚を思い出す。
  
 

ただ、そう思う時、疑問の答え(ミカンを食べているかなど)をどうしても知りたいかというと、そうではない気がする。本当に、ただ思うのだ。思ってしまう、に近いかもしれない。
 私は心の中にいる人と物理的に離れている時でも、“その人が今日もどこかで生きている”という事実だけで、割と十分な気持ちになれるのだ。安堵できる。相手の今の気持ちや、様子がわからなくても。
 でも、この曲の主人公は「君」の様子を切実に知りたがっていて、聴いていると私まで切なくなってくる。

 主人公の切なさに触れていたら、出て来た気持ちがある。
 離れている誰かのことを心の中で思った後、時々思うのだ。“今、こう思ったことを知っているのは私だけなんだな”と。
 今、私が相手を思ったということや、その内容を相手に知って欲しいとか、伝えたいとか、相手がそれを知らないのが寂しい、という気持ちではない。
 “この気持ちは私の中で起こって、相手に伝えるわけでもなく、消えていくんだな”みたいな気持ちだ。
 例えるなら宇宙を目の前にしているような感覚だ。圧倒的に大きな宇宙が私の前にあって、その中へ、相手を思った気持ちが消えていく。
 その時、私は静かな気持ちと、かすかな切なさを感じる。
 
 
 
そしてこの曲を聴いていると、まるで主人公に、私と話がしたい、と言われているような気持ちになる。
そう思った時に気付いた。
 私には、自分が誰かの心の中に存在しているという感覚がほとんどない。自分の心の中に誰かが存在しているという感覚は、はっきりあるのに。

【ねぇ一体どんな言葉に僕ら出会っていたんだろう】
 ここの歌詞の「僕ら」は、「僕」の心の中にいる「君」と、「君」の心の中にいる「僕」のことではないかと思った。
 離れている時、相手が、相手の心の中にいる自分に話しかけたり、思ってくれていたとしても、自分にはわからない。だから「ねぇ」と相手に訊いているのではないか。
 そう思ったら、もしかして私も誰かの心の中に存在していて、思ってもらったり、話しかけてもらっていたこともあったのかもしれない、と少し思った。
 その人の心の中に存在する私は、私の知らない時に、いつ、どんな「言葉」をもらっていたのだろう。 “それを知りたいのに、知りようがないんだな”と思う時の気持ちは、じんわりした切なさだった。胸が小さく震えるような。
 
 

 物理的には離れていても、心の中に存在する人のことは近くに感じる、と最初に書いた。
でもやっぱり、物理的には一緒にいないのだ、ということを感じてしまう時もある。

【ああ 君がここにいたら 君がここにいたら
話がしたいよ】
ここの「君がいたら」を聴くと、“君がここにいて欲しい”という思いを強く感じる。同時に、“それなのに君は今ここにいない”という事実も、同じ強さで感じるのだ。くり返されることで、余計に。そもそも「君がここにいたら」という言葉は、「君」がそばにいたら出てこない。
【肌を撫でた今の風が 底の抜けた空が
あの日と似ているのに】
ここもそうだ。「君」と一緒にいた「あの日」と同じ要素が複数あるから、余計に“それなのに君は今ここにいない”という事実を強く感じてしまう。

そしてこの二カ所を経て、二番の後に、メンバー全員で歌うコーラスの部分がある。
この曲の中で一番印象的だった所だ。とても心に響く。
聴いていると、温かいものに周りを囲まれているような感覚になる。もしくは両側から肩を組まれているみたいな。
その温かさを心の近くと体の近く、両方で感じる。その時私は、うれしいよりも、どうしようもない気持ちになる。
周りを囲んでくれているのはきっと、この曲やメンバーなのだろう。
“この声はチャマさんだ。この声は増川さんで…”と、一人一人の声に気づいて、さらに心がぎゅっとなる。BUMPの曲やラジオを聴き続けていなかったら、知らなかったはずの声。
何だかこのコーラスに、“物理的には離れているけど、俺ら曲でそばにいるからね”と言われているような気になるのだ。
 
 

曲の最後は、待っていたバスがやって来て、主人公が「君」を思い出すガムを口から出す場面で終わる。
この後主人公はバスに乗るのだろう。「君」がそばにいない日常へ戻って行く。
その場面にある、「大丈夫 分かっている」という歌詞。
 これは、“君に今すぐに会えなくても、また会える時まで、日常を放り出さずにやっていくからね。大丈夫だよ”という意味に思えた。
 そう解釈したということは、私の中にそういう気持ちがあるのだと思う。
私の心の中にいてくれている人達にまた会える時まで、日常をつないで行きたい。その気持ちを最後に確認して、私は『話がしたいよ』を聴き終える。

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