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「HELP」が届く世界

flumpool 9th tour 2019 「⌘⇧Z」に寄せて

私は今、泣いている。
止まることなく溢れる涙は頬を滑らかに滑り落ち、雫となってflumpoolのTシャツを濡らしていく。
時計は深夜1時前を示していた。

福井から帰ってきた私は、家族が寝静まってシーンとしたダイニングで、ひとり腰を下ろしていた。疲労感が襲ってくる。さっさと床につけばいいものの、電池が切れたおもちゃのように微動だにせず、ただ呆然としていた。
一度着地したお尻は錘のように動かない。一点だけを見つめ、2日間の出来事を頭の中で反芻していた。時々思い出し笑いを、というより、にやつくと言うほうが正しい。無意識のうちに頬が緩む。取るもの手につかずとはこのことを言うのだろう。
思い出すだけ思い出し、にやつくだけにやついたあと、一体私は何をしているんだと素面に戻る。ところがなかなか動く気にはならない。
ひとつため息をついて、スマートフォンに目を落とした。2日間で撮った写真を見返す。どれもこれも、幸せそうな顔をしている自分と友人の姿がそこにはあった。幸せだったなあと、再び頬が緩みそうになる。
写真を一通り見て満足したのち、意味もなくInstagramを開いた。
スマートフォンというものに取りつかれると、意味もなく、意識もせず、何度もSNSを開いてしまう。ほんとうに意味もなく。そうして、ただぼんやりと眺めるくせに、一つの言葉や画像に一喜一憂するのだ。
話が逸れた。私はこんなことを考えたかったわけじゃない。
画面を見つめる乾涸びた目を元に戻して、flumpoolの公式アカウントを見る。ストーリーがアップされている。前回の『Re:image』ツアーから続いている、公演終了後にInstagramでライブ配信をするというものだ。
どうやら今回の福井公演は、通信状況の不調により、音声が消えてしまっている。しかし、音声なんてなくても会場の熱気とメンバーの楽しそうな姿は、嫌という程伝わってきた。
この中に私もいたのか。そう思ったら自然とにやついてしまう。それとは別に、オーディエンスの心から幸せそうな顔、そして、メンバーの楽しそうな顔、穏やかな顔、それらが私の頬を緩ませた。今度は、にやつきではなく、微笑みとして。画面上には幸せという感情しかない。それが画面だけに留まらず、あたたかさとなって外へ溢れ、心を包み込んでいくようなかんじがした。
映像を見ているうちに、気づいたら私は泣いていた。止め処なく涙は溢れてくる。それでも口元は相変わらず微笑んでいた。
今回のライブの余韻は凄まじい。幸せすぎると、人は笑いながら泣くらしい。
そんなぐちゃぐちゃな表情のまま、今回のライブを思い出し、余韻に浸った。Tシャツが濡れていくのも気にせずに。
 

2019年5月11日、私は三重県は桑名市にいた。 flumpoolのときは毎度おなじみの友人Mと一緒だ。
会場に入る前から2人は浮かれていた。きっとこの日の浮かれようは誰にも負けないだろう。というのも、今日のチケットに記された座席が1列目だったからである。ホール会場で1列目は2人とも初体験だった。flumpoolのライブというだけで、ただでさえ浮かれまくっているのに、この事実に冷静でいられるはずがない。同じ状況で澄ました顔をできる人がいたら、それはもう尊敬に値する。
しかし、それよりも、それよりも私の胸の中は熱く、鼻の奥がツーンとするのを堪えていた。その理由は、三重という場所にある。

約1年と5ヶ月前、本来であればここでライブが行なわれるはずだった。そして私たちもここでライブを目にするはずだった。
突然告げられた活動休止報告。『Re:image』ツアーの横浜公演を目の当たりにしていたため、そんな気もしていたし、そうしてほしいとは思っていたが、いざ目の前にそれを突きつけられると、生きる糧を奪われた気がした。途方に暮れ、わけもわからず泣いた。そしてあとから押し寄せる色々な感情。心配と悔しさと不安と恐怖と。原因も治るかもわからないものと闘う恐怖と不安は、私にとっても凄まじいものだった。それと同時に少しの怒りもあった。悔しさ故の怒り。なんで、なんでああなるまで誰にも頼らなかったの、なんでそうやって1人で抱え込むのと。私も簡単に自分の気持ちを打ち明けられないタイプだから、こうなってしまった山村の気持ちもわからなくもなかったし、今でこそ痛いほど理解できる。でも、それでも、友達や家族はもちろん、自分にとって大好きな人にはそういう苦しい思いをしてほしくなかった。自分1人が辛いほうがまだ耐えられた。ただのファンに出来ることは何もないと判っていても。そんな身勝手な願望もあったからこそ、余計に悔しかったのかもしれない。でもメンバーや関係者の人たちは、私たちファン以上に、そして山村自身が誰よりも悔しかったはずだ。自分の気持ち、山村の気持ち、メンバーの気持ち、同じファンの人たちの気持ち、様々な感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い、とにかく収拾がつかなくなるほど泣いていた。

そして三重公演だった日、友人Mと、同じく一緒に行くはずだったもう1人の友人Jと3人で集まる約束をした。とりあえずMたちに会いたかった。会って気持ちを分かち合いたかった。
どうせなら山村の治癒祈願に行こうという話になり、近くで行けるところを探し、岐阜にある神社に赴いた。首から上の病にご利益があるらしい。藁にもすがる思いだった。ファンにはこれくらいしかできない。せめてもの神頼みだった。手を合わせる2人の顔は、今までに見たことないくらいの真剣な顔つきだった。
そのあと行ったカラオケで、flumpoolを歌いながら3人で泣いた。きっと2人にも抑えきれない色々な思いがあったのだと思う。それでもただひたすらに、復活を願い、復活した日には、共にライブのリベンジ参戦することを誓い合った。

あの日から時を経て、私は今三重にいる。なんということだろう。言葉では表しきれないほどの感動に襲われ、胸が熱く高鳴っていた。開演時間が近づくにつれて、胸の高鳴りは増していく。同時に緊張していた。山村はもう大丈夫だとわかっていながらも、このツアーを自らの目で確認するまでは心配が拭いきれなかったからだ。ファンクラブツアーで既に山村の調子は確認していたものの、でも、万が一…と心配性な私がいた。

よく考えてみてほしい。休止していた期間はわずか1年だ。それが長いのか短いのか、感じ方は人それぞれではあるけれど、私にはとても短く感じた。だからといって、休止期間中、待ち焦がれなかったと言えば嘘になる。これまでに好きなバンドの解散やメンバーの脱退を経験してきたとはいえ、好きな人たちを表舞台で観ることができないということは、いつまで経っても慣れることはない。私は大丈夫だなんて言ったくせに、心の何処かでは表現し難いさみしさが付き纏っていたのは事実だ。何年も治らないかもしれない、さらには一生治らないかもしれない、そんな不安もあった。だからこそ、さみしさの中にも何年も待つ覚悟は少なからずあった。
しかし彼はわずか1年で克服した。1年で活動再開という事実は嬉しい反面、もはや恐ろしかった。呆気にとられるなんてレベルではない。その分山村が、メンバーが、相当な努力をしたということではあるが、それも度を越しているのではないかとどこか心配になるのだ。奇跡と言えばそれまでではあるが。

そんなこんなで、複雑な面持ちのまま開演時間を迎えた。
暗転する。会場の雰囲気がガラリと変わった。そして、SEと共にどこか緊張した、でもとても穏やかな表情のメンバーが現れる。その瞬間、会場の喜びや感動といったポジティブな感情が背中にズブズブと突き刺さった。あまりの威勢にたじろぐ。しかしそれに鋭さはなく、丸みを帯びていて、私の心を包んでいく。それはとてもとても優しくてあたたかいものだった。いかに皆がflumpoolを待ち望んでいたか、この一瞬でわかった気がした。
1曲目がはじまる。本当に1曲目かと目を疑うほど、メンバーもオーディエンスも盛り上がっていた。そしてどこかから泣いた音が聞こえた。明るい音楽にその音が交じる。なんだか嬉しくなった。私もきっと、泣いている人と気持ちは同じだったから。
2曲目、3曲目とライブは進んでいく。そのたびにメンバーの表情は穏やかさが増し、実に楽しそうに演奏していく。山村の声も、ファンクラブツアーのときより格段に良くなっていた。伸びやかに高らかにしっかりと響き渡る歌声。心配なんてもうとっくに消えていた。
オーディエンスのテンションも上昇する。依然、優しいあたたかさは会場に充満していた。
そしてついに、復活後初となる新曲「HELP」のお目見えだ。メンバーがキリッとした顔つきに変わる。誰か1人だけが、というわけではなく、4人とも、さらにはサポートメンバーの2人もだ。同時に、少しの緊張も垣間見えた。登場からにやついてどこか楽しそうだった尼川も、さすがにこの曲では真剣味があった。張り詰めた空気が漂う。この雰囲気は、この曲にかける想いの強さの表れだと思った。でなければ顔つきや空気感はこんなにも変わらないはずだ。それほど大切な曲なのだ。

しかし「HELP」の発表当初、私はこの曲にどうも苦手意識があった。flumpoolが大切にするように、私にとっても大切にしたい曲ではあったものの、
<押し殺したはずの声 喉のあたり突き刺さって
 まして弱音なんて吐いたら 見放されてしまいそうだ>
<心配は要らないと うそぶいた
  自分なら隠せると思っていた>
<心って 脆くって そのくせ壊れるまで見栄っ張りで
  強がった 裏でいつも 気付かれたくて
  ひたすら悶えてる>
この部分の歌詞があまりにリアルで、かつ自分に当てはまっていたために、複雑な心境だったのだ。正確に言えば、今の自分より過去の自分に。多少は克服したのかもしれないし、過去ならば何を今更と思うかもしれないが、胸の中から消えることはない。

その過去というのは、私が看護学部の学生だった頃の話だ。
最初はやる気に満ち、人間関係にも恵まれ、大変ながらもそれなりに充実していた。複雑な病理学や生理学、わけのわからない看護過程、難しい看護技術など、それでも仲間と励まし合いながらがむしゃらに頑張った。周りの人の、あなたは看護師に向いてるよという言葉を鵜呑みにして、そう言われるならきっとそうだと自惚れていた。私は看護師になるのだと。
しかし2年目の冬、私は悩んだ。それもよくわからない得体の知れないものに。具体的に言うと、何もやる気にならないという症状に見舞われた。それは突然起こり、明確な原因はわからない。
やらなきゃいけない、でもやれない、こんな自分は駄目だという無限ループに陥った。自分にはこれしかないと思い込んでいた故に、ただただ困惑した。やらなきゃやらなきゃと自らの尻を叩いてなんとか必要最低限をこなす日々。しかしそのうち、それすら億劫になり逃げることばかりを考えるようになっていた。友人はもちろん同じ学部の人たちは同じ状況でも頑張っているのに、自分は何をしているのだろうと悲しくなり、自分は落ちこぼれだ、自分は駄目な人間だ、いつしかそう落ち込むようになっていた。さらには期待してくれた先生、家族に申し訳なくて、面目無いと思った。期待して、応援してくれた両親に対しては特に。
周りは頑張っている、両親は期待してくれている、そんな状況で誰にも言えるはずがなかった。打ち明けたとしても、迷惑をかけるだけ、重荷になるだけだし、がっかりさせてしまうと思ったのだ。
そのうち、自分の中だけに押し留めて、作り笑いをするようになり、やれないことを笑って誤魔化すようになった。周りはともかく自分と向き合うこともせず逃げていたのだ。しかしそうすればそうするほど、ダメ人間のレッテルが付き纏う。負の連鎖から抜け出せなくなっていた。それで帰りのスクールバスや自室でこっそり泣く、そんな生活が暫く続いた。いっそ誰かが気付いてくれたら楽になるのにと、そんな都合のいいことも思った。
何も見たくなかった。何も聴きたくなかった。いつも勇気をくれ支えてくれるflumpoolの音楽さえ、聴きたくなくなっていた。
そしていつしか、消えたい消えたいそんな思いに支配されるようになった。誰にも悟られずに死んでしまおうと。無意識のうちにwebの画面は死に方を表示させていた。登下校中は飛び降りられそうな高い建物を探した。刃物を突き刺そうともした。それなのに、いざ実行する勇気なんてなかった。結局自分は死ぬことも出来ないのかと更に落ち込んだ。今思えば、実に軽率で幼稚な考えと行動ではある。けれどもそれほど自分で自分を追い込んでいたのだ。
結局、逃げたツケが回って大学の先生を心配させたことにより、心境を打ち明けることになる。ボロボロと泣きながら全部話した。全部吐露したら少しだけすっきりしたような気がした。
そしてその後、そのまま半年間の休学を経て結局退学することになるのだが、休学するときもまだ友人にも家族にも打ち明けられずにいた。大学に行かなくなってやっと、心配されて打ち明けることになるという情けなさ。
それでも、家族は受け止めてくれて私のしたいようにしてくれた。友人は大丈夫?と話を聞いてくれた。どちらも当初、多少のギクシャク感はあったものの、そのうち普通に接してくれるようになった。この時にしてようやく気付いた。いかに自分が周りを信じていなかったかということに。もしもっと早くに助けを求めていたのなら、こうならずに済んだかもしれない。今ではもう遅い後悔だ。

今でこそ、家族友人ともに、こんな私を受け止め、受け入れてくれたことがどれほど有難いことかと痛感する。また長くなるので端折るが、苦い思い出のある高校時代と違って、今の周りにいる人たちには本当に恵まれていた。いい人たちだからこそ甘えていたのかもしれない。申し訳ないと同時に感謝しても感謝しきれない。
そして何より、助けを求めることは決して悪いことではないということを、最も忘れてはならないのだと、今になって改めて実感した。

思い出しながら少し泣きそうになったが、目の前の現実をしっかり観なければと、再びステージに集中した。
静かながら躍動感のあるイントロにはじまり、山村の落ち着いた声が発せられる。会場が息をのむ気配を感じた。Aメロを終えてコーラスが加わり、主旋律のうしろでハイハットが静かにビートを刻む。まるで神聖な場所にいるようだった。静かでいて力強い。会場にいる全ての人が、歌詞を噛み締めながら、山村の歌声に、阪井と尼川のコーラスに、小倉のドラムに聴き入っていた。
そしてサビで一気に音の幅が広がり、山村の歌声にも力が入る。力の入りようは他とは歴然の差だった。言葉ひとつひとつを大切そうに、重みを持たせて歌い上げていく。何度も言うが、それほどこの曲にかける想いは強いのだろう。尼川と阪井のコーラスもどこかいつも以上に力強く感じた。小倉のドラムも同じくそうだった。3人が、まるで山村の歌う主旋律に寄り添い、支えるように。ああ、きっとこういう風に支え合って、山村1人だけでなく、“4人”で、というより“チームflumpool”で困難を乗り越えたのだと直感した。現に、「HELP」に出てくる歌詞の中に、
<忘れないで “僕ら”が待ってる>
というフレーズがある。“僕”ではなく、“僕ら”と歌っていることからもよくわかるだろう。
山村が最後の最後で助けを求めた手は、間違いなく掴まれた。抱えていたであろう暗闇も不安も全て受け止めて、抱きしめて。彼がチームを信頼する以前に、チームは山村を信頼していたのだ。
そんなことを察した瞬間、私は涙が止まらなかった。なんて美しい世界だろうか。胸がいっぱいになった。良かったね、良かったねと心の中で何度も呟きながら泣いた。
悲しい、辛い、苦しい、冷たい、そんなことがありふれたこの世界、時代ではあるけれど、確かに此処には優しくて美しくて素晴らしい世界があった。この世界も、この時代も、少しは愛せるようになるかなとちょっとだけそう思った。それに、愛されることに加担しようとも。いつか誰かが手を伸ばすなら、私はその手を躊躇わず掴もうと。
ステージの光景を見、彼らの想いに触れるうち、いつしか私にとって「HELP」が大切な曲になった。あの頃の自分の面影が少しだけ、今の自分から剥がれていくのが見えた気がした。もう過去にとらわれなくていい。この曲があれば、いつか変われるはずだから。

そして最後までライブは盛り上がり、優しいあたたかさを保ったまま、いや、むしろ会場全体を包み込むほど大きくなって、終了した。

このライブを通していくつか印象に残ったことがある。それは、
・メンバーが緊張感を持ちつつもとてもリラックスし、最初から最後まで穏やかな表情をしていたこと
・メンバー間の絆の深まりがいつもに増して目に見えたこと(アイコンタクトをよくしていた印象)
・小倉がflumpoolのサウンドを牽引し、さらにフロントマン3人を終始見守りながらドラムを叩いていたこと
・山村が実に幸せそうに、穏やかに、優しい顔で何度も何度も会場を見渡していたこと
・尼川は相変わらずかと思いきや、誰よりもライブを楽しんでいるように見えたこと
・阪井が目を潤ませていたこと
・会場の拍手がいつも以上に鳴り止まず、大きいものだったこと
・会場のお客さんも皆、穏やかで心底幸せそうな顔をしていたこと
・無音になるシーンが、愛がある静寂だったこと
・会場が優しくあたたかく柔らかい雰囲気に溢れ、ひとつになっていたこと
どれをとっても、胸が熱くなる。嬉しいとか楽しいとか最高とか、とてもじゃないけれど、そんな一言で済ませたくないし済ますことはできない。

福井のライブも三重に負けないくらい優しい雰囲気漂うライブだった。ここでもたくさんのことが印象に残っているが、強いて挙げるなら、山村が、待っててくれてありがとうと何度も言っていたことだろうか。
兎にも角にも、2日間とも最高なライブだったことに間違いない。

このライブは、私の音楽人生の中で間違いなく1番幸せなライブだった。
こんなにも生きていて良かったと思った日はない。あの日、死なないでいて良かった。死ぬ勇気がなくて良かった。この人たちと、flumpoolと、生きてきてよかった。そして彼らを好きになったこと、応援できることを強く誇りに思った。
 

flumpoolの想いは、私だけでなく、あの場所にいた全ての人に伝わったことだろう。今すぐ変わることは難しい。それでもこのライブは、優しい世界への第一歩だ。

<大丈夫 胸張って 優しい手を
  ただただ握り返して

  心つないで 境界線超えて
  心つないで Help yourself,help myself >

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