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2017年6月6日

秋 (29歳)

生きること、死ぬこと

ACIDMANと私の15年

 ひねくれた子供だった。
ちゃんちゃらおかしい話ではあるけれど、誰にでもある話なのかも知れないけれど。世の中を知らないからこそ己こそが世界の中心であり、根拠の無い全能感から己だけが特別な存在なのだと思っていた時期があった。
甚だしい勘違いから数年も経たないうち、自分が世の中に対して大分不適合であるという気づきを経て、やがて絶望だけが残った。
 膨れ上がった孤独と絶望をどんどんと拗らせたまま、活字と、人間以外のものが好きな子供として育った。
他の女の子の好きな遊びより、山に登って森の匂いを感じたり、地面や木や壁に這っている虫を見つめるのが好きだった。
水を含んだ土が手についた時の粘り、引っこ抜いた雑草の根の広がりの美しさ、明け方の空気の匂いや静謐さ、トンボの羽の透けたところ、蝶の鱗粉が指にうつるさまが面白いと思った。
拗らせに拗らせすぎて地球の健康を願い過ぎ、車の排気ガスを毛嫌いしたりしていた。
とにかく人間というものが嫌いだった。文明には肖るというのに、新しいものが好きだというのに、芸術は、人の作るものは好きだというのに。

 一つ上の兄が中学生になり、流行りの音楽を聴くようになった。
00年代前半、音楽チャートでは聞いたこともない名前のインディーズバンドがいきなりトップ10に躍り出たりしていた。
その頃の兄が好きな、泥まみれで真っ直ぐ、高らかに青春を歌うバンドたちの歌詞は私には少しわからなかった。
新しいバンドの情報や曲が知れるらしく、夜遅くにもテレビやラジオの音が兄の部屋から漏れ聞こえてくる。兄からCDを少しずつ貸りるようになった。MDに曲を入れてもらった。それでも、まだわからなかった。
人というものに向き合うことのない私には、恋愛も青春の歌詞も響かないままだった。

 私も中学生になって暫くのある日、ラジオで気になる曲を耳にした。
勢いを増す曲調。歌詞がなんだか難しい。でも、好きだとか嫌いだとかそういうよくある言葉ではなくて、どこか深く叙情的で響きの良い単語がずらりと並んでいる。
残念ながら、アーティストはわからなかった。
それからまた暫くし、兄と良く見ていた深夜の音楽番組で、気になっていたそのアーティストに再会する。
ゆったりと、それでいて力強いサビ。頭を殴られたような衝撃だった。画面に映し出されたのは絵画のようなテクスチャを纏った三人。それぞれの音を奏でている。少しくすんだオレンジ色。
ACIDMAN「赤橙」のPVだ。

 近所のレンタルショップでアルバムを貸りて来て欲しいと兄に頼み、MDにデータを入れた。部活のない日、誰もいない薄暗い部屋で歌詞カードを手に、貪るように歌詞を読みながら聴いた。
生まれて初めて陥る感覚だった。どの曲を聴いても鳥肌が立った。恋愛も人間もよくわからなかった自分が、報われたように思えた瞬間だった。
こんなことを歌っている人がいる、こんな曲を作っている人たちがいる!こういうことを表現していてもいいんだ!すごい!という衝撃と興奮で、その日は眠れなかった。

 そのうちに、なけなしのお小遣いで当時出ていたCDを全て揃えた。
プレデビューシングルと銘打たれた3枚のシングルCDの盤面は万物の根源。土と水と火の写真がとても綺麗で、いつまでも見つめていられた。
何を聴いても音楽になんて関心のなかった自分が、一つのものにのめりこんだ。
年齢を理由に親に止められてライブに行けないことを恨めしく思いながら、行けるはずもないロックフェスに想いを馳せたり、曲をモチーフに想像の世界に遊んだりした。
もともと細やかに分解して楽しんでいた世界が、静かに落ち着いた色で染まりはじめた。
そのうちACIDMANの存在は、私の生きる指標になった。

 私はといえば、絵を描くことが好きだった。
けれども苦手だった。つまり、才能が無かった。
だからひたすら描いた。描いて、高校生になった私は美大を目指すようになっていた。
その頃には親にも許され、ACIDMANのライブに通えるようになっていた。
新譜のリリース予定があれば当日までそわそわ、情報が欲しくて音楽雑誌を買いあさり、フラゲ日にはすっ飛んで買いに行き、一緒にハマり込んだ兄とCDコンポの前に正座して歌詞カードを目で追いながら一音一音、一句一句を噛み締めつつ聴いた。さながら儀式のように。
ACIDMANというバンドが大好きで、メンバー三人が憧れで、目標だった。一つも逃したく無かった。
今回の新譜も良かったねと言い合いながらそれをMDに入れる。登校しながら聴いては幸せに浸る。私には絵を描く事とACIDMANの音楽があれば良かった。
いつか大人になったらACIDMANに関わるものを作れるようになりたい。という漠然とした目標も掲げつつ。
頑張っていた絵は、顧問の先生にお墨付きを貰えるようになっていた。

 大学受験を控えた夏、突然絵が描けなくなった。
ただひたすらに好きで描いていたものが、予備校で点数を付けられるようになったからだった。
心身を削るように懸命に描いてから、予備校の壁に出来のいい順に並べられる。一番上のときもあれば、一番下のときもあった。
私は描く事を放棄するようになった。
そのうち、ACIDMANも聴けなくなった。
元々苦手だった人が怖くて、ライブにも行けなくなった。
雨が降っても綺麗だと思わなくなった。星を気にしなくなった。泥にまみれて遊ぶこともない。虫には触れなくなっていた。景色が汚れることをなんとも思わなくなっていた。
私は一度死んだのだった。

 なにも持たずに臨んだ受験の日、何を描いたかすら記憶が怪しいのだが、奇跡的に出来のいい一枚が描けたらしい。幸か不幸か、私はそのまま美大へと進んだ。
ACIDMANはまだ聴けなかったし、絵も描けないままだった。気にした兄が買った新譜を貸してくれたり、ライブに誘ってくれたりした。
それでも一向に描けなかった。
課題をなんとなくこなし、いつもギリギリだった。何をしたいのかがわからなかった。一度死んだ私は、なおも死にたいままのうのうと生きていた。
絵が描けないのなら死にたい、とばかり思っていた。
メンバーはどんな顔をしていたっけ。出たばかりのアルバムだって一度しか聴けていない。
鬱屈とした生活の中で閉塞感を抱えながら、私はいつの間にか大人になってしまっていた。

 2010年、ALMAというアルバムが出た。
久々に自分から買いに行ったのだが、その日、何故そうしたのかはわからない。
白いジャケット、くり抜かれたアルバムタイトルの文字から、星の光がこぼれていた。
きれいだな、と思ったことだけは思い出せる。
 特典のポスターを貰い、家に帰った。
CDをパソコンにインポートする。8GBのiPodにデータを入れて、ヘッドフォンを耳にあてる。
ACIDMANは愛を、人との繋がりをより強く、より高らかに奏でるようになっていた。
それでも、自然と涙がこぼれた。
あまり聴けなくなっていた時にも、裏切られたとすら思って少しだけ抵抗があったそれを、私は初めてそこで受け容れたのだった。
というより、人を受け容れられなかった私の中の何かを氷解させてくれたのは、紛れもなく彼らなのだと思う。

 それからまた、星空を見上げるようになった。
一緒にいてくれる人に感謝をするようになった。
絵が描けなくても仕方ないと思った。
生きてさえいればそれで良いと思えた。
枯れていた心に水を注がれたようだった。
 友人や恋人、ときには色々な人を連れ、あるいは一人きりで、またライブへと足を運ぶようになった。
私が年齢を重ねた事や、表現への感じ方のズレもあるのだろうけれど、彼らの音楽に昔のような衝撃を受けたり震えるような感動に襲われる事は、正直無くなった。
それでも、彼らの存在は私にとって唯一無二だ。
久々に見た彼らはカドが取れて、少し丸くなっていた。
しっかりと音楽シーンに立ち続けていた証の様に、メンバー各々、なおも精悍な表情には少し皺も刻まれていた。

 2012年の結成15周年&デビュー10周年イヤーには、ROCK IN JAPAN FES.の大トリを見事成功させたのを見届けることが出来た。
RIJFといえば、2003年当時ACIDMANが初出演するということを知りつつ、いくら想いを馳せても行くことができなかったフェスだった。
年月も相俟って、凝り固まった私の心のカドも、やがてポロポロと取れて行くようだった。

 そして2017年の今年、結成20周年イヤー2manツアーのセミファイナル公演。5月27日、東京公演での大木のMC。
「誰かと居てもずっと孤独を感じていたし、自分が得意で、興味のあるもの……宇宙とか、そういうものでしか表現出来なかったし、理解されにくかった。
それでも、それを受け容れてくれる人達がいた事に救われてきました」。
孤独であるからこそ受け容れてくれる人はいること。それを良かったと思うと共に、表現してくれてありがとう、と思わずにはいられなかった。

「この中に今、死にたいと思ってる人がいるかも知れないけど、安心して下さい。人はいつか死にます。
その時に良かった、幸せだったな、って思えるような、そんな人生を、そんな瞬間を一緒に過ごしていきましょう」。
ファイナルを迎えた6月3日、沖縄公演でのMCは、最近の彼らの強いテーマとなっている「死ぬ」ことにフォーカスをした言葉を聞くことが出来た。
誰にも身近である、「死ぬ」ことを肯定した上で、そこまでの幸せを願っても良いのだと思えた。
だから、私もまだ夢を見ながら、幸せだったと言えるような生き方をして、死のうと思う。

 私は今、スタートは遅かったけれどもデザイナーの仕事をしている。
中学生の頃からの夢は、いまでは少しだけ、叶っている。

 死ぬまでにはまだ暫く時間があるのかも知れないし、ないのかも知れない。誰にもわからない。
それでも悔いの無いよう、幸せだったと言える人生を生きていこうと思う。
その時まで、彼らの音楽が共にあることを願っている。

 孤独だと思っていた私の人生に彩りをくれてありがとう。
まだ15年、まだ20年。
これからも、よろしく。

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