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修羅の道でもポップに行こう

スガ シカオは澱を使って楽しさを作り出してしまう

−「あなたは神を信じますか?」 いやまだ見たことがないです−

実際そうなんですよ、と思ったある日の夜。
仕事は全くとして楽しいものではなく、そもそも働くのをやめようかと思っていた拍子に聴いた、労働なんかしないで 光合成だけで生きたいは、仕事に対する意欲を流星の如く綺麗にさらっていったのだった。

正直なところ、神なんて見た事ない。人間は誰もが良いところを持っているといっても相性はあるし、嫌いな奴だっている。内緒話をした翌日、全員周知の空気の中で深呼吸をして、

あれ、昨日内緒って言ったよねぇぇぇ!?

と息を呑むくらいには欺かれる。

それでも、社会で生きるこの日々では、どんな人とも理解し合って楽しく務めるのが常識である。接し方次第で、誰とだって仲良く出来る。時間をかけて積み重ねた信頼は大きな力になる。欺かれたのは、自分が相手を信頼しきれていなかったのだ。相手をもっと信じよう。

うんいや、え、何かまぁ、間違ってないだろうけど何か違う気がするんだ

というのが本音だ。
本当は誰だって心の中に澱を持っている。嫉妬も嫌悪も我儘もねっとりと付着しているのだ。言わないだけで。人間が「カッコ悪いから」や「大人になろう」といった理由でひた隠す汚いものを、

−マッシュポテトみたいに 好きでいた日々をすりつぶして−

なんてポップに歌いあげてしまうのはスガ シカオ。歌詞の中に散りばめられた、言葉になんてとても出来ない人間の澱。口にしたらいけない汚い部分と恥ずかしい部分。それを爽やかな歌声で、流れる様にしなやかに歌い上げる。言葉の一つ一つは、自分の心に繋がり、いつか抱いた嫉妬心を呼び、それが羞恥心を呼び、恥ずかしい事この上ないのだが、彼の作り出すメロディとリズムによって心は踊り出し、心地良くなって最後は口ずさんでしまっているのだ。労動なんかしないで 光合成だけで生きたいに収録されている曲は、どの曲もすぐに最高の一言が出てしまうのだが、中でもマッシュポテト&ハッシュポテトはヤバイ。

マッシュポテトという半濁音の可愛らしい響きとマ行の丸い温かみ、ハッシュという歯切れと音抜けの良さを使って、聴いている人に抵抗や嫌悪感を感じさせる事なく、心に潜む黒い影がすっきり飲み易い。どれだけ汚くても、後味さっぱりだから飲み干しても胸焼けしない。その爽快感を知ってしまったらもう、やめられない。何度も繰り返しヘッドホンから流し、心は踊り、全くもって楽しい歌詞ではないこの曲をウキウキ楽しむのだ。好きな人が自分以外の相手と愛を交わしているなんて事態はもう気が気じゃない。きっと想い人は今頃、自分には敵わない奴と楽しくやっているのだ。そんな複雑な苦しみを表現するものとしてマッシュポテトとハッシュポテトが出てくるのだ。あまりに衝撃が強い。そして、汚い部分だけを歌うのではなく、そんな心にもわずかに残って漂っている理性も織り交ぜ、馬鹿馬鹿しく、恥ずかしく、面白く、人間らしさを様々な角度から歌って魅せる。
大事なのは、スガ シカオの歌声がそれらの言葉達を華やかに動かしている事だ。柔らかく滑らかに伸びるファルセットと歯切れの良いスタッカートは耳に余韻を残す。どこか儚く妖艶な声が愛しくなる。この歌声によって引き立つマッシュポテトとハッシュポテトの存在感。彼の歌声から伝わる言葉は、情景となって自分の知っている毎日の風景につながり、同じ体温でこの身に寄り添っているのだ。ヘッドホンを外している時であっても、耳の奥から微かにあの儚い綺麗な高音が聞こえてくる感じがするのだ。ふとした時に、歌詞の中にある言葉が頭にふわりと浮かんでくる。その瞬間、大して楽しくもない勤務時間が、少しだけ、ヘッドホンをしている時のあのウキウキに変わっていく。例えば、想定外に面倒な事が起きれば誰しも嫌な気持ちになる。そこで単純に

うわ、クソだりぃって

と思うのがほとんどだと思うのだが、そんな時には 、

はぁーあ、マッシュポテトみたいにすり潰したいわ

と自然に思う様になった。マッシュポテトというキーワードがマッシュポテト&ハッシュポテトのイントロを音速で再生する為に、嫌でもリズムに乗ってしまい、肩が動くのだ。傍から見ればこの面倒な状況で急にノリノリになっている姿はだいぶ意味不明で滑稽ではある。が、自分の中で楽しんでいるので問題は無いだろう。

アルバムのタイトルにもなっている、労働なんかしないで 光合成だけで生きたいの冒頭は、見えている情景と

−労働なんかしないで 光合成だけで生きたい−

がリズムで廻っている。

−ベッドサイド 放置したまま 空き缶がミイラになって増えていく−

自分を取り巻くどんよりとした生温かい空気。閉まったままのカーテンから差し込む若干の陽の光。脱ぎ捨てられた服。誰もが働いているだろう時間に着替えもせずぼんやり寝たり起きたりしている自分。静寂から感じる少しの罪悪感と脱力感。動かない表情。はっきりとしてはいないが、大多数と同じ様に働く事が正しいとは思えない心。かといって特別出来る事がある訳でもない自分。

割と足並み揃えて生きてきたはずなのに。
誰かが助けてくれたらいいのに。
誰も助けてくれる訳ない。
神様なら助けてくれるのだろうか。
神様なんていない。
いつになったら幸せになれるだろう。
本当は今が幸せなのかもしれない。

歌詞に書かれた一つ一つの言葉が、書かれていない余白にある空間やメッセージを、軽快な曲調に合わせて想像させる。

−でもその幸福って そこにきっとあって−

確かに、バイトを休んで稼ぎにもならずにゲームをやって寝て起きて過ごす時間に、やはりモヤモヤとした不安や罪悪感はあっても、充実している満足感があるのもまた事実だ。自分の意思で時間を使い、選ぶ事は、大多数からすればだらしないとしても、幸せな気もするのだ。その生活を永遠に続けるのは無理な事もどこかで解りながら、自分だけの世界においては否定される事のない安心感を手放す事も出来ない葛藤があり、神に頼もうか、けれど未だ見た事がない存在だという、主観と客観が混じり合いながら答えの出ない問いかけを繰り返す。

こうした生活を経験した事がある人がいるかもしれない。それは良いか悪いかの問題ではなく、ここでスガ シカオが歌っているのは、色々な視点から見える人間の姿なのではないだろうか。世間として正しい事が自分自身にとっても正しいとは限らない。それらが対立した時に、信じるべきはどちらだろうかと考えながら、自分を信じたい頭の中で、やはり世間に寄った考えも一瞬過ってしまう。そうして格好悪く悩んだり苦しむのが人間なのだろう。世の中には、

そりゃ自分が悪いんでしょ

と言えば済んでしまう様な事が多い様に思う。だが、その状況や結末に至った過程にこそ、本当の言葉や気持ちがあると思うのだ。正論で返してしまえば簡単に終わる多くは、辿っていくと一概に一言で片付けられない複雑さを持っている。その面倒を省こうとする為なのかもしれないが、一人一人がどんな状況や言葉を選ぶかに意味があるのではないだろうか。多分、どんな方向に進んだとしてもそれは、人間らしさなのだ。

もし、労働なんかしないで 光合成だけで生きたいを聴いて心が動いて、本当に仕事を辞めてしまっても、それはそれで良いと思う。実際はそうもいかないところではあるが。仕事を辞めて少しの間でも、全力で自分の時間を使って自分の意思で選んだとしたら。そこで、働く事よりも有意義なものに出会えるかもしれない。嫌だと思いながら労働を続けるにしても、その気持ちは忘れずに持っておくべきだ。その気持ちが次の自分の選択に繋がる気がするからだ。様々な状況において、誰かから正論で切り捨てられても、それまでに自分の中に生まれた気持ちや言葉は、自分が悪かったとしても、離さないでおくべきだ。

誰も隠したがって口にしない、澱を軽快に歌ってしまうスガ シカオ。

修羅の道はどうやら気にせずスラスラ行けば良いという訳でもなさそうだ。

とりあえず、彼の作る音楽の如くポップに生きて行きたい。

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