2250 件掲載中 月間賞発表 毎月10日
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

「私の愛は生きています」

wowakaさん追悼会で観たヒトリエのライブの記憶

wowakaさんがいなくなった。それはあまりにも突然なことで、受け入れることなんて到底出来なかった。ほんの数週間前のライブの写真だって、コメント動画だってある。再生ボタンを押せばそこにいる。それに、1月のメジャーデビュー5周年を記念したワンマンライブでは10周年のときの話だってしていた。あんなにも力強く「もっと素敵な場所に行こう」と言ってくれる人が、突然いなくなってしまうはずはないと思った。

しかし、フェスの出演者のなかにヒトリエの名前が無かったり、対バンが決まっていたライブの払い戻しのお知らせが来たりで、現実が「受け入れろ」と言っているみたいだった。それでもやっぱり、「嘘なんじゃないか」という気持ちが強かった。ずっとどこかふわふわとした気持ちでいた。

そしてとうとうやってきてしまった2019年6月1日。本来ならばHOWLSという最高のアルバムのリリースツアーファイナルになるはずだった日。ワクワクしながら新木場に向かうはずだった日。この日は、ツアーファイナルではなくwowakaさんの追悼会になった。

追悼会自体の内容は明かされておらず、ツアーグッズを売ること、ずっとヒトリエの写真を撮っていたカメラマンの西槇太一さんの写真展があること、wowakaさんへ献花できることだけ明らかになっていた。

グッズを買うのはいつものライブと同じ。まだ大丈夫。写真展ではただただライブをする彼らはカッコいいなぁと感嘆のため息を漏らした。まだ大丈夫。献花をするのはとても怖かった。花を手渡されて中に入る。そこには、今までに対バンをしたことがあったり親交があったアーティストの名前がたくさんあって、ライブ中のきらきらと眩しい笑顔を浮かべたwowakaさんの写真が花に囲まれるように置かれていて、その隣には持ち主を失った3本のギターが置かれていた。なにもかもがどうしようもなく現実だということを突きつけられ、笑顔のwowakaさんと寂しそうなギターの対比も相まって胸が苦しくなり涙が出た。この人がこの世にはいないのだという現実が悲しくてしょうがなかった。全く大丈夫ではなくなってしまった。追悼会が終わるまで人の形を保てる自信がなかった。

いつもとは違う心持ちで入場したコーストは、いつも通りに開演前の音楽が流れていて、いつも通りにライブを観る服装の人でいっぱいだった。きっとそれぞれが「これから何が始まるのだろう」という不安でいっぱいだったと思う。

18時、ステージの幕が開く。ステージの上にはきちんと機材がセッティングされている。ステージ後方のスクリーンに映像が映し出される。そこにはwowakaさんが、4人のヒトリエがいた。2年前に、この日と同じ新木場STUDIO COASTで行われたツアーファイナルの映像。wowakaさんは「ファイナル!いけますか新木場コースト!!」と言った。ワンミーツハーが始まる。その声に応えない理由がなかった。涙が止まらなかったが映像の中のその姿を目に焼き付けようと顔を上げ、手を挙げた。次に流れるのは目眩の映像。「あぁこの人はこんなにも力強く歌を歌う人なんだ」と改めて気づかされた。

スクリーンは暗くなり、ステージには照明がつく。入場SEが流れる。シノダさん、イガラシさん、ゆーまおさんの3人がステージに登場する。そこにはもちろんwowakaさんはいない。けれど、シノダさんはwowakaのギターを持っていた。一度高く掲げたあと、ステージの真ん中に置いた。3人が楽器を持つ。ライブが始まる。歌うのはギターとコーラスを担当していたシノダさんだ。一曲目はポラリス。

『何処に行くにも彷徨って間違うばかりの日々だ
ああ 僕はうまくやれるかな また泣きそうになったよ
「きっとあなたは大丈夫」
「とても強い人だから」
その言葉の奥で笑う顔 いつも救われていたの』

この詞をシノダさんが歌うと意味合いが変わったように感じる。まるでwowakaさんに向けられたものみたいだ、と思った。この曲を作ったのはwowakaさんなのに。

そのままなだれ込むように次の曲が始まる。彼らのメジャーデビューシングル、センスレス・ワンダーだ。いつもならばwowakaさんが弾いているところをイガラシさんが弾いていた。ベースで。彼らの覚悟と、とてつもない努力が見えた気がした。4人でやっていたことを3人でやるのは簡単なことではない。足りない音を埋めるように彼らはギターを弾き、歌い、ベースを弾き、ドラムを叩き、コーラスをしていた。wowakaさんが選んで、信頼した3人は本当にすごい人たちだと思った。全身全霊で音を鳴らしていた。1人足りなくても、間違いなくヒトリエだった。

ヒトリエとして最初にできた曲であるカラノワレモノはやっぱりどうしようもなく美しかったし、ベースソロと「お客様の中に踊り足りてない方はいらっしゃいませんか!?」の煽りから始まる踊るマネキン、唄う阿呆はやっぱり楽しい。途中からは普段のライブと変わらないくらいに踊った。そういえば、最初にライブで音に合わせて踊る楽しさを教えてくれたのはヒトリエだった。最後に、wowakaさんに届くよう会場にいた全員で歌ったローリンガールは届いただろうか。届いているといいなぁ。

最後にまたスクリーンに映像が映し出される。昨年行われたツアーファイナルの映像で、曲はリトルクライベイビー。初めて聞いた時から大好きな曲だ。この曲で何度だって前を向いてきたし、きっとこれからもそうだ。歌い終わった後にwowakaさんは「きっとまた会いましょう!」と言った。きっとまた会えるような気がした。「気をつけて帰れよ!」とも言った。おかげさまで無事に帰れましたよ。

始まる前は怖くて仕方がなかった追悼会は、悲しくなかったと言えば嘘になるが、残された3人のメンバーが解散させずに音を鳴らす意思をライブという形で表してくれたというだけで幸せだった。それに、あの空間にはwowakaさんのことを大好きな人しかいなかった。きっとみんな今日のことを忘れないと思うし、ヒトリエのことをこれからも「かっこいいバンドだよ!」と言い続けるのだと思う。ずっとずっとなくてはならない存在なのだ。曲を作り、歌う人がいなくなっても曲は消えないしその存在を伝える人や歌い継ぐ人がいる。それぞれの中でwowakaさんが生き続けている。それが分かっただけで十分だった。あんなにも幸せな時間をくれたメンバーとスタッフさんに最大限の感謝を。

後から調べて知ったことだが、wowakaさんへの献花の際に渡された白いカーネーションの花言葉は「私の愛は生きています」だった。私の、私たちの愛は生きている。今までもこれからも。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい