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白いカーネーション

6月1日、ヒトリエのwowakaさんに初めて会った日のこと

これは、私がヒトリエのボーカルwowakaさんに「初めまして」をした話だ。
 

5月。
新木場スタジオコーストのチケットを手にしながらもwowakaさんの追悼会に行ってもいいのか、私は暫くの間、迷っていた。

私がヒトリエを知ったのはたったの約一年前くらいの事で、全曲把握してるわけでもなければ全てのCDを持っているわけでもないソフトなリスナーで、周りの人にヒトリエの話をした事もなければ、6月1日の公演がヒトリエ初参加という新参者も新参者な立場だったからだ。

ツイッターを見れば昔からのリスナーがチケットを探していた。
ずっとwowakaさんを好きだった人に追悼会の権利を譲るべきなのでは、私が逆の立場なら絶対行かせてくれよと思う気がする、それに初めて会うのが追悼会だなんて何かおかしいのでは、と逡巡した。

それでも、ヒトリエの新しいアルバム“HOWLS”がwowakaさんが亡くなる少し前に私の心を夢中にさせたのは事実だった。
猛々しく、それでいて遊び心を転がせつつ、かつ繊細な魂の叫びがメロディと言葉に乗せられて圧倒的な熱量の塊となって世界に送り出された彼らの音楽は、彼が亡くなった後も確かに生命力に満ち溢れていた。

ヒトリエの音楽が好きで、その世界観に触れてみたくてとったチケットだ。
追悼会は何をやるかわからないけれど、wowakaさんが作った音楽に出会えて感動を貰ったから、お礼を言いにいくのは良いのではないか。
少しずつそう思い始めていたがどうにも踏ん切りがつかなかった時、前々からのファンの方にこんな言葉を貰った。
“新しいファンがこれからも増えて欲しいです、きっとwowakaさんにも会えます、ヒトリエ 、見てきてください!”

私が勝手に一方的に少しの罪悪感と申し訳なさを感じていた前々からのファンの方の一人に、そうやって背中を押されたのだ。
お別れを言いに行こう。
ありがとうを伝えに行こう。
その言葉のおかげで決めることができた。
勿論小さな罪悪感は消えることはなかったけれども、それはそれで無理に捨てずに抱えたままでその分しっかりと見てこようと、しっかり献花してこようと、しっかりお別れを言おうと思った。
 
 

会場につくまでずっとヒトリエを聴いていた。
やっぱり音の世界のwowakaさんは生きていた。
あまりにもパワフルに、そして人間くさく、アルバムタイトルどおり魂が叫ぶように歌っていて
─彼はそこに生きていた。
 

しかし、ライブ会場の一角に用意された献花台に向かった時に、白いカーネーションを渡された時に、彼の遺影を見た時に、寄り添うように供えられたギター三本を見た時に、泣きじゃくるファンを見た時に、

「あぁwowakaさんは、もう生きていないのだ」

と、あまりにも絶対的な現実を否応なく感じてしまった。
正直、私は「wowakaさんは音楽の中で生きているじゃないか」と思っていたため、悲しかったけどそれまでそんなに涙は出なかったのだ。
でも献花台に向かった時に、世界がひっくり返った瞬間に、ぼろぼろと涙が勝手に溢れ出てきてもう止めることができなかった。
これが現実だった。
 

そして、
“きっとwowakaさんにも会えます!”
そう言ってくださった昔からのファンの方の言葉を反芻した。
遺影の中のwowakaさんは柔らかく優しく微笑んでいた。片手にペットボトルの水を持って。
初めましてのwowakaさんは遺影の中だったけれど、彼は微笑んでいて私は泣いていてあまりにも変な初対面だけど、ちゃんと会えた─
やっぱり来て良かった、と思った。
白いカーネーションを一輪手向け、泣きくずれてしゃがみこむ女の子を背にして、私は涙をタオルで受け止めながらその場を去った。
 
 

追悼会は何をやるのか全く想像がつかなかった。
生前のビデオを流して故人とのお別れ会をするのだろうか? メンバーはどんな風に登場するのか? いや、むしろ登場するのか? ライブに参加する格好をしているけど、果たしてこれは正しいのか?
何をやるのか何も想像できなかったし、新木場スタジオコーストの中にいる2,000人の観衆も概ね同じ気持ちであったと思う。
 

18時。
追悼会がスタートした。
幕が開くと、そこには楽器がセットされたステージがあった。
そして、スクリーンにはステージいっぱいにwowakaさんの歌う姿が映し出された。
まるでツアー半ばで亡くなった彼をツアー最終日の今日、蘇らせるかのような演出だ。
其処彼処からすすり泣きが聴こえる会場の中でスクリーンの中のwowakaさんは涙するファンに向かって歌い、叫び、語りかけていた。
 

ワンミーツハー、目眩が終わったところで歓声が左手側から聴こえた。
シノダさん、ゆーまおさん、イガラシさんが現れたのだ。
まるでお通夜だった会場のボルテージが上がったのを感じたし、私もメンバーとも「初めまして」ができて嬉しかった。

でも。
ボーカル不在で彼らは何をやるつもりだろう?
三人で演奏するのか?
それともこれから厳かな追悼会が始まるのか?
目の前の三人が何をするのか想像ができなかった。

登場したシノダさんは聴衆を前に、マイクの前で言葉に詰まり、それでも言葉を必死に出そうとしていた。眼にはキラリと光るものが見えた。
(やべぇ、泣きそう)
そんな事を言いつつも、いつも通りヒトリエのライブをやる、と。wowakaさんに聴こえる様にやると。
そう、追悼会という名前の、ヒトリエのライブが始まったのだ。

「ヒトリエ、はじめます」
その言葉がとても力強く響いた。
 
 
 

最初に三人のヒトリエが演奏したのは、ポラリスだった。

「誰が止められるというの
心が叫んだ声を
ああ 今すぐに伝えなくっちゃいけない気がしたんだよ」
(ヒトリエ/ポラリス)

wowakaさんはいない。
だから、シノダさんがwowakaさんの代わりに、今すぐに伝えなくっちゃいけない気がしたんだよ、と歌った。

今でも思う。
ボーカルがいないのにライブができるってありえるだろうか?
だってwowakaさんが亡くなったのはたったのふた月前の出来事だし、ギターコーラスがメインボーカルを完璧に務められるなんて聴いたこともないし、そもそもヒトリエの音楽は楽器隊も歌も複雑難解だし。
あのギターを弾きながら、たった2ヶ月で歌えるようになるもんなんだろうか?
私は丁度シノダさんの手前に居た。
激しいギターを弾きながら、汗を光らせながら、髪を乱しながら、魂が叫ぶような歌声で歌い続けた。
それはずっとwowakaさんの隣でギターを弾いていたからこそできる事だったのかもしれない。
誰よりも辛いであろうメンバーが、この短い期間にどれだけ努力して練習して重圧を感じながら今日のこの日を迎えたのだろうか。
 
 

「忘れられるはずもないだろう
君の声が今も聞こえる
泣き笑い踊り歌う未来の向こう側まで行こう」
(ヒトリエ/ポラリス)

wowakaさんは一足先に未来の向こう側へ行っちゃったのだろうか。早過ぎる、あんまりにも早過ぎる…、涙が溢れては止まらなかった。
wowakaさんが作った歌なのに、今日というこの日はまるでwowakaさんへの歌にしか聞こえなかった。

だけれども、

「ひとりきりのこの道も 覚めない夢の行く先も
誰も知らぬ明日へ行け 誰も止められやしないよ
また一歩足を踏み出して
あなたはとても強いから
誰も居ない道を行ける
誰も居ない道を行ける」
(ヒトリエ/ポラリス)

wowakaさんからメンバーへ最後に投げかけた言葉のようにも聞こえたのだ。
「あなたはとても強いから」
それは今となってはシノダさん、イガラシさん、ゆーまおさんに残した言葉にも感じた。
まさにこの日のライブは彼らがまた一歩踏み出した、ステージのセンターに誰も居ない新しい道なのだ。
そして、目の前にいる残されたメンバー三人はとても強い人に思えた。

なんでまるでこうなる未来を予知してたかのような歌を作っちゃったんだ、wowakaさん、もう…、そんな想いが溢れてどうにも胸がつまって苦しかった。
 
 

この日のシノダさんが歌うwowakaさんの曲は『三人とwowakaさん』の歌に、或いは『リスナーとwowakaさん』の歌に、或いは『wowakaさん自身』の歌に聴こえたのはきっと会場に居たみんな、中継を見ていたみんなそうなんじゃないかなと思う。
 
 

ラストの曲はスクリーン写し出されたwowakaさんが歌った。
リトルクライベイビー。
 

「この声 何処までも行け
第六感の向こう側で光る感情に触れて
手を離せはしないのだから
君の泣き声が、僕の心臓を動かしているの
もう止めることなど出来やしないよ」
(ヒトリエ/リトルクライベイビー)

あぁ、やっぱりwowakaさんはヒトリエの歌を誰かに聴かれ続ける限りは歌の中で心臓を動かしているのだ─
そう思った。

だから、シノダさんがこの曲の前に、
『具体的なことは決まっていないけれど、ヒトリエは解散しない』
と話してくれたことはwowakaさんの魂を生かすことでもあるのではないかと感じた。
三人が進む道がこれからもヒトリエである事は、険しくて困難な道であるかもしれないし、普通ボーカルが不在のバンドを続けるなんて有り得ないと思うけれども。

でもヒトリエは大丈夫だ。

追悼会という名前のライブを、ボーカル不在のバンドを、中央に空のマイクがぽつんと立っているステージを、たったの2ヶ月…いやきっと本当はもっと短い準備期間しかなかったはずなのに、ここまで圧倒的なパフォーマンスでやってのけたのだから。
 

この日私がたくさん泣いたのは、wowakaさんがいないことを実感したことは勿論だが、誰よりも辛いであろうシノダさん、イガラシさん、ゆーまおさんの深い愛や強い意思を感じたからに他ならない。

泣きそうになりながらも頑張って涙がこぼれ落ちないように堪えて、一生懸命言葉を紡ぎ、歌いきったシノダさんの勇姿に感動したからに他ならない。

まるで涙を隠すかのように長い前髪で目を隠したり後ろを向いたりしつつも、ずっと猛々しく激しく力強く、優しいベースを一心に奏で続けたイガラシさんの実直さに感動したからに他ならない。

時折何かを祈るかのようにふっと目を伏せながらも、正確で堅実で力強く鋭く叩かれるドラムと、新たにコーラスも重ねたゆーまおさんの守護神のような姿に感動したからに、他ならない…。
 
 

これからもヒトリエは続く。
そこにはwowakaさんの姿はない。
けれどシノダさん、イガラシさん、ゆーまおさんの中に彼は生きているし、私達が彼の歌を聴いた時もwowakaさんは生きて、歌って、叫ぶのだ。
そう思うとこれからもヒトリエとwowakaさんと一緒に生きていきたい、と切実に思う。
 

この日、私はwowakaさんに「はじめまして」と「ありがとう」と「さよなら」をするつもりで来たけれども、さよならはできなかった。

「初めまして、ありがとう、これからもよろしくお願いします」

─これが私とwowakaさんの初対面の日の出来事だ。
 
 
 
 

そういえばあの時、多くの参列者が手向けて献花台を埋め尽くした白いカーネーションは、こんな花言葉だった。
 

“たとえ死別しても、
 私の愛情は生きています”
 
 
 
 

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