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2か月

ヒトリエ追悼ライブに思いを寄せて

2か月は決して短くない。でも決して長くもない。

違うライブにも行った、コンサートにも行った。新しい音楽にもであった。
でも、ずっとずっと心にシコリみたいなものは残り続けてる。

6月1日、本当ならば、ツアーの最終日。
wowakaさんの追悼会の日。それは、なんだかとても、「wowakaさんが居なくなった」という事を認めなくてはいけないXデイのように、感じていた。
忘れてしまいたくて、友達と遊ぶ予定を入れて、美容院も予約して。努めて平静な一日を過ごそうと思っていたけれど、「忘れられるはずもないだろう 君の声が今も聞こえる」。

前日、5月31日。何かを察したように、同じくヒトリエのファンだった友人から電話があった。酩酊状態のふわついた声は、お酒の所為なのか、涙の所為なのか、やけに聞き取りづらくて。

「この前会った時は、取り繕っちゃって、あんまりちゃんと吐き出さなかったから。」
「他のライブに行ってもね、重なって泣けちゃうんだ。」
「2か月じゃあ全然足りないね。何にも実感ないもん。」
「今度ちゃんと泣こうね。ライブDVD見てさ、一緒にちゃんと泣こう。」

支離滅裂にふわふわ喋る話を聞きながら、笑って、少し泣いて、そんなものだよなぁ。と少し嬉しくなった。
いつまで凹んでるんだろうな、っていう女々しさは理解していた。何なら一番つらいメンバーだって、前向いてちゃんと歩き出してるのに。いい加減にしろよ、って思ってた自己嫌悪を、「当たり前だよ、仕方ないよ」って肯定してもらえて、単純に嬉しかったんだと思う。
大阪にも遠征して、サイン会にもいって、サーキットイベントもヒトリエの為だけにチケットとって、すごくちっさなホールの時から一緒にきゃあきゃあ言ってた友達だったから、余計。

2か月じゃ足りない。そうなんだ。認めて、自分の心に沁み込ませるにはもう少し時間がかかる。まだ甘えさせてほしい。もう少し時間が欲しい。だから、追悼会の生放送は、予約をして、いつでも見られるようにしておいた。1人ではきっと見られない、耐えられない。
だから、覚悟を決めたら、見よう、なんならその友達と一緒に。そうやって2人で泣いて、思い出を語ろう。そう思ってた。
 

追悼会の内容詳細は、当日になっても何も発表されなかった。
wowakaさんがいた時のDVDを流すにしろ、トークショーみたいな形をとるにしろ、空いたセンターの横に並ぶ、シノダさんとイガラシさんを考えただけで胸が痛んで苦しい。一度インフルでwowakaさんが欠席になってしまった時とは、全然話が違う。
あの時、確かにあった「いつか」は、今度は絶対に訪れない。

18時過ぎ、メソメソとした私の呟きを見たのか、別の友人からラインが届いた。
「追悼会、ちゃんと見るべきだよ。ちゃんと見送るべき。リアルタイムから目を逸らして欲しくない。」
文字を目で通して頭で理解した瞬間、ふつりと頭が煮え滾るようにカッとなった。
真っ当過ぎる正論に、また逃げ出そうとしてる自分を咎められた、まさに「耳が痛い」「図星」。でも、昨日話したんだ、覚悟を決めたらちゃんと向き合う。今1人では嫌だ、2か月はまだ短い、ずっとずっと好きだったんだ、何にも知らないくせに。
勝手なことを言うな。

「私もね、今見てるよ。3人で頑張ってるから 目の前のライブはマイナスじゃない。」

綯い交ぜのぐちゃぐちゃの感情で睨みつけたスマホに映し出された続きのラインに、私は目を丸くした。ライブ?誰が?追悼会で?3人?ライブ???

ヘッドフォンをそのままに、衝動的にニコ生のアプリを開いて、つなぐ。
名古屋駅のホームの所為で、Bluetoothはノイズが入り混じって、全然聞こえやしない。
それでも、途切れ途切れでも聞こえてくる音を、私が間違える筈も無い。
ヒトリエが最初に作った曲、wowakaさんのヒトリエ名義最初の1曲、
「カラノワレモノ」

考えなかったわけじゃない。ライブをやるかもしれない、とは思った。
でもそれは、一番、一番、居なくなった穴を如実に晒す行為になるのではないかと、そう思っていた。だって、本来今日、ライブに来る予定だったのは、ここに立つ4人を見に来た人たちなわけで。ぽかりと空いたセンター、足りない音、違う声。それは、ヒトリエのファンが望むものではないし、そんな選択をあの3人がするとは思っていなくて。

馴染み深いイントロに次いで乗ったのは、聞き覚えの無い、いやむしろずっと聞いていた声。もともと上手な歌声に、違和感なんてまるでない。でも、ヒトリエの難しい楽曲なんて、リードギター弾きながら歌えるわけないじゃない。
それでもシノダさんはギタリストとは思えない素敵な歌声で、ボーカルとは思えないかっこいいギターリフをかき鳴らしながら、見事に、歌いあげる。ハモリはゆーまおさんとイガラシさんが担当して、wowakaさんのパートはイガラシさんがベースでアレンジして。
いつもクールに冷静にベースをつま弾くイガラシさんが、なんだかとても違う人のように思えた。冷徹、冷静、そういうのをかなぐり捨てて、ベースを抱きしめて、掻き抱くように、荒々しく、でも音の流れは、とても綺麗で。

それでも、足りない。どこまで埋めても足りない音がある。いない人が、いる。
でも、どれだけ、どれだけ練習したらこんなことが出来るんだろう。2か月しかなかったのに。たった、たった2ヶ月。隣で、目の前で歌っていた人が居なくなって、それを認めて、埋めるものを考えて、形にして。それは、どれだけ、どれだけ大変で、どれだけ強さが必要なことだったんだろう。

「凄いものを見ている」
ニコ生のコメント一言がまさに全てを集約していた。
wowakaさんの追悼会なんて、そんな厳かで淑やかなものじゃない。
これは、覚悟で、証明だ。前に進むことへの。

wowakaさんは、良くも悪くも楽曲だけが独り歩きをしているような人だった。
訃報が出た後、Twitterを漁っていた時、「wowakaさんは知っているけど、ヒトリエというバンドの事は知らない」なんて人はそれこそあちこちに居た。その人たちが、「今ヒトリエを聞き始めた。なんてかっこいいんだろう。もっと早く知りたかった」なんて呟いているのを見るたびに、私は身勝手ながらに腹を立ててた。
そういう人たちがこんなにも居るなら、もっと早く存在を知ってくれてたら、ヒトリエはきっともっともっと高みに行けたはずなのに、って。ZEPPツアーだって夢じゃない、もっともっと活躍できるバンドに慣れたはずなのに。って。

「気持ちはとてもよくわかります。でもwowakaさんなら「でしょー?俺らのバンドかっこいいでしょー?」って笑って言うと思いますよ。」

同じような事を呟いていた子にツリー付けされていた返信をみて、ああ、間違いなく。きっとwowakaさんなら、そう言うんだろうな、と確かに私は思った。

このライブを見た時にも、全く同じだったから。
3人で、涙と汗でぐちゃぐちゃで、でも3人で今出来る全てを精一杯やりきってるのを見てたら、「俺が選んだ3人、かっこいいでしょ!」って頭上から、そんな風に言われている気持ちになった。
うん、ホントにかっこいい。wowakaさんの選んだ3人は、本当に最高の人たちだよ。
私が好きになったバンドは、こんなにもかっこいいバンドだったよ。

ぽっかり空いたセンターを見るのは怖くて、今だって全然慣れていないけど、
その、無くなったものもちゃんと包み込んで、そして前に進んでいく覚悟が見えた。
踊るマネキン、アンノウン・マザーグース、トーキーダンス。青、ローリンガール、全部で10曲も。
時折映る観客は、みんな涙でぐっちゃぐちゃだったけど、それでも腕を振り上げて、泣きながら、笑って、歌って、踊ってた。負の感情も生の感情もどっちもあっていいんだ、と。
無理にどちらかを捨てる事はないんだと、当たり前ながらに、そういわれているようなそんな気がした。

「少なくとも、解散はしないと思います。」

そう、シノダさんが言っていたから。
ヒトリエ、まだまだ魅せてくれそうですよ。

「ヒトリエです。よろしくどうぞ。」

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