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ヒトリエって最高だ

Thank you wowaka

6月1日から、もう10日以上も日が経っているのだと今気が付いた。
その日を越えるまでの2ヶ月間は地獄のように長かったのに。
 

「瞬きしてあたしに灼き付けて」

初めてヒトリエの楽曲を聞いたのは5年以上も前になる。

YouTubeに選曲を任せて別のことをしていたら“変な曲”が流れ始めたので、
どれどれ…と画面前まで戻ってきたら、やっぱり“変な映像”が流れていた。

モノクロのMVには、大きな目ん玉のついたボックスを被った女の子が映し出されていて、なんていうか、その、斬新だった。

ヒトリエとの出会いの曲は、後に幾千と聴くことになる「シャッタードール」だったが、1度目の出会いはそこまでセンセーショナルなものではなかった。

ただその“変”な曲調が少しばかり気に入ったので、もう1曲くらい聴いてからこのバンドを判定してやろう…なんて何様気分で、関連動画に上がっていた「カラノワレモノ」の再生ボタンを押した。
 
 

___衝撃だった。
 
 

聴き終える頃には画面に釘付けになっていて興奮で鼻息も荒くなっていた。

「なんなんだこのバンドは…ヒトリエってなんだ…
誰なんだこのボーカルは、、この演奏は、、」

次々に興味が湧き出てきて止まらなくなっていた。
端的に言って『スゴいの見つけた!!』ってそんな気持ちだった。

ありったけのネット情報をかき集めたおかげで、
遅ればせながら「wowaka」とメンバー、そして「ヒトリエ」の存在を認知した。

今年25歳になる私が中高生の時はボーカロイドの全盛期だったし、ローリンガールや裏表ラバーズは何度もループ再生していたのでwowakaの楽曲には前から触れていたようだった。なるほど好きなはずだ、とそこで合致した。これまでのどんな音楽とも違う。これはどっぷりとハマって大好きになる予感がしていた。

その日からは毎日が違う。それまでに販売されていたCDを聴き漁り、酔いしれ、心の中で何度だって踊った。特に寝不足気味の明け方、物静かな邪魔の入らない時間帯に聴くヒトリエは最高だった。
雨の日の帰り道、電車の中、1人の時間にはヒトリエが欠かせなくなった。
中毒性があるなら最初から注意書きをしておいて欲しいくらいだ。無限に脳内再生される楽曲のせいでテスト勉強を邪魔されたことを覚えている。

これは本物を聴いておかないと!と、’17年には『IKIツアー』にも参加した。
「ヒトリエです、よろしくどうぞ」を皮切りに、抗うすべもなくそのまま異次元に連れていかれた。緑や青、赤と代わる代わる照明が点滅し、会場の猛烈な熱気を感じながらwowakaの声に耳を傾ける瞬間。
かき鳴らされるギターやベース、心臓に響く重低音と、最高にうるさいドラムが相まって、焦がれ続けたヒトリエを、完璧までなヒトリエをすぐ側に感じることができた。

日常の中で抱える孤独や疎外感、表現しきれぬ感情に名前を与えてくれたのがwowakaで、それを音にして形にしてくれたのが「ヒトリエ」だった。音源で聴いていた曲が目の前で再生される感動は計り知れない。心底震え、ライブ後には立っていられないほど全力で時間を共にした。あんな空間初めてだった。

かくして初めてのライブは最高に楽しい思い出となった。あの時汗まみれになってしまったライブTシャツは今も大切に部屋に飾ってある。前年のライブDVDもお気に入りだけが並ぶ棚の上だ。ヒトリエは特別な存在であった。
 
 
 

__2019年4月8日
 
 

突然の訃報は例外なく仕事中の私のもとにも届いた。最初に見た2chの書き込みがPCを扱っていた私の手元を一瞬狂わせた。
 

「匿名:wowoka急性心不全だって」
 

またタチの悪いイタズラでしょうとまだ平静だった。人が死ぬなんてことは大抵すんなりと受け入れられるものではない。突然死なら尚更だ。多分本気で信じていなかったんだ、次の瞬間までは。

嫌なスレだな…と顔をしかめながらツイッターに移動した時だった。

トップニュースに躍り出た「享年31歳」の文字。
目が丸くなる。次いで心臓がドクンと大きく鳴ったのを感じた。
 

あぁ…やめてくれ…。本当にそれだけはやめてくれ…。
 

「急性心不全のため死去」という文字の背景には、ライブ中のwowakaの写真が使われている。何度だって見てきたんだ、見間違える訳がなかった。
それは紛れもなくwowakaだった。
 

仕事など何も手につくはずがなかった。

今朝だってヒトリエを聴いて出社したんだ。居なくなる訳がない。居なくなる訳がないんだ。あの空間に連れ出してくれた人が簡単に消えてしまう筈がない。

信じがたいニュースだったが現実は何度も何度も心臓に刃を突き立ててきた。
死について理解するにはこの後も膨大な時間を要したが、
その時は大好きなものにベタベタとお悔やみの文字が貼られていく様に悲嘆した。
 

やめてよ、やめて…。
神様、wowakaを連れて行かないで。
 

毎晩のように声を上げて泣いた。ボロボロ泣いた。
こんなに泣けるなんて思ってもみなかった。
私ってこんなにwowakaが好きだったんだっけ…?
 

この時、多くのファンが「ヒトリエを聴けない」と呟いていたが私は逆だった。
居なくなってはいない。まだここに居る。
そう言い聞かせて、wowakaの存在を確かめるために毎日ヒトリエの曲を聞き続けた。
 

訃報が飛び込んできた時は私も消えてしまいたいと思った。
今聴いたらその思いが強くなってしまう気もした。
でもwowakaの声を聴いた時に「生きろ」と言われた気がしたんだ。

それでも、寂しいよ。歩けないよ。
 
 
 

__2019年6月1日
 
 
 

この日が永遠に来なければ良いとも、早くきて欲しいとも思っていた。
複雑な気持ちを抱えた重たい朝だった。

追悼会の開催が決まった時には這ってでも、血反吐を吐いてでも行こうと決めた。一点の曇りもなく大好きだと言えるものがあることが誇らしかったし、こんなに夢中にさせてもらえたものはなかった。この感謝を伝えない訳にはいかなかった。

暑い日だった。カンカン照りだった。会場にいつものライブ待ちのワクワクした空気などない。皆一様に暗い顔。当然だ。絶対的な存在を失ったのだから。

私は定刻より少し早く会場に着きその時を待っていた。
開場後、最初にグッズ販売に並んだ。もう2度と買えないかもしれない…そんな苦しい気持ちでいっぱいだった。
その足で写真展も覗いた。どれも美しく素敵な写真たちだったが、正直、数秒前に見た写真も覚えていられないほど心は動揺していた。
後に控える献花が憂鬱でたまらなかったのだ。

そしてその時は訪れた。グッズ売り場や写真展とはガラリと空気の違う異質な空間が口を開いて待っている。
入るのが怖かったが「感謝を伝えなければ」と、その使命のために意を決して足を踏み入れた。

喪服姿の係員から白いカーネーションを受け取る。
右手側に見えてきた祭壇に体を向けてまっすぐ歩を進める。嫌だ…。

震える体を抑えて覚悟を決める。深呼吸をして顔を上げると、綺麗に敷き詰められた花々の真ん中に大好きな音楽をくれたwowakaの写真が飾られていた。

もう限界だった。堪えきれなかった。込み上げてくるものが抑えられず、
嗚咽を漏らし、人目も気にせず泣き出してしまった。
4月8日、あの日の訃報は本物で、時間は進んでいるのだと認識せざるを得なかった。
 

これは“現実”だ。 
ボロボロと大粒の涙を流しながら献花会場を後にした。
 
 

___同日18:00
 

訃報を聞いた4月8日の次ぐらいに、気分は最悪だった。現実を突きつけられ、終わりを感じていた。でもメンバー3人に会える事だけは希望だった。3人にもお礼を言わなければいけない。「ヒトリエ、ありがとう」

その時はきた。暗幕が上がり、ステージ奥のスクリーンにwowakaが映し出され、音が流れる。手前に用意された楽器たちが主の登場を待っていた。

「あぁ…そうか、映像を流しながら演奏するんだ」と察した。
ボーカルの居ないライブなど前代未聞だ。どうなるかなんて誰にも想像し得ない。
皆が不安だった。メンバーも同じだったと思う。
 

SEが流れ始め、シノダ、イガラシ、ゆーまおの3人が登場する。
wowakaのギターを持って。

前に立つだけで、どれだけ勇気付けてくれたか分からない。
ファンにとってその存在を身近に感じさせてくれる事に、どれだけの意味があったか。本人達にも計り知れないだろう勇気を与えてくれた。もう、それだけで胸がいっぱいだった。

何を語るのだろうと、皆 固唾を吞んで見守っていたと思う。
シノダが口を開く瞬間をゆっくりと待った。

そしてシノダは言った。
wowakaが信頼してくれた3人でステージに立つべきだと決めた、と。
 
 

そしてもう一言。
「ヒトリエです、よろしくどうぞ」
 
 

涙が一気に溢れ出た。
各々が悲しみを精一杯背負って今日まで必死に生きてきたんだ。とめどなく溢れる悲しみを抱えて、この日、この時、この瞬間のために這ってこの場にやってきた。

よく「会場の一体感がすごかった」なんて表現が使われるが、
他のどんな場面よりも濃い一体感を持ってファンが「ヒトリエ」を迎え入れた瞬間だった。
呼応するように奇跡の時間が始まる。誰も想像できなかったと思う。
シノダが全曲歌うこのステージを。

嗚咽が漏れるお通夜同然のスタートから一変、会場のボルテージは際限なく上がっていく。熱気と、汗と、涙で。wowakaの血が流れている曲が、音が、光が、全てをあの空間に連れていく。

ああ、wowakaが歌っていたあの時と同じだ。

むせ返るほど生き苦しい酸素の薄い空間。
揉み合い、押し合い、涙でぐちゃぐちゃになりながら「生きてる」と感じた。

2度と行けないと思っていた場所、2度と感じられないと思っていた幸福、それを3人がもう1度感じさせてくれた。これだ、これが私たちの「ヒトリエ」だ。

今日この日のために生きようと必死に抗い続けたことが報われた気がした。
ヒトリエって最高だ。
 

どこまでも遠くへ行こう!と言っていたwowakaのステージを作り上げてきた3人は本物だった。ファンを進ませるために、1番辛いはずの3人が、ヒトリエが、絶望から救ってくれた。
 

「ありがとう」と伝える心持ちでいた。
 ありがとうの後に続くのは「さようなら」だと思っていたから。
「だいすき、でした」と言うつもりだった。

そんな自分を殴ってやりたくなった。
 

ヒトリエは生きてるよ。
wowakaも、そこかしこに生きている。
 

「ありがとう」の後は「これからもよろしくお願いします」であり、
 この先もずっと「大好きです」でいいんだと、教えてくれた。
 

まだまだヒトリエを好きで居ていいんだと
wowakaの旅は終わってないと、そう教えてくれました。
 

白いカーネーションの花言葉の意味を再認識した。
私の愛は生きています。
 

これからも、私の人生にはヒトリエが必要で、それでいい。
Thank you wowaka.
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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