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大人って楽しいんだ

サザン40周年ツアーの千秋楽で感じた想い

両親が営む飲食店の有線放送から頻繁に流れる、おじちゃんの声があった。そのおじちゃんが歌う曲は、お客さんで来ている大人たちが全員、知ってて当たり前のように口ずさんでいた。叔母の車内で掛かる楽曲があった。実家の店で流れてくるおじちゃんの声だった。「この歌、誰の歌?」と聞いても幼き頃の自分には歌手名が覚えられなかった。
けど、大人全員が熱狂する現象に、どこか“熱い胸さわぎ”を感じてた幼き自分も確かにいた。

テレビ番組で「ほら、前に聞いてた歌手、この人だよ」と言われ、ブラウン管に目をやると、スタジオ中を縦横無尽に暴れるおじちゃんがいた。カメラに股間を近付けるし、周囲に水着の女性もたくさんいる。幼少期の僕には衝撃的過ぎて、自分が関与しない“大人の世界”だという印象を受けた。そのおじちゃんは“何だか有名なエッチなおじちゃん”のまま自分の中で消化された。

小学生の頃。確か三年生かそこらの時、林間学校のバスの中で流す曲を決めるクラス会議で、僕はそのおじちゃんの曲を提案した。他のクラスメイトはアニメの主題歌などを提案する中で、僕だけ異端だった。僕は歌詞の意味も分からないくせに、ただ「エロい」というイメージで分かったフリをして、笑い転げて見せた。「君たち、このエッチな感じが分からないのかい?」と言わんばかりに。実際は、エッチなことを分かってる自分は君たちより大人なんだよと気勢をあげていただけだった。
クラス中が大論争になった。それまで黙っていた担任も論争に加わった。果たして林間学校で《恋人同士だから飲む/ロマンティックなあのジュース》は正しいのか? 結果、林間学校のバスの中におじちゃんの歌声は流れた。

年月は過ぎ去り、高校を卒業した頃、世間はミレニアムだと騒いでいた。
大人になった僕は大学の勉強とバイトに勤しむだけの《意味の無い流行の言葉と見栄》を張り、《教えられたままのしぐさに酔ってる》だけの何者でもない普通の人間だった。趣味もなくてインドアで。
その頃のおじちゃんは、《思い出はいつの日も雨》と歌われる曲が大ヒットしていた頃で、生まれ故郷である《エボシ岩が遠くに見える》地で凱旋ライブをやって翌日の新聞の一面にも載ったりと何かと話題だった。
テレビの生中継で、その様子を見て感動を覚え、おじちゃんと久々に再会することになったが、それは、かなりディープな再会だった。
すぐさま、泣け無しの小遣い片手にCDショップに走って行き、ベストアルバム『海のYeah!!』を早速買って来て、蝉の声が鳴き響く街の喧騒を遮るようにイヤホンを耳に差し込み聞き込んだ。
《四六時中も好きと言って/夢の中へ連れて行って》と歌われるバラードに感動して、鳥肌が立ち、涙腺が緩み、《それにしても涙が 止まらないどうしよう》と思った。
その頃は、好きな相手にも《見つめ合うと素直にお喋り出来ない》自分の不甲斐なさで、冴えない夏を過ごしていた僕の夏でも、おじちゃんの奏でる歌と声は魔法を掛けたように、なんか自分の夏が充実してる錯覚を覚えさせた。

おじちゃんの影響を受けて、大学で軽音サークルに入った僕は、そのサークルの先輩が誘ってくれたお陰で、人生初のライブ経験を果たすことになった。人生初の日産スタジアム。2003年のことだった。おじちゃんのバンドが25周年を迎えて盛大に祝う、ド派手なライブだった。
初めて生で観たおじちゃんは凄かった。パワフルで、底知れぬバイタリティで、数万人の大歓声を受けるに相応しいカリスマだと思った。何より周囲のお兄さん、お姉さんの熱気に圧倒された。自分の知らない世界があって、その世界はこんなにも愉快で楽しいんだと気付かされた。

そこからは毎年おじちゃんと必ず会うようになった。チケットの神様の協力もあって、お陰様で。
横浜アリーナの行き方は慣れたもんだ。車で片道7時間くらいかけて浜名湖の渚園にも行った。まだ若かった10年前は、雨が降りしきる中、合羽も着ずに日産スタジアムで微妙な面持ちでいたっけな。
2005年に茨城のひたちなかの「ROCK IN JAPAN」に出ると言うので、人生初のフェス体験も、おじちゃんきっかけで出来た。その時に、いろんなバンドを知れて、より深い音楽の世界にハマることになって、今では年間数十本のライブやフェスに行くようになった。
おじちゃんは、趣味なきインドアだった僕を外交的にさせてくれた恩人でもある。友人からは“音楽と言えば僕”と名指されるように、仕事以外で自分を象徴するものが持てた。《ひとりひとりの命にゃ意味がある/生きてく理由がある》のだとすれば、自分はより良い音楽に出会うためなのかなと思っている。
それ以来、ひたちなかにも、それから14年間連続で行っているのは、おじちゃんとの再会を望んでいた側面もある。だから、2018年にひたちなかで再会できた喜びはひとしおだった。ワガママを言えば今年も会いたかったけどね。

それから数十年、大人になって《悲しくて酔えないこともある》し、《鬼が行き交う世間/渡り切るのが精一杯》だけど、なんとか元気でやってきた。昨年2018年6月25日、おじちゃんのバンドは40周年を迎えた。その千秋楽に当たる2019年6月16日、両親と東京ドームに足を運んだ。こうやって両親連れて親子で来れるライブは、おじちゃんのライブしかない。おじちゃんの存在は、親子の会話も作ってくれるのだから感謝と言うか凄いなって思う。数か月前から、僕も走って体力作りはしてきた。記念すべき40年を全力で祝うために。
しかし、蓋を開けてみれば、祝祭的な意味合いよりも、結局は、純粋に「楽しい」という感情が勝っていた。おじちゃんが示すのはいつも明快だ。とことん楽しいのだ。

《TOKYO,The world is one!!》と高らかに歌い上げた感動的なオープニングから、シュワシュワした新曲に続くなど、最初から最新モードの現在の自分を見せてきた。
この日、演奏された楽曲は、実は大半が、渚園、ディファ有明、日産スタジアム、横浜アリーナなど、これまでおじちゃんのライブで見て聴いてきた楽曲が多く、その頃の思い出がフラッシュバックしてきた。その頃の自分の状況とか心情が甦って来ては懐かしんだり、切なくなったり、嬉しかったり、もちろん忘れたいこともあったり、喜怒哀楽が激しく渦巻いた。おじちゃんの曲は僕の人生そのものであるのだ。
冒頭で言った有線から流れてきた楽曲も聴けた。《修羅場穴場女子浮遊》《愛乃場裸場男子燃ゆ》と英語のように歌われる日本語歌詞が印象的で、会場で踊る僕は、あの頃、店のスピーカー横で踊っていた保育園児に戻っていた。
高校時代にテレビのCM曲でよく耳に入って来た《CRY 哀 CRY/汝は妖艶たる美/さも不埒なる愛》と歌われるハード・ロックも懐かしい。日本語歌詞に力を入れて作られた楽曲が多かったように思えた。

この日の、おじちゃんは大ヒット曲や人気曲を中心にして40年を総括するのではなく、マイナー曲もふんだんに歌った。個人的には嬉しかったけど、意外だなとも少し思った。
帰りの道中、その意味を考えていたのだけども、おそらく、昨年から始まった40周年の活動、NHKホール、ROCK IN JAPAN、紅白歌合戦と、おじちゃんは全てを包括的に単一の活動と捉え、その全てが似通ったライブにならぬようにした気がした。
国民的バンドと評されることが多い、おじちゃんのバンドは、コアなファンでなくても、ライブ前に予習しなくても、誰もが知ってる曲が各々あって、誰もが楽しめるという根拠なき期待感が向けられる。おじちゃんは今回それとは違うアプローチをした。これって、おじちゃんの生涯現役宣言にも思えた。
30周年の活動休止時に集大成的ライヴを成し遂げ、観客に思い残すことはないと言わしめたけど、今回の40周年で伝説を作らなかったのは、総括的に振り返られ過去の遺物にされることを嫌ったおじちゃんなりの反骨で、こんな知られざる俺たちの顔もあるんだ、まだまだ見せるべき自分たちの表情があるんだという、バンドが発展過程であるメッセージを僕は感じた。
それでも、《今 何時? そうね だいたいね》と歌っている時の、おじちゃんも、会場のボルテージも、最高潮に達していて、無敵感と言うか、“これ以上の祭り、日本に無いでしょ!”と言いたくなるほどの、物凄い高揚感だった。何十回と見ているのに、年々その高揚感が増すことに不思議な気持ちと、今後一生「今何時!」を叫び続けたい気になった。

この日のおじちゃんはアンコールで《信じたモノはみんな/メッキが剥がれてく》と、時の流れを憂いた。おじちゃんだって還暦過ぎてる。僕の両親と同世代だ。それでも変わらぬ力強いパフォーマンスで素敵な思い出をくれたおじちゃんには感謝しかないけど、メッキが剥がれるのも人生だと教えてもらった気がする。それもいいんだと。2005年のアルバム『キラーストリート』をリリースした際のテレビのインタビューで、おじちゃんが「枯れていくことは枯れていくんだけど、歳を取るってことは絶対に素晴らしいんだ」と言ったのを覚えている。
人ってどこか年を取ることを憂いたり、恐怖だったり、ネガティブなイメージを持ちがち。けど、あの日、初めてテレビで暴れるおじちゃんの姿を見て以来、何十年と信じてやまないことがある。

それは……

「大人って、こんなにも楽しいんだ」ってこと!

楽しめるか否かは、その人次第なんだ。年齢は関係ない。言い訳にしてはいけない。老に抗うというよりも、ありのままを受け入れて、おじちゃんのように楽しく歳を取り続けていきたい、楽しい大人になっていたい、この日の40周年ライブを見て心に刻んだことでもあった。また、近い将来、ライブで会いたいな。両親も来てくれるかな。そういや、両親の経営する飲食店も、おじちゃんのバンドと同じ年齢だった。40年、ひと言では言い表せない尊い年月。

おじちゃんとは、いつ出会ったでは無く、気付いた時には僕の人生にいた。
それから約40年、おじちゃんに魅了された僕は《めぐり逢えた瞬間から魔法が解けない》でいる。
これからも、ずっと永遠にそうだろう。

だから、今までの僕の冴えない人生に素敵なBGMを流してくれたことへの感謝と、今後もよろしくお願いしますと言いたい。

おじちゃん……いや、桑田さん、サザンの皆さん、これからもアッパーで楽しく共に人生を歩んでいきましょうね!

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