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“ミヤジの部屋”へようこそ

ソロ初ライヴ!宮本、弾き語り ライブレポート

 ありとあらゆるものの密度が濃かった。そして、その濃さをかき回すかのように“混沌”が渦巻いていた―。これは6月12日、宮本浩次53歳の誕生日にLIQUIDROOMで開催された〈ソロ初ライヴ!宮本、弾き語り〉のライブレポートである。

 昨年エレファントカシマシは、30周年を祝うべく、さいたまスーパーアリーナでライブを開催し、さらに今年1月には日本武道館で新春ライブ行ったが、この日のソロライブは、LIQUIDROOM、900人というキャパシティー。その大きさの違いだろうか、あるいは密度の違いだろうか。会場に入った瞬間なんとなくではあるが、これはエレファントカシマシのライブとは違う、そう感じた。そしてその違いは“雰囲気”的なものに収まらず、開演前のSEにまで及んでいることに気が付いた。

 思えばエレファントカシマシのライブの時は毎回、The Rolling StonesやThe Whoなどの1970年代のクラシック・ロック、あるいはThe Stone RosesやRadioheadなどのオルタナティブ・ロックと、宮本のルーツ全開の選曲になっていた。だがこの日は、Billie EilishやThe Japanese Houseを始めとする、2010年代のアコースティック・エレクトロのような選曲。開演間近、エレファントカシマシの時だとそのSEに鼓舞され、「さあ、かかってこい!やってやろう!」といった感じに気合が上がるのだが、この日はひたすら心地の良い音に身をゆだねるばかりだった―。

 開演時間ほぼぴったりに場内は暗転。まもなく割れんばかりの歓声とともに、宮本は登場する。この日新調したという、黒い水玉模様が入った黒シャツを着、胸元には赤いネクタイを結んでいる。顔の方に目を移すと、まさに絵にかいたような緊張の面持ち。固唾を飲んで見守る観客、一瞬の静寂が会場包み込んだ。というよりも、その視線からくる“緊張の糸”が四方八方びっしりと張り巡らされているように見えた。そんな中で披露された「風と共に」。ほどなくして演奏は中断。宮本、弾き“直し”である。数回コードを確認したのち、仕切り直しでもう一度、「風と共に」が披露された。演者と観客を引き合っていた緊張の糸は一瞬にしてほどけた。

 この日は、アコースティックギター一本だけで奏でられるこの楽曲は、コード進行や細かい息遣いまで分かった。ギターを弾く指の動きに視線を移すと、メロディーが目まぐるしく行き来するように、忙しくオクターブを右往左往している。大きなストロークによって生じる強いアタック音はベースのように聴こえ、さらにその刻み方はまるでドラムのように跳ね、グルーヴが生まれていた。なんというかそれは、4人分のサウンドを1人でやっているようにも思えた。

 続いて披露されたのは、CM曲にも使用された「going my way」。冒頭、2つのコードを弾いただけで一気につかまれた。「すみません、ここまでしかできてません」といっていたように、ワンコーラスだけが披露されたが、それだけでも会場を盛り上げるのには十分。ようこそ、来てくれた!そんな風にも受け取れるような演奏だった。そして間髪を入れずに「おはよう こんにちは」へ。アコースティックギターのサウンドに内包されたこの楽曲は、バンドアレンジの時ように“ぐにゃぐにゃと空間を歪める塊”ではなく、曲の“中心核”のような様相を呈していた。歌とギターの音だけが聴こえる空間。それだけで十分といわんばかりに、音の濃淡を表現する。やはりこの日は、“1人4役”になって演奏をしている感じがした。

 「偶成」は、宮本のタイミングで唐突に始められた。そうかと思うと、いきなり演奏をやめて、チューニングをし始めたりする。まさに、“宮本の部屋”に入り込んだような気分である。宮本は声に強弱をつけて歌っていく。破滅的に叫ぶ部分と、羽毛で優しくなでるようにして歌う部分。そして、骨組みだけのようなアコースティック・サウンドによって、この曲にある美しさが際立っていた。エレファントカシマシ・バージョンでも、この楽曲はギター一本の音に、他のパートの音を補完するようなアレンジではあるが、それさえもそぎ落とし、“曲の内部、見せます”といった感じでその深部が露わになっていた。続く、「四月の風」では、拍手する観客をジェスチャーでやめさせるような仕草をする場面があった。この曲はそういう曲ではない―。ここは宮本の部屋、いや“ミヤジの部屋”。ミヤジの部屋には“ミヤジの部屋の作法”があるのだ…。

 PCから、打ち込みのトラック音源が流され披露されたのは「解き放て、我らが新時代」。宮本一人、あとはギター一本だけ。けれどもドラムの打ち込みとベースの音が響き渡る。冒頭は、ギターを弾いていたが、途中からはギターを放棄して、歌に専念をする。すると、ようやくソロが始まったことを実感したのだった。そして「孤独な太陽」へ。この楽曲は最初、SMAPに提供する予定だったというが、結局それが実現することはなかった。それから20年近くが経ち、宮本はようやく曲を提供する側になった。その期に及び改めてこの曲は、当時を俯瞰しているようにも聴こえるのだった。“太陽”つながりで続いたのは、大学の講義中その歌詞を書いたという「太陽ギラギラ」。Dave BrubeckのTake Fiveのようなジャズのノリを、アコースティックギター一本だけで表現をしていく。まるで宮本そのものが“音楽の塊”になっていた。 
 
 満を持してソロ曲、「冬の花」の冒頭が演奏されたときである、ちょっとしたハプニングが起こった。「どうしました?大丈夫ですか?具合の悪い人、休んでくださいね」といって、宮本は演奏を中断した。会場内に何とも言えない心配そうな雰囲気が漂う。救急車が街を走っているときのような、あのそわそわとする感じだ。ただここでも宮本は、「エキセントリックな動きとかしてないですか、私。私は水を飲んでいますから、卑怯です… いや、卑怯ではない。やや卑怯です(笑)」と、優しさの混じった彼なりの冗談で会場を和ませる。初々しいソロライブとはいえ、そこはベテランといった感じの立ち振る舞いをしているのが印象的に映った。

 宮本は団地に住んでいた頃、部屋に籠って弾き語りで楽曲を作っていたといっていたが、この日はその当時に作られた楽曲が特に、輝きを放っているように見えた。終盤に披露された、1stと2ndアルバムからの4曲(「やさしさ」~「待つ男」)が披露されているときというのは、当時にタイムスリップをして、宮本が演奏しているプライベートな部屋を、透明になった壁の外側から覗き見ているような、そんな感覚すらしたのだった。アンコールでは、自筆イラストがワンポイントでプリントされたTシャツに着替えて再び登場。アンコールの一曲目に「月夜の散歩」でしっとりと歌われたかと思うと、「デーデ」では、滑稽に、そして皮肉たっぷりに歌い上げる。この“静”と“動”のふり幅の大きさも、この日はバンドの時以上によりダイレクトに伝わってくるのだった。 

 約1時間半、全20曲。普段のエレファントカシマシのライブに比べればかなり短めのライブではあったが、そんな感じはしなかった。というよりも「まだ20曲しかやっていないのか!?」というくらいの情報量の多さ、とにかく“濃密”だった。その濃密さは時間の感覚だけではなく、宮本との距離はもちろん、楽曲でもそう感じた。というのも、他の楽器の音がそぎ落とされたことで、今までバンドサウンドで埋もれていたものが掘り起こされ、楽曲の“心臓部分”のような、生々しさが露わになっていたからである。

 そしてその瞬間というのは、“エレファントカシマシの宮本”ではなく完全に“ソロアーティスト宮本”だった。当然ながらそこには、バンドという大きな看板や壁は存在しない。宮本は、「今日は自分のやりたい曲だけをやる」と意気込んでいたが、その中には「今宵の月のように」や「悲しみの果て」、「俺たちの明日」などのエレファントカシマシを代表する曲はなかった。その意味でこの日の宮本は、バンドから解放されていたといえるのではないだろうか―。そんなことを、“ミヤジの部屋”にて結論したのだった。

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