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すごい若者を見た中年の感想

Glastonbury2019でのBillie Eilishを(YouTubeで)見て

 現代社会は「個」が力を持つ社会だと考える。SNSやAI、ITテクノロジーの発達は個人に大きな「力」をもたらしている。これまでの社会は「分業」で成り立っていた社会である。それは効率を追求した社会の歴史的必然である。しかし「現代」においては「分業」はプログラムに担当させるものとなり、人間は「個人」において「分業」を管轄、統治するべき存在となっている。つまりひとりひとりが「神」なのだ。

 ビリー・アイリッシュのグラストンベリーでのパフォーマンスは極めて簡素な構成であった。プログラミング担当、ドラム担当、ビリー・アイリッシュ本人である。この3人に必然性は全く感じられなかった。おそらくビリー一人でやれと言われればやったであろう関係性に見えた。これは他のバンド構成をとっているアクトと対照的であり、そのコントラストは異常であった。
 ステージ上では40、50代のおっさんがアイコンタクトを取り合い、ニコニコして、おそらく加齢臭もするであろう体液をまき散らして観客と「一緒」に盛り上がる。この光景自体を否定するつもりもないし、私もそれが大好きなのだが、一方で「若い人たちはこれをリアルに感じるのだろうか」という不安、といっていいのかわからない妙な感情にさいなまれることもある。もしかしたらこれが「老い」ということなのかもしれないが。
 彼女のステージにはそれが一切ない。うしろのおっさん2人は完全に存在を消している。彼女もコンタクトを取ろうともしない。観客に対しても同様である。彼女は自身のファンにことあるごとに愛情を示しているようだが、それはまた別の次元の話になるのだ。パフォーマンスやクリエイティビティの場において彼女は徹底的に「個」である。おそらく心の底では「誰も信用していない」のだ。違う。「自分一人でできるから、別に他はいてもいなくてもいい」なのだ。これが彼女を圧倒的に「現代」たらしめている要因である。

 前述したように現代は「個」の時代であり、やろうと思えば(ここが重要なのだが)、一人であらゆることを完結できる環境がある時代なのだ。そして彼女はそれをやっている。ただそれだけのことである。そしてそれを極めて「現代」的に表出させている。それが「自分一人できるから、別に他はいてもいなくてもいい」なのだ。
 70年代は社会風刺としてのアーティストは観衆を啓蒙する時代だった。80年代は頭の悪いふりをした観衆と頭の悪いふりをしたアーティストとのビジネスの時代だった。90年代はオーディエンスの時代と言われアーティストは存在を溶かして観衆と一体化した。00年代はカリスマ性のあるアーティストが観衆を魅了する時代だった。10年代は…?
 彼女は90年代のような「苦悩」を押し付けることもない。70年代にあったような鋭い社会風刺をするわけでもない。80年代のように頭が悪いふりをする必要もない。00年代のようにカリスマとして観衆を「引っ張る」ことも望んでない。ただ、「自分一人でできるから、他はいてもいなくてもいい」である。ここに強いアティテュードはない。汗臭い体液もない。連帯?絆?どうでもいい。ただここにいるだけ。やれることをやってるだけ。それで何か不満がある?それならどうぞどっか行って。いたいならいてもいいけど。彼女のパフォーマンスからはそんな声が聞こえる。
 そしてこれが「現代」のリアルとして映る。SNSで「つながり」を求めるのはもはやおっさんだけだ。若者はただ「個」をぶつけるツールとして使っている。「私はここにいる。それを発信するだけ。不満ならブロックしてどっか行って。いたいならいてもいいよ。」そんな声が聞こえる。

 だって、一人で(やろうと思えば)できるから。

 グラストンベリーで彼女は「ひとり」でステージに立っていた。夕暮れの地平線が彼女の視線の先にはある。彼女はそこで何を見ていたのだろうか。私たちは何を見るのだろうか。

違う。

「私」は何を見るのだろうか。

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