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分かり合えない僕ら

BUMP OF CHICKENというコミュニティの作り方

時代状況に対する危機意識をどのように自らの表現に落とし込むのかは、そのアーティストの表現スタイルと深くかかわっている。
 これまでBUMP OF CHICKENが、そうした危機意識をアルバムでテーマ化したことはなかったように思う。しかし、最新作の「aurora arc」では、それが表明されている。
 今作のテーマをひとことで言えば、「個」あるいは「一人であること」。これまでにもバンプはそれを唄ってきたではないか、と言われるかもしれないが、今度のアルバムではそのテーマが、より前面に出てきている(おなじみのシークレット・トラックが「11」についての唄だったり、CDの収録時間が「1:11:11」であったりと、明らかに「1」であることが強調されている)。

 足元をよく見て階段一つずつ どれくらいざわついていても ひとり
 肩を擦るように避けながら 世界に何億人いようとも ひとり
                          -「流れ星の正体」

 なぜいま、「個」を唄うのか。それは、現在、社会のなかで「個」が危機に陥っているという認識が、藤原にあるからだ。
安易な共感でつながったつもりになって、互いに慣れ合うだけの関係性が世間には蔓延している。反面、その共感の輪に加わらない者に対しては冷淡で排他的となりやすい。そういう互いの「分かったつもり」に対する拒否感こそが、今作における「個」へのこだわりとなっている。人と人とはそんなに簡単に分かり合うことなんてできないし、もしそんな瞬間が訪れたならそれこそが奇跡であるとする認識が、バンプの表現には通低している。ソーシャル・メディアにあふれる言葉で簡単に他者とつながる時代状況は、バンプの表現世界と無縁である。どこかの国の指導者がTwitter上でつぶやく粗雑な言葉が生み出すのは、空疎な熱狂と分断だけだろう。
 
 言葉は上手に使ったら 気持ちの側まで 近付けるけれど
 同じものにはなれない 抱えているうちに 迷子になったよ
 僕らはお揃いの服を着た 別々の呼吸 違う生き物 
                      -「アリア」

 この孤独からはじめるしかない。そういう覚悟が唄われている。
 しかしそもそも、藤原の、そしてバンプの音楽世界は、容易く他者と共有できる性格のものではない。普遍的でありながら、必ずしも万人にとって共通の経験とはならない、そういった世界観が唄われている。しかも、その音にしても、現在のミュージック・シーンの動向とはあまり関わりがない(「U2」+「サザンロック」+「ファイナルファンタジー」+・・・というわけのわからない取り合わせの音楽性…)。
 さらにその歌詞を一瞥すればわかるように、欠落、不在、空白、消滅にこそ実在を見出すという、非常に特異な世界観を藤原は抱えている。ふつう私たちが「ある」とみなすものは、じつはそれほど大切なものではなくて、「すでにない」「いまだない」ものこそがリアルなのであって、それとつながろうとする意志が強い。「流れ星」が消える先に、つねに思いを馳せている。

 何も要らない だってもう何も持てない
 あまりにこの空っぽが 大き過ぎるから
                  -「月虹」
 
 溜め息にもなれなかった 名前さえ持たない思いが
 心の一番奥の方 爪を立てて 堪えていたんだ
 触れて確かめられたら 形と音が分かるよ
 伝えたい言葉はいつだって そうやって見つけてきた
                     -「Aurora」

 約束をしただろう 遥かな どこか いつか
 名前さえ忘れても 消えない灯火
 (略)
 やっと やっと 見つけたよ
 ちゃんと ちゃんと 聴こえたよ
 どこから いつからも
 ただいま おかえり
         -「シリウス」

一体、何を「見つけ」何が「聴こえた」というのだろうか? それは、形のない、つまり、直接目や耳で感覚できない何かであろう。藤原は、それを唄おうとしている。とても分かりにくいことにチャレンジしている。にもかかわらず、その表現が広く大衆性を獲得しているところが面白い。
 藤原が自らの内側できわめて個人的に抱えている形而上的世界観があって、しかしその世界観は簡単に他者と共有できるようなものでもなくて、だからこそ、安易に共感し合う世間には馴染めない。そのままであれば、藤原の作り出す音楽はきっと自閉してしまうだろう。閉じたサークルで愛好されるだけだろう。しかし、バンプの音楽は、聴く人誰もが感じるように、どこまでも開かれている。それこそ、宇宙大に。
 その秘密は、BUMP OF CHICKENがバンドであることにある。それも、とても奇異なバンドであることによって、閉じたものが開かれている。藤原がソロ・アーティストであったと想定してみよう(無理は承知で)。彼の言葉と音は、果たしてここまで多くの人々に届いたであろうか。彼が繰り返しインタビューなどで述べているように、観客やリスナーに自分の音楽が届いているはず、とどこまで確信できたであろうか。もちろん、あの類稀な歌声とソングライティング能力をもってすれば、独自の世界を切り開いていくであろうことは疑いない。にもかかわらず、その音楽がここまでの大衆性を獲得することはなかったのではないか。
つまり、米津玄師のようなアーティストにはなっていなかったであろうと思われる。というのも、藤原の描き出す世界観は、米津の音楽世界よりもずっとずっと通常の常識とかけ離れているからだ。表面的な音楽スタイルに目を奪われなければ、藤原の表現の「過激さ」を理解できるはずである。彼が一貫して焦点を当て、唄によって射抜こうとしているテーマは、それほど途方もないものだと思う。
 BUMP OF CHICKENというバンドの奇跡は、多くの人々が認めるように、あの4人が集合しているという事実に尽きる。藤原が抱える個的な世界観を、升・直井・増川の3人が必死に共有しようとする。他者と本当の意味で分かり合うことは難しい。それを十分にわかっていながらも、それでも相手を知り理解したいと願う。3人はそれぞれに、楽器を通じて藤原の内面世界と応答しようとする。その苦闘のプロセスこそが、バンプの音楽を生み出す。「わかってくれ!」という藤原の魂の叫びを、3人が全力で受け止める。
 バンプの音楽が私たちのもとに届く時にはすでに、藤原の世界は開かれている。それによって、あれほどわかりにくい世界観が無理なく多くの人々に届くことになる。升・直井・増川が奮闘してくれたおかげで。
 
 心臓が動いている事の 吸って吐いてが続く事の
 心がずっと熱い事の 確かな理由が
 砂漠の粒のひとつだろうと 消えていく雨のひとつだろうと
 貰った 名も知らない花のように 今目の前にあるから

 それだけ わかっている
 僕だけ わかっている
 
 だからもう 離れない
 二度ともう 迷わない
          -「アンサー」

最初にも書いたように、「aurora arc」という作品では、現代社会の状況に対するカウンターが意識されている。そのカウンターがどこまで有効なものかはわからない。にもかかわらず、バンプの4人が今作で提示したヴィジョンは、間違いなく反時代的なものである。彼等はそこで、他人同士がつながるという事の意味を再定義しようとしている。
おなじ趣味嗜好、おなじ政治的立場なんかを共有していれば分かり合えたかのように思いこんでいる人々に対して、「あなたは一人だ」という事実を突き付けようとする。そして一人であるというその事実は、私の中にたくさんの欠落や空白を作り出す。そうした空白や欠落から目を反らすことなく向き合うならば、そのとき、世間的な価値は意味を失い、本当に大切な何かに出会うことができる。
 しかも、バンプというバンドが私たちに教えてくれるのは、そのように孤独の中で見出した何かを他者と共有することもできる、という希望である。そこで発生している「つながり」は、現代社会でもてはやされている「つながり」とはまるで別物だろう。
 そのような反時代的な共同戦線に連なることを、バンプ・オブ・チキンはリスナーたちに求めている。その意味で、音楽を通してまったく新しいコミュニティを創造しようとしている。なんて野心的なバンドだろうか。

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