2359 件掲載中 月間賞発表 毎月10日
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

弱き存在を慈しむ優しい視点~石田洋介の歌う「エールソング」達

いつでも「弱きもの」を愛してくれる貴方への賛辞。

この春、配信限定で発売された石田洋介のシングル曲、「サマーデイズ」。

これまで数々のご当地キャラクターやそのご当地…つまり「町」や「人々」のために曲を書いてきた彼が「ご当地キャラクターのみんなで東京オリンピックを応援したい」という依頼を受けて書き下ろした新曲だ。

テーマ、そしてタイトルからも想像できるとおり、音の明るいサマーソングに仕上がっていて、「ニッポンチャチャチャ!」のコールで観客とともに盛り上がれる曲となっている。

しかし、この曲は単なる「元気な応援ソング」にとどまってはいない。
「東京オリンピック応援」というメインテーマに寄り添うようにそっと添えられている、オリンピックの輝かしい面の「影」にあるものへの、石田洋介ならではの優しい視点が点在している。
 

『どこよりも熱いこの時は/容赦なく事実を突きつける』
(石田洋介/サマーデイズ)
 

スポーツは往々にして勝者ばかりに目が行きがちだ。しかし、その裏には必ず敗者がいる。

彼は『僕らのあいちゃん』『みんなのよっちゃん』というフレーズに、新聞やテレビで華々しく活躍するスター選手ですらスターである前にひとりの苦闘する人間なのだ、という思いを込める。
あるいは、メディアに取り上げられることすらなく、誰かの華々しい活躍の影で泣き、苦しみ、闘っているという存在があることにも『隣のゆきちゃん』『向かいのけんちゃん』という言葉でさりげなく私達に気づかせる。

そして、勝ち抜いていざ闘いの場に出られたとしても、いい結果が出せるばかりではなく「容赦ない事実」…苦い結果も、涙も、苦しみも存在するのだということも。
いずれにしてもそこで闘ってるのはスーパーヒーローじゃない、私達の傍の「誰か」だ。

「その日のために死ぬほど闘ってるのは勝ちも負けもない、みんな一緒だろ?」と、そうした人の思いの「影」までも掬い取ったそのうえで、みんなで『人生最大の声あげ』『声を揃えて』力いっぱい応援しようよ、と歌っている曲だ。
 
 

この常に光とともにある「影」への視点は、石田洋介の曲に多く備わる視点だと思う。
そのことがよくわかる曲がある。

「サマーデイズ」の半年ほど前に、ある意味でこの曲と対になるようなエールソングを披露した。
「チアソング」。
サマーデイズでは曲の明るいサウンドの中にそっと紛れ込ませるように描かれていた「影」の部分を真ん中に据えて描いた曲だ。

観客の前で披露されたのは昨年12月、大阪本町「燈門」という小さなライブバーで、15人も入ったら酸欠になりそうなほど小さなハコに石田洋介のタフな声、強いエールが充満した。
初めて聴いたその瞬間から落涙を禁じえなかった。

『君を誰かが後ろ指で “やつは終わった”
言わせておけよ ヒーローは君だ
ずっと前から 戦い続けてきたんだから』

『力一杯 背中を押させてもらうよ 手拍子しよう 手拍子しよう』
(チアソング/石田洋介)
 

オワコンとか人が決めんじゃねぇよ、と。
終わりは自分にしか決められないだろ、と。
そう、主人公に語りかけるようだ。

うまくいかなくても、辛くても、今は立ち上がることすらできなくても、苦しみもがく、踏ん張る「君」へ送るエール。
 

どこまでも天に届きそうな、石田洋介のでかい声と、ジャングルビートのアニミティブな鼓動が、脚をさらに前に進めてくれる。
俯いていた顔を、顎をくっと上げて歩き出す勇気をくれる歌。
 

石田洋介というソングライターは常に光とともに在る影のことを忘れない。
弱っている人、心を痛めている人、日向に出てこられないものや誰にも言えずに苦しんでいるもの、闘っているもの、そういう存在を絶対に忘れない。

活動を始めて約30年、初期は「僕と君」という1対1の恋愛の歌であったり「僕の世界」の中での内省的な曲が多かったが、ご当地キャラクターとの出会いを機に、その詞の世界を広げ、より遠くに届く曲を書くようになって10年ほど、単に「大きい」だけじゃない、世界の大きさとともに「小さな弱い存在」にまで配られた目線が、聴く者に「これは私の歌だ」「僕の思いだ」「自分たちのための曲だ」という思いを強く抱かせ、強く心を揺さぶっているのだ。
 

2017年にリリースされたアルバム「MOSAIQUE」の冒頭に収められた、弾き語りの「モザイク」。

たとえ君が愚かであろうと、たとえ君がどれほど小さな存在であろうと、誰も君が生きること、君がやりたいことを阻むことはできない。
君は自由だ、と同時に、孤独なのだ。

人間はみなひとりで立たねばならない孤独を抱えていてそれはどうしようもないものなのだという諦観と、同時にそこれでもそんな存在を必ず見守る人がいるのだという希望を、力強いギターの音とともに嵐のように歌う曲。
その希望がどれほど孤独に立ち向かう人々にとって支えとなり力となるか。
 
 

2016年キャラクターコンサート「puzzle」のために書き下ろされた「PUZZLE」という曲では、どれほどいびつでもどれほどぶつかりあおうと、誰一人欠けていい人などない、欠けた部分すらどこかで必ずピタリとハマるピースになるのだ、と歌う。
今ではご当地キャラクターファンに強く愛され、常に会場中を巻き込んで大きな合唱というパズルを描くこの曲も、ただ誰もが大切だ、と歌うだけならここまでは聴く者の心はきっと打たなかったと思う。
誰もがジグゾーパズルのピースのようにどこか少し欠けている、あるいは飛び出ている、美しい形ではない。でもそのまま、ありのままでいいんだと歌ってくれる歌だからこそ、ここまで強く愛されるのだ。
 
 

何度も「アイタイ」という言葉を繰り返し、恋い慕う存在を強く求める「アイタイ」という曲。

ご当地キャラクターのファンの想いを歌ったこの曲も、たくさんの人に愛されているのだが(昨年、キャラクターファンを対象に取ったアンケートでも好きな曲ランキングのダントツ1位だった)、この曲においても、弱いままの貴方でいい、そのまま見せて欲しい、もがいて悩んでいる姿をこそ見せて、すべてを目に焼き付けるから、と愛する存在の「弱い姿」の肯定が曲を貫いて描かれている。

そんな貴方にアイタイのだ、と何度も何度も客席で彼とともに叫ぶ観客の脳裏にはそれぞれに大切な人、大切な存在が浮かんでいるはずだ。
 

彼の紡ぐこうした言葉の根っこにある「弱きもの、弱き存在をまず肯定する」視点。
人生や愛を個人的な視点で歌うときも、世界を大きな俯瞰の視点で歌うときも、必ず注がれるそうした弱いものへの視線が胸に迫る。
だから私は石田洋介の歌にいつも胸を衝かれるし、救われるし、聴いていて心を洗われるような、昇華する思いになるのだと思う。

僕の曲は女々しいとか暗いとか、時折、彼が自虐的にそんな風に言うけれど、そうじゃない。

優しいのだ。

それも、べったり甘く助けてくれる優しさではなく、そっと見守る優しさ。
頑張るのは君だよ、でも、見てるよ、と言ってくれる優しさ。
そのままでいい、と言ってくれる。
だめでもいい、と言ってくれる。

そしてこれらの曲は私達の毎日そのものへの応援歌としても響く。
私達の毎日もそれぞれの場所で「強者どもと闘う」ことや「戦士達と肩を並べる」こと、「誰も知らない涙が溢れる」こと、「歯を食いしばる」ことがある。
遠くの頑張っている誰かへのエールソングはそのまま、自分へのエールソングとして胸に響く。
みんなにがんばれ、と歌いながら自分も強く励まされていく。
きゅっ!と姿勢が伸びる。
 

そんな石田洋介の曲、言葉、歌に惹かれてやまない人達がいる。
インディーズのレーベルで何もかも自分でマネジメントしている彼がヒットチャートに上ることはこれからもないかもしれない。
それでも、1000人近いホールで、野外の大きな万単位の人が集まるキャラクターイベントで、30人程度の小さなライブハウスで、小さなカフェで…どんな場所であっても、彼の歌を大きな声で歌い、手拍子し、そっと涙する人がたくさんいるのだ。

確かなその歌唱力、豊かな声量、人の心に訴えかけるドラマチックな翳りを持った声。
80年代を愛し、豊かな音楽への素養と敬愛を惜しみなく注いだ楽曲達。
そして、何よりもその優しい視点に満ちた歌詞の世界。

「石田洋介」という力強いシンガーがいることを、もっともっと多くの人に知ってほしい。
苦しみ、もがいている人にこそ、彼の言葉が届いてほしいと願う。

常に優しい眼差しを持って世界を見つめている素晴らしい詩人へ贈る、拙いファンからの賛辞をここに置く。

  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい