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フジロックが誇り、トム・ヨークが求めるもの。

フジロック1日目、ホワイトステージでトム・ヨークを観た。

トム・ヨークに洗脳された。そんな1日目のフジロックだった。

今年のフジロック1日目、ホワイトステージのトリはRadioheadのフロントマンでお馴染み、トム・ヨーク。

ステージの中心から前方を空けるようにして、斜めに置かれた2つの機材。そして、ステージ向かって左端には、コンピューター2台がのせられた机が観客に向けて垂直に配置されていた。
山の中のミステリアスな雰囲気と湿った空気が、スピーカーから流れるアンビエントミュージックに相俟って、これから始まる「歴史的神秘現象」を迎える用意をしていた。

今回のソロ作品『ANIMA』のリリースに並行して、ロサンジェルス出身のフィルムメーカー、ポール・トーマス・アンダーソンが今作の中から3曲を使用した15分の映像を、オンラインの映像ストリームサービス、Netflixに公開した。
この映像にはトム・ヨークと数人のダンサーが出演し、コンテンポラリーな世界観を作り上げている。この作品は既存のNetflixのあり方を見事に壊しており、ミュージックビデオとも、ショートフィルムともとれる今作は、今後の映像ストリームサービスの在り方にヒントを与えることだろう。
なので今回のフジロックでは、Radioheadでロックの枠を超え、トム・ヨークとして音楽の枠を越えようとしている彼の姿を1秒たりとも見逃すことはできなかった。

わりに静かな始まりだった。サポートミュージシャン兼、プロデューサーのナイジェル・ゴドリッチとトム・ヨークが登場。今回はこの2人のイギリス人に、トム・ヨークのソロ名義であるプロジェクト、Atoms For Peaceの『Amok』でも共演したオランダ人、ビジュアルアーティストのタリク・バリが加わる3人体制だ。

観客は敬意を表していたのか、緊張を保ち続けていたのか、落ち着きのある拍手(少なくともそう聞こえた)でこの3人を迎えた。
向かって右から、ナイジェル・ゴドリッチ、トム・ヨーク、タリク・バリの順で機材が設置された机を定位置として並ぶ。

その緊張を保ち続けながら1曲目が始まる。最新アルバム『ANIMA』から「Impossible Knots」2曲目、『The Eraser』から「Black Swan」とテンポよく刻まれる電子ビートは我々の体温を少しづつ温めていった。

しかしながら、保っていた緊張もトム・ヨークの間抜けな響きのある日本語で一気にほどけるのである。
「コンバンワ〜!」

ここからは「緊張もほぐれたみたいだし」という様子で、トム・ヨークはベースを抱え歌う。この間も後ろの2人は重たそうな機材と睨めっこしながら、トム・ヨークの世界に欠かすことのできないもの作るのである。
音とリンクされたタリク・バリの映像は、ナイジェル・ゴドリッチによるビートと共に変化し、糸の様な光が絶えず繋がり離れていた。
その映像はそのステージ基盤の役割を持つものであったと思う。彼のリアルタイムで操られる映像は、それを背に歌うトム・ヨークの抱えるベースをなにか異質のものに変えている様だった。もうそこには「音を出す」以上の脳力を持ったベースが首からぶら下げられている様にも感じられたのだ。

一時は取り除かれた我々の緊張は波の様に操られた。トム・ヨークの体をくねるダンスに惑わされ(これは笑えもするが)、『Suspiria』からの楽曲「Has Ended」には陰湿な雰囲気を感じさせられた。
しかし、トム・ヨークの持つギターとナイジェル・ゴドリッチの持つベースが、全面機械的なこのステージにオーガニック的な要素を与え、そこに落ち着きを求めようともさせていた。

後半になるにつれ新作の『ANIMA』からの楽曲が増え、彼ら自身のテンションも上がりクライマックスに歩みを進めていた。そして、我々の初日の疲労感を縫う様にして響く音に、我々もクライマックスに確かな歩みを進めていた。

3人が舞台裏に戻り、照明が落とされ、用意されていた1度目のアンコールの準備が整う。
このアンコールの際はAotms for Peaceのアルバム『AMOK』から「Default」とソロ1枚目のアルバム『The Eraser』から「Atoms for Peace」が歌われ、メンバー紹介を終わらせ去っていった。
しかし、まだ耳や目は彼らのステージを求めていたし、心は離すまいとしていた。むしろ、1度目のアンコールがそうさせたのかもしれない。結果、再度アンコールをしたし、トム・ヨークの名を叫び続けた。

今回、実際にダブルアンコールが起こり、実際にトム・ヨークが演奏をした。しかし、そこは重きをおくできところではない。
我々は彼の作るステージに心奪われ、その自然な心の動きを個々に感じ取り、ダブルアンコールをほぼ自然的に起こした。それは人間が織りなす神秘現象と言ってもおかしくない状態で、その状態にたどり着ける観客とアーティストの間の関係性に、重きがおかれるべきなのだ。

そうともすれば3年前、サマーソニック東京でダブルアンコールが起こらなかったのは、Creepを歌ってくれたという皮肉的な理由からなのだろうか。あの頃、Creepを歌うのか歌わないのかが一般的なファンの議論の対象だった。
しかし、その時期の公演は『A Moon Shaped Pool』に並行したもので、時々歌われる「Creep」や「No Surprises」はあの難解なアルバムを聞かせるために、歌った曲。いわば集中を途切らせない役割をしていた曲、だったと分析している(もちろんそのほかにも理由はあるだろうが)。

今回はソロでのステージ、もちろん、Radioheadの曲を歌うわけもない。アンコールで全ての観客が求める特定の曲があるわけでも無かった。その状況でダブルアンコールが起こったと言うのは、観客のトム・ヨークに対する十分な理解があってのことだったと思う。
フジロックの本当に誇るべきものがそこにあった。そして、トム・ヨークが求めてきたものがあった。

そして、最後の曲「Suspirium」の美しくも緊張を含んだピアノのおかげで、我々はまた彼を求めているのである。

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