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FUJI ROCK 2019

ELLEGARDENと銀杏BOYZ

土砂降りの雨に何度も打たれて、それでも僕はここに来たことを後悔しない。

2019年、フジロック。

山積みの仕事をなんとかかき分けて、ギリギリでチケットを手に入れて、彼らに会いに行くことを決めた。

今年のラインナップが発表されたとき、昨年復活したエルレと、ずーっと好きだけど一度もライブを見たことがない銀杏。彼らに会うためにフジロックに行くことを強く望んだ。

昨年、フジロックに初めて行った。とはいえ、僕はオアシスエリアに出店しているある飲食企業の社員で、この年が初めてのフジロックへの出店だったので、会社に猛烈にアピールして、福岡から苗場まで行かせてもらったのが、僕のフジロック初参戦だ。大いに仕事をサボり、ライブを見ることを仕事よりも大事にして過ごしたが、そんな僕を、先輩方はなかば呆れながら許してくれた。
今年も出店が決まり、行く気満々だったけど、今年の出店参加メンバーは僕の知らないところで決まっており、僕の枠はそこになかった。

なかば諦めていたが、仕事のスケジュールがなんとかなりそうだったので、今年は純粋なフジロッカーになるべく、限られた時間で準備をし(テントやら、寝袋やら、その他もろもろを1日かけて買い集めた)前夜祭から苗場に向かった。

純粋なフジロッカーたるもの、宿泊は勿論キャンプサイトでテント泊!
という僕の完全な思い込みだがあながち間違っていないであろうそのスタイルで参加するということを決め、中学1年までやっていたボーイスカウト時代の魂(?)を思い出し、テントを張り、傾斜のきついエリアでの設営で寝心地は決して良くなかったが、フジロック史上最悪といわれたあの超豪雨の中で、懐中電灯で照らしたテントの中、その日見たライブやバンドのことを想っていたあの時間は、忘れられないだろう。
今年は、ライジングもサマソニも天候の影響を受け、中止や出演キャンセルが多かったのに、フジロックは前夜祭から4日間やりきった(一部スケジュール変更はあったらしいが)という事実は、僕らフジロッカーズのこの夏のちょっとした誇りかもしれない。

ELLEGARDEN、初めて観たのは2007年の長崎スカイジャンボリー。その時に買ったエルレTシャツを僕は10年間大切に着続けてきた。活動休止前、最後に観たのも2008年のスカイジャンボリーだった。
当時、活動休止を発表したのが5月2日。僕の誕生日(ちなみにキングオブフジロック忌野清志郎の命日でもある)だった。
ライブハウスでのチケットは熾烈な争奪戦で、ツアーのチケットなどは一回も取れなかったけど、フェスで見ていたエルレのライブは、いつだって最高だった。特に初めて見た時の細美のMCを僕は未だに忘れていない。
あの時は、KEMURIが活動休止に入る年だったのだがステージ上で細美は、
「俺たちはこのまま、何も変わらないで、ハイスタ先輩や、KEMURI兄さんが空けてくれたデッカイ穴を守っていくから」
そう約束してくれたのに、1年後、まさかの活動休止。

2011年にハイスタが復活したとき、めちゃくちゃ嬉しかった。AIR JAMも行った。
でも、俺たちの世代のヒーローはハイスタじゃなくて本当はエルレだったんだ。
10年間、ずっと待っていたけど、HIATUSやMONOEYESの活動が盛んになっていく中で、エルレの復活は夢のまま終わると思っていた。
大好きだった女の子に、エルレの“スターフィッシュ”を聴かせたりして、曲を彼女は気に入ってくれて、僕たちは10年付き合っていた。いつか二人でライブでこの曲を聴いて、そんでその時に僕は彼女にプロポーズするんだという完璧すぎる計画には見事に間に合わず、元カノは違う誰かと今年結婚したらしい。

一人でモッシュピットに立ち、エルレの開演前、雨脚は強くなっていった。レインコートはダイブするには邪魔だからテントに置いて、僕は10年前のエルレTシャツでびしょ濡れになりながら、その時を待った。

ライブが始まって、どの曲がどうとか、ここには書ききれないんだけど、まあとにかく、10年分のエルレへの待ちわびた思いや、思い出ありまくりの曲とその周りで僕に起こったあらゆる出来事がゴチャゴチャに混ざりながら、感情が溢れて止まらなかった。
細美が歌っていた言葉、10年間ずっと信じてきた。
それでも時に現実は、そんな言葉の無力さや無意味さを、何度も僕に問いかけてくる。
これで本当に正しいのかな?
信じ続けて、僕らに本当に幸せは来るのかな?

たくさん人を傷つけてきた。
長い時間、大切な人を待たせて、結局失ってしまった。

でも、でもまだ、僕は信じる。
本当に申し訳なく思う、父や母。
あなた方には可愛い孫がいるのが当たり前の年齢になってしまいました。
僕に、もう少し勇気があれば、あなた方の夢をきっと叶えられていたでしょう。
ごめんなさい、僕にはどうしても譲れないものがあるのです。
それは、世間の現実からすれば、決して賢い選択ではありません。
そんなこととっくに気づいています。
この10年は僕にとっても長く、厳しい10年でした。

最後に笑うのは正直な奴だけなんです。
だからもうすこし、僕は僕自身に正直でいさせてください。
 

2日目、銀杏BOYZ。
高校時代、先輩に教えてもらったゴイステ。
性春真っただ中の僕らの、切なさや、思春期の爆発、ティッシュに包まったあらゆる感情と共に鳴っていた。
ゴイステが解散し、銀杏BOYZになってもずっと好きで、雑誌やネットで伝えられるライブで見せる峯田の狂気を、いつか実際にもくげきしなくてはならないと思いながら、あんまりライブやってくれないし、フェスとかもあんまり出ないので、今回やっと観れるという期待値は高かった。
だがそれと同時に、峯田がライブで暴れまわることは知っているから、初見のライブでの衝撃や感動、自分の感情みたいなもんは、想像の範囲かもなとも思っていた。

軽く、僕の想像を超えてきやがった。

それはもう、1曲目の峯田の口元についたあの涎で超えてきた。
汚ねえ、ていう認識はあるんだけど、涎含めて峯田から目が離せない。
“SKOOL KILL”とゴイステ時代の“愛しておくれ”は特にヤバかった。
モッシュピットに降りてきた峯田に必死に近づこうと手を伸ばし、雪崩のように何人もの人が将棋倒しみたいになっていたけど、そんな中で僕はダイブして、大声で叫んでいた。
峯田は言っていた。
「シ〇ブやったって良い、援〇なんて何回やってもいい、闇営業したっていい。
生きてれば、生きてればまた会えますから。」
僕は、シ〇ブもやらないし、援〇もしたことない(風俗はめちゃくちゃ行くけどな!)闇営業は僕の仕事にはあまり関係ない。
でも、生きていれば、それなりに自分自身に罪を感じることもたくさんしてきた。
法律を犯すことだけが罪ではなく、34歳の男の人生の、特に大人になってからの10年余りのなかに、僕はやはり罪のようなものを感じるのです。

そういう汚くて、どうしようもない僕を、それでもなお、峯田は許して、涎のついたその口元から、僕に音楽を届けてくれる。

峯田がMCで、RCサクセションの“スローバラード”にまつわる話をしていたけど、そういう出来事、僕にも、あの日ライブ中将棋倒しで倒れた人全員にも、あるんだ。
で、その時鳴っていた音楽には銀杏の曲がある。

峯田、あなたが僕らを救ってくれました。
それは、17歳や18歳の思春期の僕も、現在の僕も同じです。
やっぱり僕は、こういう音楽が好きです。

大人になって、周囲の人が、自分のことをいつでも肯定し、認めてくれるわけではないこと知りました。子供のころ、父や母が、どれだけの許しを僕に与えていたのか、よくわかりました。
大人として、社会で生きていくときには、この生き苦しさが常にあります。特に仕事関係でこの2年間はひどいものがあります。
そして、僕にはいま、愛する人がいません。

そんな僕が頼れるものはやはり音楽しかなく、峯田、あなたが言うように、何とか生きて、また会いたいと思います。
 

フジロッカーと呼ばれる所以、毎年必ず参加してしまう、そんな気持ちに僕もなれた。
あんな豪雨のなか、日に日に泥だらけに汚れる仮設トイレと、決して安くない参戦にかかる費用、長い長いシャトルバスの行列、一人ぼっちでの参戦。
そのすべてひっくるめて、やっぱりフジロックは最高だった。

来年のフジロックを目標に、ギリギリで日々の日常を生きていけそうな気がします。

来年もテントを張って、僕は苗場で夏の日を過ごそうと思います。
35歳になって、嫁はおろか彼女、友達が一人もいなくて、相変わらず仕事でストレスを胸いっぱいに抱え込み、人生の不安は尽きることなく、また周りの人を傷つけているかもしれません。
それでもあそこに行けば、何か変わるかもしれない、そういう期待は不誠実でしょうか?
ごめんなさい、14歳でロックを知ってから、僕はまともになんて生きていけないんです。
これを読んでくれている人の中に、同じように想ってくれる人がいれば、こんなどうしようもない僕らが、幸せを望むことをどうか、許してください。

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