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野田洋次郎とさようならと再生

彼が紡ぐ2つの別れの物語

“さようなら”

人は、誰かと別れるときにこの言葉を使う。
また会える相手への”さようなら”。
もう会うことのできない相手への”さようなら”。

“さようなら”に込める感情もまた、様々である。

だからなのだろう。
音楽だけでなく、映画や小説、漫画など、”さようなら”は色々な方法で描かれている。

その中でもわたしは、野田洋次郎が描く”さようなら”が好きだ。

喪失感に溢れた曲、愛と憎しみを描いた曲など、様々である。

彼は、他のアーティストへの楽曲提供もしているが、”さようなら”を描く曲として、わたしが特に好きな2曲がある。
 
 

「わたしをフッてんじゃないよバカ
フッていいわけがないでしょ」
 

1曲目は、さユりの「フラレガイガール」である。

「たまに倦怠期予防のサプライズも忘れないでと
たしかに言ってはいたけれど
フッていいわけがないでしょ
あなたの分際で何をバカなこと 言いだしてさ」

私をフッたあなたはバカ。
自分にも非があることは何となく感じているけど、やっぱりあなたはバカ。

ここまで潔く、自分をフッた相手のことを、”バカ”だと言い切る失恋ソングをわたしは他に知らない。
でも、この曲は相手を悪く言ってそれでおしまい、ああスッキリした、ということではない。

前述した歌詞はサビなのだが、その最後はこのように歌われている。

「もういいから そろそろ種明かししにきてよ」

“種明かし”。手品のように、あなたが私をフッたのにはなにか仕掛けがある。

そう信じているのだろうか。
まだフラれた事実を受け止めきれない、そんな弱い部分が表れている。

曲中には、サビ以外にも着目すべき点がある。

「まぁこの先涙を使うことなどもうないし まぁいっか 全部ここで 流れ切って しまえ」

「バカまじめにとっておいた約束 部屋の中 散らばって
足の踏み場もなくすぐに踏んづけて
その刹那 痛むのです」

この曲の主人公がどれだけ相手を想っていたかが分かる。
もう1つ分かるのは、この主人公は素直じゃないということ。
想いの強さを直接的な言葉で表さないのだ。
その想いを率直に伝えるのは、最後のサビ前である。

『だから最後に伝えさせて 2分でいいから
あなたが好きだったこと
とびっきりの「バカヤロウ」』

曲のラストに向かって、歌詞はこう続く。

「いつか天変地異級の 後悔に襲われりゃいい」

「そろそろ時間だ ワタシはいくね
次の 涙も 溜まった 頃よ」

やっと素直に好きだったことを伝えたと思ったら、あなたに向かって『とびっきりの「バカヤロウ」』。

曲の最初では、「まぁ この先涙を使うことなどもうないし」と言っていたが、「次の涙」を溜めて=次の恋に向けて、わたしは進む。

これが、「フラレガイガール」の”フラれがいがある”所以だと思う。

あなたを過去のものにして、前へ進んでいく。

その点では、この曲と共通しているのではないだろうか。
 

「あなたをちゃんと 思い出にできたよ」

adieuの「ナラタージュ」である。

この曲は、同名映画の主題歌として書き下ろされたもの。

「フラレガイガール」が”動”だとすると、この「ナラタージュ」は”静”と表せると思う。

先に述べたが、2つの曲は、過ぎ去ったことを乗り越えて前へ進んでいくという点では共通しているのだが、1つ明確に違う点がある。

それは、別れを乗り越えるプロセスを描いているか、という点である。
「フラレガイガール」では、フラれた事実を受け入れられず苦しむところから始まる。
しかし、「ナラタージュ」では、まるで思い出を歌うかのように物語が進んでいく。

「あなたが歌ってた 夏のあの歌の
名前をついには 知れないまま
あなたの鼻唄だけを頼りにし
思い出の雲間を 流れるのです」

この歌詞からも、過去を優しく振り返るような曲の雰囲気が伝わってくる。

そんなふうに振り返ることができるようになるまでには、多くの時間が必要だと思う。
その時間は苦しみを伴うもので、長い長いトンネルのようだろう。
それでもこの曲はこう続く。

「どんな昨日より 明日が好きだと
少しの背伸びと本音で 今は言えるよ」

わたしもこう言えるようになりたい。
そう思った。

ここから少し脱線するが、わたしの経験を少しだけ話そうと思う。

わたしには、人生を変えてくれた恩人がいる。
でも、その人とはもう会うことができない。
その人と過ごした日々を思い出すと、今でもまだ泣きそうになる。
まだ、思い出にできていない。
だからこそ、この曲に惹かれた。
そして、前述した歌詞を自分の言葉として、言えるようになりたいと思ったのである。
 

話を戻そうと思う。

「正しい夢の 終わり方なんて
この世でわたし わたしだけが決める」

儚げなadieuの歌声だが、この歌詞の部分は、強い意思を感じさせる歌い方をしているように思う。

そうなのだ。終わり方は、誰の言葉にも左右されるべきではない。自分の意思で、自分の手で、終わらせるべきなのだ。

この歌詞も印象的である。

『はじめまして「さようなら」
最初で最後の 「さようなら」』

もうあなたに使うことのない「さようなら」。
二度と会うことがないことを示唆している。
たった5文字のこの言葉。
しかし、たくさんの感情が込められていると思う。
 

優しくもあり、しかし、別れを受け入れた後の一種の強さを併せ持ったこの曲。

最後はこう締めくくられる。

「あなたが歌ってた 夏のあの歌の
名前は知らないままで いるね」

曲の冒頭で歌われている言葉に対する歌詞になっている。

歌の名前なんて、調べればきっとすぐに分かる。
でもそうやって答え合わせしてしまったら、1つの輪が閉じるように、この恋が完結してしまう。
終わったことだけれど、終わらせたくない。
この歌詞から、そんな風にわたしは感じた。
 

“再生”

人は恋をして、お別れに傷つく。
しかし、いつまでも傷ついたままではない。
“さようなら”の後には”再生”するのだ。
“再生”へと導くのは、時間かもしれない。はたまた、新しい恋かもしれない。

「フラレガイガール」も「ナラタージュ」も、野田洋次郎は”さようなら”と”再生”を描いている。
この2つの別れの物語は、一見全く違うようにも受け取れるが、根底は同じテーマだと、わたしは感じる。

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