完全を求めるこの世の中で
10-FEET、TAKUMAが伝えるNo Music, No Life.
2017年12月13日
48
パソコンや携帯で個々がマスメディア化していき、
揚げ足を取り合い、完全なる発言を求められる中で
不完全な言葉でも確固たる信念で心の奥を叫ぶその姿は
今の時代に1番足りない存在かもしれない、
そしてそうさせているのは紛れもなく音楽の力だと思う
(10-FEET.TAKUMA)
初めて10-FEETと出会ったのは1年前、姉が初めて
行ったフェスで見た10-FEETにはまり
帰ってくるなりやばいからとにかく聞け!と言われた
のが10-FEETとの出会い。
そしてその年の京都大作戦のオンエアを見て初めて
音楽で泣いた。
RIVER、彼らの代表曲であるこの曲で観客が
煽りを受けて大合唱をするあの場面は本当に
勇気をもらい、いつでも自分を奮い立たせる。
今ではそんな存在になったこの曲を初めて
見たこの時もやはり泣いた。
そして1年を経た今、TAKUMAのこの言葉に再び
考えさせられるものがある。
今の時代、何でもかんでもエリートにしようと
求めるのは完全ばかりではないか。
不完全な言葉は矛盾している、ダサい
様々な言い訳をつけられ不完全な言葉は叩かれる。
そんな中間違った信念だとしても
稲妻のような衝撃を音楽に乗せて伝えてくれる。
そんな彼の音楽にいつも力をもらっている。
彼だけではない、バンドという存在自体が
今の時代にとってそうなのではないだろうか。
別に今の時代のあり方を否定してるわけではない
ただ、この時代のあり方に疲れた時、やってらんなく
なった時に彼らの強い信念を聞くことによって
大丈夫、間違ってることなんてないよそう言って
くれるような気がしている。そして
不完全が許されるこの場所が僕は大好きで
これからも守り続けていきたい、そんな場所である。
そしてこれからも大切な場所で輝き続ける彼らを
心から応援して、追いかけていきたいと思う。
揚げ足を取り合い、完全なる発言を求められる中で
不完全な言葉でも確固たる信念で心の奥を叫ぶその姿は
今の時代に1番足りない存在かもしれない、
そしてそうさせているのは紛れもなく音楽の力だと思う
(10-FEET.TAKUMA)
初めて10-FEETと出会ったのは1年前、姉が初めて
行ったフェスで見た10-FEETにはまり
帰ってくるなりやばいからとにかく聞け!と言われた
のが10-FEETとの出会い。
そしてその年の京都大作戦のオンエアを見て初めて
音楽で泣いた。
RIVER、彼らの代表曲であるこの曲で観客が
煽りを受けて大合唱をするあの場面は本当に
勇気をもらい、いつでも自分を奮い立たせる。
今ではそんな存在になったこの曲を初めて
見たこの時もやはり泣いた。
そして1年を経た今、TAKUMAのこの言葉に再び
考えさせられるものがある。
今の時代、何でもかんでもエリートにしようと
求めるのは完全ばかりではないか。
不完全な言葉は矛盾している、ダサい
様々な言い訳をつけられ不完全な言葉は叩かれる。
そんな中間違った信念だとしても
稲妻のような衝撃を音楽に乗せて伝えてくれる。
そんな彼の音楽にいつも力をもらっている。
彼だけではない、バンドという存在自体が
今の時代にとってそうなのではないだろうか。
別に今の時代のあり方を否定してるわけではない
ただ、この時代のあり方に疲れた時、やってらんなく
なった時に彼らの強い信念を聞くことによって
大丈夫、間違ってることなんてないよそう言って
くれるような気がしている。そして
不完全が許されるこの場所が僕は大好きで
これからも守り続けていきたい、そんな場所である。
そしてこれからも大切な場所で輝き続ける彼らを
心から応援して、追いかけていきたいと思う。
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