私のFinツアー
私と10-FEETの話
2018年8月24日
25
2017年から2018年の間で行われた
10-FEETのFinツアー。
2016年に10-FEETを知った私にとってははじめてのツアー。
ちょうどその時期私は、新しい夢が出来て
今の仕事とは全く違う仕事に出会い
その道に進むか今の仕事を続けるか悩んでいた。
「今のまま大人になっていいのだろうか」
「やらなくて後悔するじゃないだろうか」
と、10-FEETの曲やライブのMCを聞くたびに
喉の奥に何かつっかえる気がして苦しかった。
そんな時に発表されたFinツアー、別の道に進むにしろ今の道を続けるにしろ私はこのツアーが終わるまでに必ず答えを出そうと決めていた。
新潟、仙台、Zepp東京、盛岡、郡山
五ヶ所しか参加することは出来なかったが
どの会場もライブが終わる時には
このライブが人生最後になっても構わないと思った。
本当に私はそう思った。
それくらい素晴らしいライブだった。
どの会場か詳しくは覚えていないが
その向こうへが始まる前のMCでTAKUMAさんが
「叫びたいのに叫べないやつ!
俺が代わりに叫んだる!!」と叫んでいた
私はダムが決壊したかのように泣いた
声を上げて泣いていたかもしれない
私は叫べない一人だった
夢も、喉につっかえる苦しい何かも
進みたいのに進めない自分への苛立ちも
TAKUMAさんは私の代わりに叫んでくれた
全部代わりに叫んでくれた
私はそのたった一つの叫びで
「ああ、進もう、夢の方に。もう大丈夫だ」
と思えた、驚くほど何も怖くなって
答えを出すことができた。
きっとあの時の私はぐしゃぐしゃに泣きながらも心の底から笑っていた。
今、私には夢がある。
仕事のことではないもう一つの夢
それは
夢を叶えた上で10-FEETのライブに行くこと
きっとその時がきたら私はあの日のように
泣きながらでも心の底から笑って
「その向こうへ!」
と今度は私自身の声で叫んでいるだろう。
10-FEETのFinツアー。
2016年に10-FEETを知った私にとってははじめてのツアー。
ちょうどその時期私は、新しい夢が出来て
今の仕事とは全く違う仕事に出会い
その道に進むか今の仕事を続けるか悩んでいた。
「今のまま大人になっていいのだろうか」
「やらなくて後悔するじゃないだろうか」
と、10-FEETの曲やライブのMCを聞くたびに
喉の奥に何かつっかえる気がして苦しかった。
そんな時に発表されたFinツアー、別の道に進むにしろ今の道を続けるにしろ私はこのツアーが終わるまでに必ず答えを出そうと決めていた。
新潟、仙台、Zepp東京、盛岡、郡山
五ヶ所しか参加することは出来なかったが
どの会場もライブが終わる時には
このライブが人生最後になっても構わないと思った。
本当に私はそう思った。
それくらい素晴らしいライブだった。
どの会場か詳しくは覚えていないが
その向こうへが始まる前のMCでTAKUMAさんが
「叫びたいのに叫べないやつ!
俺が代わりに叫んだる!!」と叫んでいた
私はダムが決壊したかのように泣いた
声を上げて泣いていたかもしれない
私は叫べない一人だった
夢も、喉につっかえる苦しい何かも
進みたいのに進めない自分への苛立ちも
TAKUMAさんは私の代わりに叫んでくれた
全部代わりに叫んでくれた
私はそのたった一つの叫びで
「ああ、進もう、夢の方に。もう大丈夫だ」
と思えた、驚くほど何も怖くなって
答えを出すことができた。
きっとあの時の私はぐしゃぐしゃに泣きながらも心の底から笑っていた。
今、私には夢がある。
仕事のことではないもう一つの夢
それは
夢を叶えた上で10-FEETのライブに行くこと
きっとその時がきたら私はあの日のように
泣きながらでも心の底から笑って
「その向こうへ!」
と今度は私自身の声で叫んでいるだろう。
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