北の街への旅
ヨルシカ「だから僕は音楽を辞めた」に寄せて
2019年5月14日
8
誰かの大切な宝物を、こっそり開けてしまった気がした。
箱を開けて出てきたのは、エルマという人物への手紙。
「この国は街角一つ撮っても何処か懐かしい匂いがする。」
一番上に入っていた手紙に、かすれかけたインクで、そう書いてあった。
北欧の小さな国を舞台に、この手紙は進む。
私が昨年7月まで生活を送ったスウェーデンで。
何もわからないまま1年間の濃密な日々を過ごしたあの場所で。
「だから僕は音楽を辞めた」このアルバムを聴き始めた時、
どうしようもない懐かしさに、心がしめつけられた。
ヨルシカはどうやら、私をあの北の国に連れて行こうとしているらしい。
CDの袋を開けると、箱が出てきた。手紙と、写真が入っていた。
このアルバムは、ただの音楽ではない。と書くのは変な話だ。
だが、芸術作品、というのもどこか薄っぺらい気がする。
なんとか説明しようと言葉を紡ぐのも、自分の言葉がどこか足りない気がしてならない。
手紙の主が、魂を吐くように紡ぐ言葉。私を打ち抜くように、体を駆け巡る。
音が、あの街の輪郭を形づくって、乾いた空気を連れてくる。
私の周りに、レンガ建ての建物がたつ。
色とりどりの家が、あの街の姿が、目の前に広がる。
誰かの、息づかいが聞こえる。
ただ、音を聴いているだけなのに。
ただ、言葉を読んでるだけなのに。
ただ、写真を見ているだけなのに。
胸がしめつけられる。
訳もなく、苦しい。
手紙の主は、エルマの詩を見て、曲を書いた、と綴っていた。
音楽を辞めようとしていたのに。
なぜ、彼は音楽を作るのか。言葉を紡ぐのか。芸術家であるのか。
彼は、何を残そうとしたのか。
「パレード」という曲がある。最後から4つ目の曲だ。
“身体の奥 喉の真下
心があるとするなら君はそこなんだろうから
ずっと前からわかっていたけど
歳取れば君の顔も忘れてしまうからさ
身体の奥 喉の中で 言葉が出来る瞬間を僕は知りたいから” (『パレード』)
きっと、エルマの言葉は、彼の原動力だったのだろう。
エルマの言葉が、手紙の主の言葉を生み出したのだろう。
人はいつか死ぬ。それでも、言葉は残る。
手紙の主は、何かを残したかったのだろうか。
それとも、曲を書かずにはいられなかったのだろうか。
このアルバムでは、彼の旅を、たどるようにして曲が進む。
彼は、人生最後の旅だと書いていた。なけなしのお金を使って、スウェーデンを巡る旅。
私たちは、手紙と曲を通して、夏から春へと時間を巻き戻すようにして、その姿を追いかける。
8月、彼は最後の手紙を書く。
「だから僕は音楽を辞めた」この曲を残して。
この曲を最後に、アルバムは終わる。
彼がこの後、どうなったのか、私は知らない。
このアルバムについて書こうとした時、
自分の中の全てをもっても、足りない気がする。どんな表現をもっても、この作品を表現することは、できない。
どこに行けばこの手紙の主に会えるんだろう。
どうすれば、こんな言葉に出会えるんだろう。
どんな言葉を集めれば、あんなにも心をつらぬくような文章が書けるんだろう。
私には、わからない。
私には、わからない。
どうにか、どうにか言葉を紡ぎたい。この息苦しさの正体はなんだろう。
自分の中にある、なけなしの言葉を拾いたい。
この感覚を、失ってしまう前に。
私は、明日もいつもと変わらない生活を送ることだろう。
同じように学校に行って、同じような時間を過ごす。
自分がこの人生で、何を残せるかはわからない。
でも、人生の片隅には、この手紙があることだろう。
この手紙は、私に書かれたものではないけれども。
それでも、何かを拾い上げたい。
表現者として、生きてみたい。
また、あの国に行きたくなった。
手紙の主の、跡をたどって。
箱を開けて出てきたのは、エルマという人物への手紙。
「この国は街角一つ撮っても何処か懐かしい匂いがする。」
一番上に入っていた手紙に、かすれかけたインクで、そう書いてあった。
北欧の小さな国を舞台に、この手紙は進む。
私が昨年7月まで生活を送ったスウェーデンで。
何もわからないまま1年間の濃密な日々を過ごしたあの場所で。
「だから僕は音楽を辞めた」このアルバムを聴き始めた時、
どうしようもない懐かしさに、心がしめつけられた。
ヨルシカはどうやら、私をあの北の国に連れて行こうとしているらしい。
CDの袋を開けると、箱が出てきた。手紙と、写真が入っていた。
このアルバムは、ただの音楽ではない。と書くのは変な話だ。
だが、芸術作品、というのもどこか薄っぺらい気がする。
なんとか説明しようと言葉を紡ぐのも、自分の言葉がどこか足りない気がしてならない。
手紙の主が、魂を吐くように紡ぐ言葉。私を打ち抜くように、体を駆け巡る。
音が、あの街の輪郭を形づくって、乾いた空気を連れてくる。
私の周りに、レンガ建ての建物がたつ。
色とりどりの家が、あの街の姿が、目の前に広がる。
誰かの、息づかいが聞こえる。
ただ、音を聴いているだけなのに。
ただ、言葉を読んでるだけなのに。
ただ、写真を見ているだけなのに。
胸がしめつけられる。
訳もなく、苦しい。
手紙の主は、エルマの詩を見て、曲を書いた、と綴っていた。
音楽を辞めようとしていたのに。
なぜ、彼は音楽を作るのか。言葉を紡ぐのか。芸術家であるのか。
彼は、何を残そうとしたのか。
「パレード」という曲がある。最後から4つ目の曲だ。
“身体の奥 喉の真下
心があるとするなら君はそこなんだろうから
ずっと前からわかっていたけど
歳取れば君の顔も忘れてしまうからさ
身体の奥 喉の中で 言葉が出来る瞬間を僕は知りたいから” (『パレード』)
きっと、エルマの言葉は、彼の原動力だったのだろう。
エルマの言葉が、手紙の主の言葉を生み出したのだろう。
人はいつか死ぬ。それでも、言葉は残る。
手紙の主は、何かを残したかったのだろうか。
それとも、曲を書かずにはいられなかったのだろうか。
このアルバムでは、彼の旅を、たどるようにして曲が進む。
彼は、人生最後の旅だと書いていた。なけなしのお金を使って、スウェーデンを巡る旅。
私たちは、手紙と曲を通して、夏から春へと時間を巻き戻すようにして、その姿を追いかける。
8月、彼は最後の手紙を書く。
「だから僕は音楽を辞めた」この曲を残して。
この曲を最後に、アルバムは終わる。
彼がこの後、どうなったのか、私は知らない。
このアルバムについて書こうとした時、
自分の中の全てをもっても、足りない気がする。どんな表現をもっても、この作品を表現することは、できない。
どこに行けばこの手紙の主に会えるんだろう。
どうすれば、こんな言葉に出会えるんだろう。
どんな言葉を集めれば、あんなにも心をつらぬくような文章が書けるんだろう。
私には、わからない。
私には、わからない。
どうにか、どうにか言葉を紡ぎたい。この息苦しさの正体はなんだろう。
自分の中にある、なけなしの言葉を拾いたい。
この感覚を、失ってしまう前に。
私は、明日もいつもと変わらない生活を送ることだろう。
同じように学校に行って、同じような時間を過ごす。
自分がこの人生で、何を残せるかはわからない。
でも、人生の片隅には、この手紙があることだろう。
この手紙は、私に書かれたものではないけれども。
それでも、何かを拾い上げたい。
表現者として、生きてみたい。
また、あの国に行きたくなった。
手紙の主の、跡をたどって。
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