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BUMP OF CHICKENに嫉妬している話

彼らによって引きずり出された、自分との対話。

"その胸にしまった火に憧れた 飲み込まれて消されてしまいそうで"
"夕焼けみたいに温かくて 寂しくて強かった その火に"
--サザンクロス

今だから言える。こんな歌詞が書ける藤原基央は、天才なんじゃないかと思った。
彼は天才だの神様だの言われるのを嫌ったと言うが、なるほど、天才かもしれないなと思うのは仕方のないことだ。
 
私は小学6年生の頃から約15年、彼ら─BUMP OF CHICKENを知っている。
知っている、と書いたのは「15年間ずっとファンでしたか」と聞かれると
「いえ、そこまでではないんです」といえてしまうからだ。

理由は単純で、自分の生活に一生懸命になった時期に、いや、
正直にいうとただ目まぐるしく動く毎日にがむしゃらに、惰性的に生きていた、「まったくもって何も刺さらない時期」を経由しているからだ。

初めて行った彼らのライブは、WILLPOLIS 2014 幕張メッセで、その後は東京ドーム公演だったと思う。
彼らのパフォーマンスは最高だった、曲だってすべて素晴らしかった。
幕張メッセのライブは奇しくも私の誕生日だったし、white noteの演出で声を出して笑った。
東京ドームでは「やっと唄える。」と語られて「You were here」を聞いたことなど、忘れることができるだろうか。
20周年記念も、BFLY日産も、PATHFINDER幕張2Daysも参戦しているのだから、存外運がいい。
  
焦りを感じたのはごく最近だった。
これまでもだったが、近頃はどんなことにも、感動が薄いのだ。
元来面倒臭がりの性質があり、与えられるコンテンツを消費することで日々を埋めていた。
「もう何も熱くなれないのかもしれない。」という、漠然とした不安。
私は都会の片隅で、WEBデザイナーとして生きている。
クリエイターの端くれとして、物事に興味や関心がなくなるのは死に近く、またそんな人間はただただオペレーターとして生きていくしかなかった。
オペレーターのほうが、何も考えなくて済む。でもなぜだかそれだけは、嫌だった。
  
アルバム「aurora arc」が発表されたこと、「aurora ark」ツアーが発表されたことは、後で母から聞いた。母のほうが先にBUMP OF CHICKENを知っていたが、情報のキャッチはいつも私のほうが早かったのに、と、自分に驚いた。
久々に直井由文のTwitterを上から下までスクロールした。フォローはしていたはずなのに、私の知らない情報で溢れていた。
3年前に転職した会社で仕事に忙殺されていたし、インスタントといっても、応援している他のアーティストがいた事もあって、完全に情報を取得できていなかった。

ああ、リボンではスタジオから生配信したのか すごいな
こんなにタイアップしてる 聞ける機会が増えるのはいいことだ
メンバーの誕生日、変わらずみんなで祝ってるんだな。 ロッキン、行きたかった。

ポロポロと思い出を紐解くようにツイートを眺めた。
デビュー初期やインディーズ時代を私は知らないが、伝聞よりも彼らが変わっていることは明白で、ちょっとおもしろいな、なんて思った。当たり前のように、ツアーには申込んでいた。

aurora arkは京セラドーム1日目と東京ドーム2日目に参戦できる事になった。
京セラは母が、東京ドームは私が勝ち取った。久々のライブにワクワクしながらも楽しめるかが不安だった。アルバムもあまり聴き込まずに大阪へ向かった。
会場で掲げられる旗やファン同士の会話を、どこか冷ややかな目で見ている自分に驚いた。

席番はスタンド席の上側だった。母は申し訳ないと笑った。
私は落ちちゃいそうだから、気をつけなきゃね、なんて返した。
身長が低い私はメンバーが肉眼で見えないのはいつものことだったし、普段行っているアーティストのライブは位置なんて関係ないものだったから、「大きなスクリーンでメンバーが見れるなんて、万全のサポートだな」なんて的外れなことを思っていた。

会場が暗くなる、ガタガタと席から立ち上がる音がする。
鳴り響く「aurora arc」、そして「Aurora」
ここから先記憶はおぼろげだ。なにしろ、一音だけで泣いていた。ライブで泣いたのは久しぶりだった。
なんとなく何かが帰ってきたと思った。不透明度30%くらいだった自分が、100%になった気がした。
スクリーンに映されたメンバーも、月虹の炎を使った演出も、望遠のマーチのバック映像も、新世界のステージも、アリアのステンドグラスも、断片で目の前に浮かぶ。
 
ライブが終わったあとは、また大きな穴を抱えていた。だって終わりたくなかった。
この空間にずっといたくて、もっと曲を聞きたかった。
昔なにかのMCで、「俺らだってずっとやりてえの!」と怒った藤原基央を思い出した。当たり前のように、明日からは日常だった。

羨ましい、と思った。藤原基央が、増川弘明が、直井由文が、升秀夫が。
だってあんなに素敵な空間を、体験していける。
それを作ったのは彼らで、スタッフで、オーディエンスで、ここにはいないリスナーで。理解はしていても、「こんな素敵なライブをできる彼らが、心底羨ましい」と思った。
 
次の日東京に帰る電車で、いろんな事を思い出した。

"強く望んだら望んだ分だけ 隠したナイフはスルドクなるもんさ"
"いつも唄ってた「勇気の唄」を隠したナイフでもう一度思い出そう"
"僕が望んだら望んだ分だけ ココロのナイフはスルドク輝いて"
"子猫が唄ったような 子犬が叫んだような"
"何よりも大事なあの日の夕焼けうつしだすよ"
"PROVE YOUR SELF"
--ナイフ

20周年記念ライブに行ったとき、何やるかな、と幼馴染と興奮気味に話していて「ナイフとか、聞きたいな」と言っていたら、演奏されて驚いた事を覚えている。

私のナイフはまだ心の奥底にあるんだろうか。
彼らを羨んだ自分の本当の気持ちは、「自分はもっとできる」という勇気の唄の現れなんじゃないのか。
 
"色々と難しくて 続ける事以外で 生きている事 確かめられない"
"報われないままでも 感じなくなっても 決して消えない 光を知っている"
--firefly

決して消えない光、私にとってはなんだろうか。
「好きなことを仕事にすることは覚悟のいること」だと語った藤原基央を見て、怖じ気ついたんじゃないのか。
それでもこの生き方をやめられないから、やるしかないんじゃないのか。
 
"腕の中へおいで 醜い本音を 紡いだ場所に キスをするよ"
"命の無い世界で 僕と同じ様に 生きてるものを 探しただけ"
"腕の中へおいで 怖がらないでおいで 生きてるものを 見つけただけ"
"確かなものは 温もりだけ"
--embrace

私は矮小な人間だ。羨む資格もないのに、なんともまあ傲慢に。
生きる目標も糧も、やることだって違うのに、人間として彼らに嫉妬した。
こんな醜いわたしでも、抱えている温度は本物だった。
 
"こんなに寂しいから 大丈夫だと思う 時間に負けない 寂しさがあるから”
--宝石になった日

ああでも、大丈夫なのかもしれない。だってこんなに寂しくて、こんなに熱くて、こんなに悔しくて、こんなに悲しいなんて。
この寂しさや悔しさは、また一つ私を作るのだろう。
 
"今どんな顔してる ちょっとしんどいけど楽しいよ"
"ほら 全部がお互い様な さあ どんな唄歌う”
--セントエルモの火

しんどい、しんどいな 生きるのってしんどくて、自分の弱点に目を向けるなんてバカのすることかもしれない。
結局は全部お互い様なのだ。私は彼らに嫉妬をしても、その嫉妬は私だけのもので、解決するのも私で、その先を歩んでいるのは、彼らの曲だ。
  
藤原基央から紡がれる火に憧れたのだ。増川弘明の、直井由文の、升秀夫の、かけがえのないメンバー達から織りなされる火に圧倒されたのだ。
いくら呑まれて消されそうな大きな火でも、それを見つめていきたいと思った。

つまるところそう、私は彼らへの嫉妬で生きているのかもしれない。
いずれ訪れる終わりがもっと痛いものになっても、そうでもいいと言えるくらいには、彼らに嫉妬し、尊敬している。
 
そう思って、大阪へ行く前よりも熱のこもった体を、無理やり日常に落とし込んだ。今度はずっと、世界が色づいているように見えた。
  
余談だが、こんな私にも一つだけ彼らに自慢できることがある。
それはステージからは見えない、オーディエンスの景色だ。
斜め上から見るオーディエンスは、目に痛いくらいに素晴らしかった。
何万と輝く光の粒達を、あの瞬間に見られたのは、誰にも負けない私の自慢だ。
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