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時に人が苛立つのが避けがたいことだとしても

ASIAN KUNG-FU GENERATIONとMr.Childrenが促すこと

いま「百パーセント確実に身の安全を守る方法」を発信できる人は、恐らくは世界に1人もいないのではないか。多くの人が知恵を絞っており、彼ら彼女らが少しずつ異なった「急場をしのぐための結論」を出さざるを得ず、そのうちのどれを信じればいいのか、私たち一般市民は決めかねている。意見が食い違うことがあり、激しい口論が生まれることもあり、そもそもの目的「パンデミックを乗り切ること」が霞んでしまうことさえあるのではないか。私たちは「相手を言い負かすため」に命をもっているわけではないのに。

Mr.Childrenは「Image」のなかで、こんなことを歌う。

<<時代はいつでも急ぎ足で 生きて行くことの意味は>>
<<争い合う事に いつかすり変わってく>>

「Image」は、Mr.Childrenが休止期を経て1999年にリリースした(ファン待望の)オリジナルアルバム「DISCOVERY」のラストを飾る楽曲である。「DISCOVERY」は「ラララ」や「終わりなき旅」といった、希望を歌い上げる傑作を収録した作品であり、それを締めくくる「Image」も、桜井氏の歌声とアコースティックギターによる穏やかな伴奏から始まる、胸を打つ秀作だ(当時、私はこのトラックを、誇張抜きに盤面がすり減るほどにリピートした)。

それでも「Image」は、穏やかなだけの楽曲ではなく、やがて様々なパートが加わって荘厳な時を迎え、上記のセンテンスが歌われるのだ。たしかに<<時代>>が<<急ぎ足で>>進んでいるのも確かなのだろうし、その<<時代>>を作り上げているのは、恐らくは私たち自身だ。結論を出すよう急がされることがあり、誰かを急かしてしまうことがあり、ともすれば私たちは<<生きて行くことの意味>>を忘れてしまう。それは少なくとも<<争い合う事>>ではないはずなのに、気が付けば誰かが、別の誰かを批判する声が聞こえている。

それでも「Image」は、やがて静けさを取り戻し、最後に置かれるのは、こんなメッセージだ。

<<この目に写る 全てのことを 抱きしめながら>>

それを理想論だと感じる人もいると思う。そう思われても仕方のない情勢であり、そもそもパンデミックが起こる前から<<全てのことを>>受け入れるなどというのは、きっと誰にとっても難しいことだっただろう。少なくとも私は、誰かの意見を否定することがあるし、こんな番組は観たくないと思ってテレビを消すことがある。それでも私たちは<<争い合う>>のを避けようと、努めるだけのことはできるかもしれない。

***

ASIAN KUNG-FU GENERATIONの「或る街の群青」は、松本大洋氏のコミック「鉄コン筋クリート」が映画化された時、その主題歌に起用されたものだ。私は映画館という場所が不得手なので、映画そのものよりも、コミックのほうが胸に焼き付いており、今から書く場面が、映画のなかで明善と再現されたのかを覚えていない。

「鉄コン筋クリート」は2人の主人公が織りなす物語なのだけど(ネタバレを避けるために詳述することは避けます)そのうちの1人が、こんな場所で人間のことなど信用したらやっていけないじゃないかというようなことを、醒めた表情で語るシーンがある。いま私が人間不信に陥っているとまでは言わない。好きな人や尊敬する人が、この世界にいる。それでも、誰のいうことを真に受けていいのか分からず、典拠性の高い情報を探し出すのに手間取ってはおり、そういう意味では私も「鉄コン筋クリート」で描かれたような世界に生きているのかもしれない。

それでも松本大洋氏は、主人公たちを、ある種の「希望」のもとへと向かわせ、その思想性に応じるようにASIAN KUNG-FU GENERATIONは歌う。

<<何処までも行けるよ きっと…>>
<<光だって 闇だってきっと>>

これだけの危機に直面している今日の地球も、朝を迎え、夜を迎え、そうやって<<光>>と<<闇>>を繰り返し、少なくとも存続している。比喩的に言うならば、様々なニュースに一喜一憂する私たちの心も<<光>>と<<闇>>の間を行ったり来たりしているのではないだろうか。それでもASIAN KUNG-FU GENERATIONが発信するように<<何処までも行ける>>日が来ると、信じている人は多いだろうし、信じる人がいる時点で、その可能性が繋ぎ止められているとさえいるのではないか。

ASIAN KUNG-FU GENERATIONは「或る街の群青」に、楽観的なメッセージだけを込めたわけではない。曲中には、以下のような悲しいセンテンスも置かれている。

<<鉛色の街 ネズミ達の濁るブルー>>

本来は色彩豊かでもありえる<<街>>が、時として<<鉛色>>に見えてしまうこと。そして(やはり)本来的には澄んでいるはずの<<ネズミ達>>の毛並み(あるいは瞳)さえ、時に濁ってしまうこと。それは人の世が、常に平和ではないことを意味するように感じられるし、つい自分や他人を咎めてしまう人間を表現しているようにも思える。

だからこそASIAN KUNG-FU GENERATIONが、最後に<<きっと>>と、希望を含ませた言葉を置いたことが、輝きを持っているのではないかと私は思う。<<ソコカラナニガミエル?>>、楽曲に含まれる、そんなセンテンスは、原作(コミック)で放たれる問いでもある。

ここから何が見えるだろうか。本文をつづる私の部屋、ここから何が見えるだろうか。それは、この駄文を読んでくれる人の姿であり、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの勇姿でもある。もちろん「それ」が実際に見えるわけではない。それでも私は、読んでくれる人がいなければ、ASIAN KUNG-FU GENERATIONがいなければ、こうしてキーボードを叩いてはいない。

***

Mr.Childrenの「Image」から、この苦しい時間帯を乗り切るための羅針盤になりうる、そっと自身に言い聞かせるような歌詞を引用する。

<<大切なものは いつだって 目の前に転がってる>>

私たちが行動を制約され、自室のなかしか見つめることができないのだとしても、そうした情勢が、いましばらくは続くのだとしても、虚ろになりゆく<<目>>にさえ、<<大切なもの>>が映る可能性があるのではないだろうか。それを誰かと分かち合えたら、そこから「希望」は育っていくかもしれない。自室の窓から空へと放てる思いを、きっと皆が持っているはずだ。

<<君と僕で浮かべよう>>。

※<<>>内はMr.Children「Image」、ASIAN KUNG-FU GENERATION「或る街の群青」の歌詞より引用
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