4042 件掲載中 月間賞毎月10日発表
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

世間の「隙間」で生きる私たちに与えられた米津玄師の音楽

「大丈夫」私たちは「隙間」から光を見つけることができるんだ

『まだ僕は大事なことを忘れて彷徨う亡霊 いつまで経っても歌えない 
  間違いさえもわからない ここは今空虚な夢の世界とそう思い込んで 
  僕は歩いていくんだって 叫び疲れたまま 歩き続けたまま』
                  (米津玄師 「ペトリコール」より)
   
 米津さんの音楽は、深い海の底に潜って彷徨い、ゆっくり海面へと浮上する。そんな感覚になれる音楽だ。光も届かず、何も見えない誰もいない世界で、目を瞑ってじっと耳を澄ませる。不協和音が心地よく感じる。そして、ふっと心と体が軽くなる瞬間がある。そこから、ゆっくりゆっくりと海面へと浮上する。そんな感覚になれる音楽だ。
 
 ペトリコールはまさに、深くて暗い海の中を彷徨っているような曲だけれど、最後の歌詞にはサビでは入っていなかった、『歩き続けたまま』という一言でこの曲が締めくくられている。立ち止まることなく歩き続けることができるんだと安心する。決してそのまま倒れるような結末ではない。
    
『お願い ママ パパ この世に生まれたその意味を 教えて欲しいの 
  わたしに 悲しい思い出はいらないから ただただ美しい思い出を 
  祈りの言葉を』(米津玄師 「amen」より)
  

 amenもまた、とても暗い曲だ。けれども、amenは「祈り」という意味であり、自分をそこから救って欲しいという願いが込められている。願いを持っているということは、失望に終わっていないということだろう。暗い曲の中にも、光があることを受け取ることができる。
   
「米津玄師の音楽が好きだ」と言うと、周りの人からは、「病んでない?大丈夫?」なんて笑われる。そのたびに私は鼻で笑ってしまうのだけれど。

 確かにこれまでの人生、病んでいる時期が何度もあった。けれどもそんなもん、生きていたら誰にだって心が病むようなことはあるだろう。人によって音楽は、明るく前向きな歌詞やメロディで頑張れる人もいれば、私のように音楽と共にいったん深い暗闇に堕ちて、反動で気持ちが上昇するほうが性に合うという人もいるだろう。そこから這い上がれる音楽が、私は「米津玄師の音楽」というだけのことだ。私はいったん暗いところで彷徨って光を見つけていくほうが、強くなれると思っている。
   
 私が米津さんの音楽を「自分の人生の光になる音楽だ」と確信したのは、米津さんのブログを読んだことがきっかけだった。
   
『自分の弱さを言葉にして切り売りするわたしにとって、明るい陽の下で詞を書くのはだるすぎる。ニコニコするのにもMPは使う。何かにつけて許されていないと声も出せないことをよく知っている。(中略)どっか見よう見まねで生きている感覚が根底にあって、はたして自分は許されているのかいないのか、そういう端から見れば瑣末な、しかし当人にとっては重大な問題を紐解いていくことに夢中だった。(中略)「僕は苦しいです」「あなたが好きです」と表明するだけの言葉すら持つことを許されていない人間がいることを知っている。今はそういうやつにこそ音楽を届けたい。きっと大丈夫だと言ってやりたい。世の中そんな大したもんじゃないと教えてやりたい。わたしだってここまでこれたもの。』 
                   (米津玄師 ブログ「隙間」より)
   
 初めて読んだ時は真夜中で、布団の中、声を抑えながらたくさん泣いた。自分の内にある、言葉にできないような寂しさを優しく包んでくれたような、温かい感覚になった。自分と同じような気持ちで生きてきた人が音楽を作っている。米津さんの音楽こそが、私に寄り添ってくれる音楽なのだと思った。
    
 また米津さんは、とても芯の強くて心の美しい人だ。米津さんはよく、「普遍的な音楽を作りたい」と雑誌のインタビューやライブのMCで言っている。普遍的とは、「すべてのものにあてはまる様子」という意味だ。この世界のすべての物事に共通して、何があっても時が経っても変わらないもの。それこそが「愛」だと私は思っているのだが、米津さんの音楽には、その「普遍的な愛」が根底にあると感じている。
   
 その理由は、今年の2月、HYPE横浜公演で米津さんが語ってくれたMCを読んだからだ(実際は私はライブに行っておらず、友達に教えてもらった)。そのMCはこんな内容だった。
   
 「子供の頃に行ったライブに、楽しいという気持ちを抱いたことが無くて。みんなが同じ方向に視線を向けている横顔を見て、居心地が悪いようなしっくりこない人生を送ってきた。今、自分がライブをやる立場になって、今日この中にも、昔の自分みたいなやつがどこかにいるんじゃないかと探してしまう。いつになっても子供の頃の自分を探してしまう。おそらくどこか疎外感を感じている人がいると思うけど、そういう人にこそ音楽を届けたい、何かを言葉にしたい。気にしなくていいよ。」と。そして、「そういう人達の為に自分の音楽が響いて、面倒なこともある人生の何らかの助けになるような音楽を、言葉を、ずっと紡ぎ続けていきたい。」と言った。
   
 『痛みは消えないままでいい』(米津玄師 「馬と鹿」より)と言ってくれているし、暗闇にいることを否定しないでいてくれる。「そこに俺が光を灯すから大丈夫」と言ってくれているように、私は米津さんの言葉を受け取った。
     
『見つめてるよ ぼくは今も 闇の中生きる電燈だ 消せない 傷も 
 消えないまま 灯りは旅立ち歌を歌う』(米津玄師 「旅人電燈」より)
 
 米津さんの音楽は、暗闇の中に光を灯す電燈のようだ。深い海の底で彷徨っていても、世の中の日陰に隠れて「怖いよ」と蹲っていても、そこに光を差し込んでくれる。そんな存在だ。
    
 未知のウイルスで世界が、人間の体が、心が蝕まれていくなか、ひっそりと生きることが自分の身を守る方法でしかない私たち。それはとても苦痛だ。けれども、音楽は普遍的だ。ひっそりと生きている私たちの心に寄り添い、変わらずにいてくれる。暗闇に光を灯してくれる。音楽があってよかった。米津さんに出会えて本当によかった。
   
『静かな隙間で音楽を聴いていた記憶が今なお自分を定義づけている。
 音楽がきっと許してくれる。大丈夫、大丈夫、大丈夫。』
                   (米津玄師 ブログ「隙間」より)



 
  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい